織田信長 本能寺 | 墓守たちが夢のあと

墓守たちが夢のあと

歴史に名を残した人物の墓所データベースです。

イメージ 1

織田信長の墓

 
イメージ 2
本能寺本堂
 
イメージ 3
本能寺の変当時の寺があった場所(本能老人ホーム)
 
 天正10年(1582)京都の本能寺で家臣明智光秀の謀反により非業の死を遂げた織田信長の墓が、その本能寺にあります。天下統一も見えてきた時期の、突然の光秀の裏切りについて、はっきりした理由は不明で謎とされています。
 なお、信長の墓は数ヶ所ありますが「本能寺の変」により信長は寺に火を放った後に自害したと伝えられ、光秀軍は遺体を発見出来ませんでした。したがって墓碑ではなく遺骨を埋めたという墓も伝承によるものです。
 本能寺は現在、京都市役所の前(京都市中京区寺町御池下ル)にありますが、これは天正19年(1591)に豊臣秀吉の命により移転したもので、「本能寺の変」があった頃は別の場所にありました。その辺りには「元本能寺町」など本能寺があった事を示す地名が残されています。

本能寺:京都府京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522 地図
「本能寺の変」当時の本能寺跡の碑:京都府京都市中京区元本能寺南町346
                                  本能老人ホーム 地図
撮影:2011.5.14