山中鹿介の娘 盛江(八重姫) 広島藩家老・東城浅野家の菩提寺で、北条氏直の墓もある広島の海蔵寺には山中鹿介の二女で吉和孫左衛門義兼の妻・盛江(八重姫)の墓もあります。 盛江は山中鹿介の死後、毛利家より草津城主児玉周防守にあずけられていました。 周防守は清和源氏・源義家の19代末裔と伝えられる御用商人・吉和孫左衛門義兼の将来性を見込み、天正7年(1579)に自ら仲人となり盛江を嫁がせます。一説には、山中鹿助の娘が武士の家に嫁いだ場合、その子孫が毛利家に復讐するのではないかと恐れたためとも言われています。 吉和義兼は、その後、醸造業などを営むなどして大変な資産家となっています。 海蔵寺:広島市西区田方1丁目1-3