新撰組二番隊組長 永倉新八 | 墓守たちが夢のあと

墓守たちが夢のあと

歴史に名を残した人物の墓所データベースです。

イメージ 1

 

 板橋駅前にある近藤勇墓所には墓を建立した新撰組二番隊組長・永倉新八の墓碑があります。

 

 天保10年(1839)に松前藩江戸定府取次役・長倉勘次の次男として、現在の東京都台東区小島2丁目にあった藩の上屋敷で生まれた新八は、神道無念流を学ぶなどして剣術に優れていました。安政3年(1856)、18歳の時に剣術好きが昂じ脱藩。剣術修行の旅に出ています。その後、江戸に戻ると、近藤勇の道場・天然理心流「試衛館」の食客となっています。
 文久3年(1863)、近藤らと共に浪士組に参加。新選組結成後は、二番組組長や撃剣師範を務めるなど中心メンバーとして活躍します。新撰組が名を馳せた「池田屋事件」では、近藤や沖田総司らと共に池田屋に突入し、負傷しながら奮戦しています。
 慶応4年(1868)の「鳥羽・伏見の戦い」の後、江戸へ退却すると、新選組は「甲陽鎮撫隊」に改称して甲州へ向かいますが新政府軍との戦いで敗退。江戸へ戻った後、近藤らと袂を分かった新八は「靖兵隊」を結成し抗戦していますが、会津藩の降伏を知ると江戸へ帰り松前藩へ帰参しました。
 明治以降、北海道小樽へ移り樺戸集治監(刑務所)の剣術師範を務めるなどして、大正4年(1915)に小樽にて死去。享年77歳でした。
 
近藤勇墓所:北区滝野川7-8-10 JR埼京線板橋駅東口から徒歩1分
撮影日:2012.9.8