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近藤勇の墓所
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東京の板橋駅前に新撰組局長の近藤勇の墓があります。
京都の鳥羽伏見の戦いに敗れた新撰組は、幕府の軍艦で江戸に戻り隊を「甲陽鎮撫隊」に再編して甲府城を目指します。近藤はこの時、名前を大久保大和守剛と改めました。
しかし、途中に官軍との戦となり敗退した近藤は越谷の政府軍本営に出頭します。当初、大久保と名乗っていましたが、近藤の顔を知っている者がいて、正体がばれてしまいます。身柄は政府軍の総督府が置かれていた板橋宿に移送され、板橋刑場にて斬首されました。
近藤の首は京都の三条河原で晒し首にされますが、体は板橋刑場近くの現在地に埋葬されます。しかし、遺体は親族により密かに運び出され後に故郷へ埋葬されたそうです。
現在の板橋にある墓は、新撰組二番隊組長で明治以降も生き抜いた永倉新八が建てた墓碑で「近藤勇・土方歳三の墓」となっています。また、墓碑の側面には新撰組隊士百人以上の名が刻まれているそうです。
北区滝野川7-8-10 JR埼京線板橋駅東口から徒歩1分
撮影日:2012.9.8