第七代横綱 稲妻雷五郎 | 墓守たちが夢のあと

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稲妻雷五郎の墓

 
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墓に建てられた縁故者を探す立札。
 
 松江市内にある誓願寺の墓所には江戸時代の名横綱・稲妻雷五郎の墓があります。本堂の前を走るJR山陰本線の高架を挟んで反対側にある墓所に墓はあります。
 雷五郎は享和2年(1802)頃に現在の茨城県稲敷市で生まれています。佐渡ヶ嶽部屋へ入門後に錦嶋部屋へ移籍し、松江藩抱えの力士となります。当時の松江藩の相撲頭取は史上最強の力士と呼ばれた雷電為右衛門でした。
 文政4年(1821)に初土俵を踏み、文政7年(1824)に新入幕を果たして、翌年には小結に昇進します。その後もスピード出世し、文政10年(1827)には大関へ昇進しています。1828年には第七代横綱となり、ライバルであった第六代横綱・阿武松緑之助とともに江戸時代後期の大相撲を大いに盛り上げました。
 当時の川柳には「雷電と 稲妻雲の 抱えなり」「稲妻は もう雷電に なる下地」と詠まれるなど、雷五郎は雷電と比較されるほどの強豪力士で、現役引退後は雲州相撲の頭取を務めています。「稲妻の 去り行く空や 秋の風ます」という辞世の句を残し、明治10年(1877)に亡くなっています。
 なお、漫画家でタレントでもある山咲トオル氏は、稲妻雷五郎の玄孫にあたるという事です。
 墓は東京にあるそうですが、繋がりの深かった松江にも墓が建立されたのでしょう。しかし、墓石は風化が激しく標識が無ければ誰の墓か分からない状態です。さらに、墓には縁故者が参拝した場合、お寺に連絡するよう書かれた立札が設置してあり寂しい限りです。
 
誓願寺:島根県松江市寺町101
撮影日時:2014.2.23