清水家 第2代当主・徳川敦之助 | 墓守たちが夢のあと

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徳川敦之助

 
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法名
 
 御三卿の一つ清水家では、初代当主・徳川重好が寛政7年(1795)に亡くなると、しばらく当主不在の状態が続きます。
 御三卿は大名家と違い、あくまで徳川宗家の家族という立場でしたので当主に継嗣がいなくても断絶となる事はありませんでした。
 寛政10年(1798)に清水家第2代当主として家を再興させた徳川敦之助は、11代将軍徳川家斉の五男で、当時まだ二歳でした。
 敦之助の母は家斉の御台所(正室)近衛寔子です。御台所が男子を生んだのは2代将軍徳川秀忠の正室のお江与以来の事で、祖父の一橋治済らも大変喜んだと言われていますが、敦之助の生まれた時にはすでに将軍家世子は側室の子、敏次郎(徳川家慶)と決まっていたため、敦之助には清水家当主の座が与えられたのです。
 将来が期待された敦之助でしたが、寛政11年(1799)にわずか4歳で病没。当然。嗣子はなく、清水徳川家は文化2年(1805)に異母弟の斉順が跡を継ぐまで、再び当主不在の状態となりました。
 
東京都台東区谷中 谷中霊園 寛永寺徳川家墓地
法名 体門院殿真際彰善大童子