小田原北条氏第五代当主 北条氏直 | 墓守たちが夢のあと

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 広島市西区にある海蔵寺には小田原北条氏第五代当主・北条氏直のものと言われる墓があります。ただ、なぜここにあるのか、真偽も含めて詳しいことは分かっていません。
 北条早雲を祖とし小田原城を拠点に関東で一大勢力を誇った後北条氏の当主・氏直は第四代当主・北条氏政の長男で、母は武田信玄の娘黄梅院。また、妻は徳川家康の二女督姫です。氏直は天正8年に父氏政の隠居により十八歳で家督を嗣いでいます。天正10年(1582)には、当時、甲斐は武田氏滅亡により織田信長の家臣・滝川一益が支配していましたが、「本能寺の変」により信長が亡くなったのを機に北条氏は甲斐へ侵攻し勢力を拡大します。
 しかし、天正十八年(1590)、後北条氏の家臣・猪俣邦憲が真田昌幸家臣・鈴木重則が守る上野国名胡桃城を奪取したのをきっかけに、関白となった豊臣秀吉が関東へ遠征、小田原城を包囲します。難攻不落を誇った小田原城でしたが3か月の篭城戦の末に開城。父氏政は切腹となりますが、氏直は高野山へ追放され、翌年には許され一万石の大名として復活しています。しかし、大名復帰後まもなく病のため30歳の生涯を閉じています。
 
 
 海蔵寺:広島市西区田方1丁目1-3