絲山秋子という名は、芥川賞受賞の発表で初めて聞いた名だった。
受賞作「沖で待つ」は、メーカー総合職の経験を生かして書いた作品だと
聞いていたので、そのうち読んでみるか、位に最初は思っていた。
だけど、朝日新聞「be」で彼女が取り上げられ、彼女の経歴を知るうちに
彼女に興味を持つようになった。
INAXで総合職として入社、営業職でバリバリと仕事をこなしていたが
躁うつ病になり、休職。その後復職するもまた躁うつ病になり、
2001年退社。
退社後、筆をとるようになり、文学界新人賞、川端賞を受賞、芥川賞も
2回候補に挙がり、今回3度目にして受賞になった。
10年やってきた彼女と、2年で退社した私とでは重ねるのもおこがましいが、
それでも、病に倒れるまで一生懸命(仕事もプライベートも)やってきた
彼女の描く世界に興味がわいたのだ。
「沖で待つ」は早々に図書館で予約したものの、やはり芥川賞受賞作だけあって
そう簡単には借りられそうになかったので、他の作品を借り出した。
今までに読んだ彼女の作品。
「イッツ・オンリー・トーク」 「袋小路の男」 「スモール・トーク」
なお、これらは本の名前なので、これらの中に「第七障害」とか
「アーリオ・オーリオ」とか短編集も含まれている。
そして、今まで読んだ中で一番気に入っているのが
「逃亡くそたわけ」。
タイトルは強烈、というかあまり品がないのだけれど、
内容はとても面白かった。
福岡の病院に躁うつ病で入院している「花ちゃん」と
軽いうつ病の「なごやん」の、病院からの脱走劇を描いたものだ。
舞台が福岡で、彼らの「逃亡」ルートが大分から阿蘇を経由して鹿児島、
最後指宿、薩摩半島最南端の長崎鼻というもので、九州に住んでいた私には
懐かしい地名が沢山でてきた。
「羽犬塚」(はいぬづか)とか「雑餉隈」(ざっしょのくま)とか見たときには
思わず懐かしい、と呟いたほど(笑)。
そして、阿蘇も、耶馬溪も、大学院時代に研究室旅行やプチ勉強会の途中で
行ったことのあるところだったし、
鹿児島~指宿~長崎鼻は私の大学院での卒業旅行先だったのだ。
開聞岳や、長崎鼻からの景色は、今でもよく覚えている。
絲山秋子が描く男女像は、決していわゆる「男女関係」があるものばかりではない。
簡単に「友達」と言い切ってしまえるものでもなく、
あえて言葉をつけるなら「同志」という感じだ。
いろんなことが素直に話せるけれど、男女の匂いは無く、友達でもない。
大学院時代にも、会社の同期にも、そういう関係の人が何人かいる。
女友達とはまた違う、よき仲間だ。
そして、出てくる主人公は割と自分を冷静に分析できていたりもする。
「逃亡くそたわけ」の最後、長崎鼻まで来た二人は、福岡に帰ろうというところで
終わるのだが、この数日間の逃亡生活が、心情描写も含めて、とても興味深かった。
躁うつ病の「躁状態」のことも少し知ることができたし。
私が今まで認識していたのとは少し違っていた。勉強になった。
去年の5月頃、うつ状態がひどくなって何もできなくなった時、
唯一できたのが東野圭吾の本を読むことだった。
忘れなければならなかった人に導かれた彼の作品は、殺人事件が多かったり
心理描写が淡々としていたりするせいか、読んでいるときは夢中になるものの、
読み終わった後なんともいえない焦燥感、不安感が広がった。
それでも、彼の作品を探しては読んでしまう。
いわば私にとって、麻薬的トランキライザーだった。
読み終わった後、不安定になるのがわかっているのに読んでしまう。
だけど、絲山秋子の場合、彼女の描く世界に穏やかに同調できるのだ。
そして、読み終わった後も、「ああ、こういう世界があったんだ、この世には。
私の創造の中だけじゃなくて」と、安堵さえ覚えるのだ。
この忙しい時期に読書なんて悠長にしている場合じゃないのはわかっているけれど
彼女の作品も探しては読んでしまう。
同調的トランキライザーだ。
ただ残念なことに、彼女は新鋭作家なので、作品が少ない。
図書館で保有している本でまだ私が読んでない本も残り3冊くらいになった。
(「沖で待つ」、「ニート」、「海の仙人」。ちなみに海の仙人は既に借りている)
公務員試験が終わる頃、また彼女の新しい本がでているかもしれない。
それに期待しよう。
今日は最後の模擬試験だったが、結果は惨敗。
この時期に、これはないでしょう。(自分ツッコミ)
「できてない」現実をしっかり踏まえ、仕事は言い訳にしないで、
最後のチャンスを生かさないと。自分自身のために。
もしあるんだとしたら、これからの私の未来のために。