岩槻城城代 佐枝若狭守秀成 | 墓守たちが夢のあと

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佐枝若狭守秀成の墓

 
 
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開基霊屋
 
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開基の碑
 
 徳川家重の御側用人、大岡忠光の墓があることで有名な、さいたま市岩槻区日之出町にある龍門寺は、近江源氏佐々木氏の後裔・佐枝若狭守秀成の開基で、その館跡に建てられた寺院です。
 山門をくぐり見える鐘楼の後ろには、館跡の土塁も残されています。
 戦国時代、北条氏康に仕えた佐枝秀成は岩槻城主であった大田氏が北条氏と和睦し傘下に入ると、その監視役の城代として岩槻に派遣され、ここに屋敷を構えたそうです。
 その後、出家して玉峰道金上座と名乗り龍門寺の開基となっています。
 佐枝氏は、その後、徳川家康に仕え、江戸時代には御三家のひとつ尾張藩の直臣として尾張へ移住しています。龍門寺にある佐枝秀成の墓は文政13年(1830)に尾張藩家老の佐枝嘉種により建立されたものだそうです。
 
龍門寺: さいたま市岩槻区日の出町9-67