大関 釈迦ケ嶽雲右衛門 | 墓守たちが夢のあと

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右側が釈迦ケ嶽雲右衛門の墓

 
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釈迦ケ嶽雲右衛門の墓
 
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現地説明板
 
 島根県松江市にある正覚寺には江戸時代の大関・釈迦ケ嶽雲右衛門の墓があります。
 雲右衛門は寛延二年(1749)に現在の島根県安来市で生まれ、松江藩松平家のお抱え力士であった雷電為五郎(為右衛門ではありません。)の弟子となって大坂で初土俵。明和七年には(1770)江戸番付に東大関として登場しています。身の丈七尺五寸(2m27cm)の巨漢力士であったと伝えられ、巨漢力士は一般的に出世しない場合が多い中、成績は23勝3敗1分1預という高い勝率を残し大関にまで昇進します。しかし、安永四年(1775)に病のため二十七才の若さで亡くなってしまいます。
 東京の相撲と関わりが深い富岡八幡宮の境内には区有形文化財である「釈迦嶽等身碑」が建立されています。また、その近くには歴代巨漢力士の身長を比べた「巨人力士身長碑」がありますが、身長碑によると歴代3番目の高身長であったようです。行かれたかたは、その高さを実感してみてはいかがでしょうか。
 松江市・正覚寺の墓は山門をくぐって右手にあり、師匠の雷電為五郎の墓と並んで建っています。
 
島根県松江市中原町241