明智光秀の首塚 | 墓守たちが夢のあと
明智光秀の首塚
天正10年(1582)、本能寺にいた主君の織田信長を急襲し討取った明智光秀は、すぐ後の山崎(天王山)の戦いで羽柴秀吉(豊臣秀吉)に敗れ、近江の坂本城へ逃れる途中、小栗栖の竹藪で農民に襲われ最後を遂げたと言われています。
家来が、光秀の首を落とし、知恩院の近くまできましたが、夜が明けたため、埋められ塚が作られたと伝わっています。塚はもともと少し離れた場所にありましたが、明治以降現在地に移されています。
京都市東山区三条通白川橋下る東側 梅宮町 地図
写真2011.5.16撮影