近藤勇の墓 龍源寺 | 墓守たちが夢のあと

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龍源寺本堂

 
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龍源寺入口の近藤勇像
 
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近藤家墓所
 
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近藤勇の墓
 
 以前、JR板橋駅前にある新撰組局長・近藤勇の墓を紹介しましたが、近藤の故郷である三鷹市大沢にある龍源寺にも墓があります。
 曹洞宗大沢山龍源寺は、新選組局長近藤勇の生家宮川家の菩提寺で、近藤勇とその子孫の墓が建立されています。
 新撰組局長として京都で活躍した近藤勇は、慶応4年(明治元年、1868)「鳥羽伏見の戦い」の敗北により江戸へ引き上げると、甲府城(山梨県甲府市)をおさえるために新選組を「甲陽鎮撫隊」と改名し出陣します。しかし、甲府は近藤らが到着する前に新政府軍に制圧され、奪回を狙った「甲州勝沼の戦い」で敗れた近藤は敗走、越谷の政府軍本営に出頭します。
 捕えられた近藤は当初、大久保と名乗りますが、近藤の顔を知るものがいたため見破られ、総督府が駐留していた板橋宿へ連行され、板橋刑場にて斬首されます。享年35(満33歳)。首は京都の三条河原で晒し首とされています。
 一方、体の方は板橋処刑場近くの、以前紹介した場所に埋葬されましたが、勇の娘婿勇五郎や門人たちにより密かに運び出され、龍源寺へ改葬されたと言われています。
 近藤勇の墓は本堂裏手の墓地にあります。
 
三鷹市大沢6-3-11
 
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