橋本左内の墓
橋本左内
吉田松陰のの墓がある小塚原の回向院には、同じく幕末の志士で安政の大獄にて処刑された、橋本左内の墓もあります。
左内は天保5年(1834)に越前国で生まれ、嘉永2年(1849)より、大坂に出て適塾で医者の緒方洪庵らに師事します。
当時、幕府では将軍継嗣問題で、春嶽ら一橋慶喜擁立派と紀州徳川家の徳川慶福を推す彦根藩主・井伊直弼を中心とする南紀派が激しく対立しますが、安政6年(1859)に、井伊直弼が大老となると南紀はが勝利し14代将軍・徳川家茂が誕生しました。
観臓記念碑
なお、小塚原回向院には隣接する小塚原処刑場より、処刑された遺体が運び込まれていたことから、明和8年(1771年)に杉田玄白らが刑死者の解剖に立ち会い、オランダ語医学書「ターヘル・アナトミア」の解剖図の正確さを確認した場所でもあります。この本は後に和訳され有名な「解体新書」として刊行されます。寺の壁には「観臓記念碑」が設置されていました。
荒川区南千住5-33-13
撮影日:2010.12.27