雷電為右衛門 | 墓守たちが夢のあと

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雷電為右衛門の墓(松江市 西光寺)

 
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雷電為右衛門碑(松江市 月照寺)
 
 雷電為右衛門は明和4年(1767)に信州(長野県)に生まれ、横綱谷風の内弟子から大関となり寛政・文化の土俵を飾ります。
 天明8年、22歳のとき、松江藩主・松平治郷公(不昧公)に召し抱えられ「雷電為右衛門」の名を賜ります。
 土俵生活21年間、258試合の相撲をとり、負けたのは僅か10回で、史上最強の力士と評されています。
 文化8年(1811)に44歳で現役引退し松江藩相撲頭取を務めた後、晩年は妻の実家がある下総国臼井(千葉県佐倉市)で暮らし、文政8年(1825)に59歳で亡くなりました。
 墓所は東京の赤坂や亡くなった千葉県佐倉市、故郷の長野県にもありますが、お抱え力士であった関係で島根県松江市・西光寺にも建立されています。
 西光寺にある墓には朝風石之助という力士の名も刻まれています。朝風は雷電の養子となった人物です。
 松江市にはこの他、雷電を召し抱えた松平不昧公が眠る月照寺に雷電の碑が建立されています。碑の撰文は小説「雷電」の作者尾崎士郎によるもので、碑の左下に月照寺に伝わる雷電の手形が刻まれていました。
 
西光寺:島根県松江市和多見町29
月照寺:島根県松江市外中原町179
撮影日:2013.9.14