茶人として知られる松江藩第七代藩主、松平不昧(治郷) | 墓守たちが夢のあと

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松平不昧公の墓
 
松平不昧公
 
 松江藩第七代藩主、松平治郷は江戸時代を代表する茶人の一人で松平不昧公の名で知られています。松江藩歴代藩主の中で最も名前を知られた人物でしょう。
 明和4年(1767)に、財政再建に失敗し失意のうちに隠居した父親の平宗衍に代わり家督を継ぐと、治郷は藩政改革に乗り出します。農業政策や治水工事を積極的に行い、木綿朝鮮人参などの商品価値の高い特産品を栽培することで財政再建を試みます。また、厳しい倹約令を敷き、これらの政策で藩の財政改革は成功を迎えます。
 しかし、財政が再建が成功した後に、茶人としての才能に優れていた治郷は、高価な茶器を多く購入するなど散財したため、藩の財政は再び一気に悪化したため、改革自体は家臣に任せ、治郷自身は政治に口出ししなかったという説もあります。
 茶人としての才能は一流で、「石州流」を学んだ後に自ら茶道流派「不昧流」を建て、「古今名物類従」や「瀬戸陶器濫觴」など、多くの著書も残しています。また、武芸にも優れ、相撲力士も多く召し抱えています。史上最強の力士と呼ばれた雷電為衛門も不昧公お抱え力士でした。
文化3年(1806)、家督を長男の斉恒に譲り隠居。文政元年(1818)に68歳で亡くなっています。
 
 
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廟門
 
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葡萄をデザインした彫刻
 
 不昧公の墓の廟門は、不昧公お抱えの名工小林如泥によるものと言われ、葡萄の透かし彫りが見事です。
 
月照寺「松江藩主松平家墓所」:島根県松江市外中原町179
撮影日:2013年10月26日
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