お訪ね戴き、ありがとうございます。
アメーバの皆様、いつもお世話になっております。
いつも、“いいね”やフォローして下さっている皆様、本当にありがとうございます。
どれだけ勇気付けられ、励まされているか分かりません。
心から、ありがたいと思い、深く感謝申し上げております。
何しろ、私は77歳のこの歳でこんなことをしているもので、なかなか IT についていけないところもあって、88 TH メッセージ迄は、どうやって、写真をブログに載せるのか、やり方が分からなかったのですが、何とか、88 TH メッセージから、写真を載せられるようになりましたので、元々本業が写真家だった父の影響か、写真には興味があった方で、若い頃は、カメラを何台も持っていた時もあったくらいで、今は、スマホにカメラ機能がついていますので、道を歩いていても、ちょっと気に入った画面や花などがあれば、すぐシャッターを切って撮り留めたものもありますので、これからは写真も載せていくようにいたしますね。
今回は、真の幸せについてお話しさせて戴きたいと思います。
私が申す、真の幸せとは、財力、権力などの、物理的、三次元的欲望を満たすものを得る為に、良心が傷む、自らに恥じるような、魂を汚すような事をしなくても、宇宙から送られた命元々の、生まれたての赤ちゃんの時のような、汚れない、純白の、清らかな魂のままで、確かで輝く未来を信じる事が出来る希望に燃え、宇宙の法則の仕組みで高波動が響き合い、特別の感情を分かち合う、自然の縁で結ばれ、宇宙から与えられた、夫婦、両親や家族、友人や盟友など、自然の縁や絆を大切にしながら、宇宙から、自分だけに与えられた、個人特有の天分や才能を開花させ、心から好きで楽しいと思う事を、誠実に夢中になってするだけで、他人様の役に立ち、報酬が得られ、社会的に認められ、生かされている事を感じながら、生きている喜びに満ち溢れ、次代に命をつなげる為の宇宙の法則の仕組みで、一男一女以上を授かり、イキイキ躍動する、晴れやかな心で、堂々と胸張れる、命輝く、健全で建設的で安心な、我が子や孫、次世代の者達に、親と同じように、宇宙の法則に則った生き方をすれば、間違いのない、本物の幸せになれると信じさせてやれ、本物の幸せになれるお手本を見せてやる事が出来、子供や孫、次世代の者達に、心から尊敬、信頼され、愛する子供や孫達に囲まれながら、幸せのうちに天寿を全うする、真の幸せを永続循環させる、宇宙が、本来、この世に送った人の命全てに平等に与えた幸せで、母が、94歳の天寿を全うする迄、渇望し続け、母が産んだ、父の子供の、私や弟や妹や、孫達に与えたかった幸せでもあります。
言い換えれば、真の幸せとは、ただ、大きな財を得ることでもなく、権力ある立場を得ることでもなく、世間的に有名になることでもなく、金持ちと結婚することでもなく、自分が人生を終える時に、自分の人生はいい人生だった、思い残すことはないと思って死ねることだと思います。
宇宙は、上述の、真の幸せを得る為に必要な全てを、この世に送り出す人の命に、平等に与えています。
ただ、宇宙は、バランスを取ることで、正常を維持し、健全を回復するという仕組みを持っていますので、命をこの世に産み出してくれる親が、杉浦や弘子や鈴子のように、世にも残忍非道卑怯卑劣極まりないやり方で、何の罪もない者を犠牲にして、何の罪もない者に与えられる筈の、何億何兆以上積んでも買えない、甚大な価値を奪い切り続けて、産まれてくる子供の未来に与えられる恵みを先取りしている場合は、生まれ落ちた時既に、親が、子の、何億何兆以上積んでも買えない、甚大な価値の恵みを先取りしているので、真っ当な生き方をして、宇宙的ツケのない人生を生きている、宇宙的ツケのない状態の親の元に生まれた場合とは、当然違っています。
宇宙は、素粒子の化学融合で、この世のあらゆる物質を作り、生命を誕生させ、人類を誕生させ、振動する波のエネルギーである素粒子の波動を合わせて、陰と陽を引き寄せ合わせ、陰と陽を結ぶことで、新しい命を誕生させ、命を永続循環させるという仕組みを持っており、人間が得ている知識は、人類誕生後に、人類誕生以前からあることを発見したり、人類誕生以前からあるものに基づいて発明したりしただけのもので、その知識や技術を持ってしても、人間は、蟻一匹、自然の命を人工で作ることは出来ず、宇宙には、人類誕生以前から、人類を誕生させる仕組みがあったということですし、宇宙は、陰と陽という、相反する正反対のものを、波動を合わせて引き寄せ合わせて、結び付け、新しい命を誕生させ、そしてそれを、バランスを取ることで、健全と正常を維持しながら、永続循環させ、成長発展させて来た仕組みを持っており、そして、人類だけでなく、空、海、山の大自然も社会も、この世の全てを作った大元の仕組みを持っており、バランスを取ることで正常を維持し、健全を回復するという仕組みについても、宇宙誕生以来、狂いなく続けて、今日(こんにち)の発展迄、導いているのですから、人類誕生後、人間の都合で作った法律がどうであれ、まして、敗戦後、日本が、二度と、天皇陛下の為、お国の為、家族の為、愛する者達の為に命を捧げて戦うという気持ちにならないようにという、GHQ (連合国軍最高司令官総司令部)の目的を持って、マッカーサー主動で、宇宙のことも魂のことも蔑ろにして導入された、他者に対しての思いやりのない、自己責任の伴わない、個人の自由、個人の権利主張、左脳支配、顕在意識管轄、物理的存在である身体の欲望を満たす為の知識の詰め込みに偏った、戦後の間違った教育や、その教育に基づいて敷かれている政治体制や法体制、裁判制度の現況下で、杉浦や弘子や鈴子のように、どんなに巧妙で狡猾なやり方で法の網をくぐり抜けて、法的罰を免れることが出来たとしても、どんな高い知能指数をもって、どんなに、詰め込んだ知識をフル活用しても、そんなことが出来るのも、宇宙の仕組みで作られた、物理的存在である、身体的機能の一部の、顕在意識管轄の左脳に詰め込んだ知識のお陰で、そんなことが出来るようにしてくれたのも宇宙で、宇宙に敵う訳がなく、宇宙が、そんなことで、約138億年前から続けてきた法則や仕組みを曲げる訳がなく、宇宙は、絶対に、妥協も忖度もせず、そんなことは一切お構いなしに、容赦なく、粛々と、寸分の狂いもなく、宇宙の法則と宇宙の仕組みを、ただひたすら実行し切り続けて行くだけで、宇宙は、自分が命を与えた我が子の苦しみは、親にとって、これ以上ない苦しみと知っていますので、バランスを取ることで正常を維持し、健全を回復する宇宙の仕組みは、親の代で返せなかったもの、償わなかったものを、子の代の恵みを当てて支払わせてバランスを取っていきます。
杉浦や弘子や鈴子のように、親の代に、誰かを犠牲にしたり、誰かに不利益を与えたり、誰かを傷つけたりして、欲望を満たした者は、それに見合うだけの代償を、親の代で支払わなければ、宇宙は、次の世代で支払わせることでバランスを取っていきますので、親がそういうことをしていれば、その親の元に生まれた子は、真っ当な生き方をして、ツケのない人生を生きている親の元に生まれた子供と違い、運勢的に削ぎ落とされたものになります。
母親に宿る直前迄の人の命は平等でも、不倫をして、他人の本妻子に、この世でこれ以上ない苦しみを与え、何億何兆以上積んでも買えない価値を、本妻子から奪うことで欲望を満たした親の元に生まれた子供は、バランスを取ることで正常を維持し、健全を回復する宇宙の仕組みは、その価値に見合うだけの価値、親が償い切れない分に見合う価値を、非道や不倫をして産んだ子供の人生でそぎ落とすことでバランスを取っていきますので、非道や不倫をしない親の子供に生まれたのと全く同じ、幸せな人生が与えられるということはありません。
人間が作った法律では、不倫で生まれた子でも、子供に罪はなく、人の命は平等だとしていますが、宇宙は、杉浦や弘子や鈴子のように、親の代に、誰かを犠牲にしたり、誰かに不利益を与えたり、誰かを傷つけたりするなどの、親が犯した、償い切れない、甚大な罪の償いを、その親が産んだ子に課しますので、非道も不倫もなく、真っ当な生き方をして、ツケのない人生を生きている親の元に生まれた子供と全く同じ、幸せな人生が与えられるということはありません。
不倫でなくても、杉浦のような非道も同じで、母親に宿る直前の人の命は平等でも、どういう生き方をした親の元に生まれるかで決まり、子供の運勢が誰も皆同じ価値のものを与えられる訳ではありません。
その運勢的支払いが完済されれば、当然、人としての命の平等の幸せは保証されますが、杉浦や弘子や鈴子のようなやり方で他人から奪った価値は、人の一生分の価値でも贖うことが出来ませんから、こんな非道をしていない人の子供に生まれた人と同じだけの幸せを手に入れることが絶対に出来ないとは言いませんが、簡単なことではありません。全く同じであれば、それこそ、その方が、不平等というものです
杉浦や弘子や鈴子のように、親の代に、誰かを犠牲にしたり、誰かに不利益を与えたり、誰かを傷つけたりするなどの、親が犯した、償い切れない、甚大な罪の償いを課せられて生まれた場合は、まず、こんな非道を犯した自分の親の罪がどれほど大きく深いか、親が被害者に与えた苦しみや犠牲がどれほど大きく、深いかを知り、それと引き換えに自分の命がこの世に送り出されたことを知り、自分の一生かけても贖い切れないほどのことだということを知り、それでも、人としての命を授かったことをありがたいと思い、本妻家族の先祖であったとしても、この世に命を送り出してくれたことに感謝し、それでも、自分の命をこの世に送り出してくれた両親に感謝し、そういう状況の元でしか生まれることが出来なかった自分の前世からの因縁を知り、それでも人としての命を授けてくれた宇宙に報恩感謝の気持ちを持って、宇宙から与えられた使命を果たすべく、宇宙がこの世に送り出した他の命の為に役立つよう、与えられた命で全力を尽くすことを心に決めて、与えられた命が輝き、魂が納得する生き方をするよう心掛けることです。
そうすることで、親がどうであれ、親が何をしていようと、それでも、自分の命をこの世に送り出してくれた両親に感謝し、自分だけは真っ当な心で、宇宙から、自分だけに与えられた、個人特有の天分や才能を開花させ、上述の、宇宙から本来与えられた命の平等の幸せを享受することが出来ます。
私は、杉浦と弘子と鈴子に、世にも残忍卑怯卑劣極まりないやり方で、宇宙が、本来私に与える筈の縁と恵みの全てを破壊されて奪い尽くされたと言っても過言ではありません。
ずっとお伝えしているように、私は、中2から、杉浦非道暗躍のせいで、いじめ後遺症にされ、勿論、当時は、杉浦の非道暗躍のことも知らず、何故、自分がそんな精神状態になったのかなどということを考えることもなく、ただ、親しいと思って安心していた学友からソッポを向かれるようなことが続き、何かがおかしい、何かが変だと思いながら、疑心暗鬼になり、学級委員に選ばれ続けていたというのに、クラスの誰も信じられず、それが苦しく、学友に心を閉ざし始めた訳で、それでも、今から思えば、杉浦と大井以外に、もう一人、私をライバル視して、学級委員になりたいと思う女子がいたのですが、その女子と大井と杉浦以外の女子は、私を選んでくれていた訳で、だから、中2の2学期、大井が私にとって代わって学級委員になって以後も、私は卒業する迄、二番手の会計に選ばれ続けた訳で、ちなみに、杉浦は、それでも、学級委員にも、二番手の会計にも選ばれず、学級委員選出選挙の候補にも名前が上がらず、私にとって代わって学級委員になったのは、大阪から転校して来た、男子の学級委員に選ばれ続けていた小谷に取り付いていた大井で、クラスの者は、転校生を学級委員に選んでも、杉浦を学級委員に選ぶことも、学級委員選出選挙の候補にも名前を挙げることもしなかった訳で、クラスの女子の殆どは、中学を卒業する迄、私を選び続けてくれていたのですが、それでも、私の心は、警戒心を解かず、誰にも心を開かなくなっていました。
それが、いじめ後遺症になっていたということですが、それが分かって、いじめ後遺症から抜けたのは、68歳になってからで、それ迄は、ある意味で、私は心を破壊されたまま、今の言葉で言うならば、メンヘラの状態で、父の愛人の弘子や弟の愛人の鈴子の為に、そして、杉浦の為に、宇宙から本来私に与えられている筈の縁と恵みを破壊され続け、奪われ続けている中で、結婚も出来ず、女一人で生き、弟や妹や母を守りながら生きていた訳で、私だって、若い時は、それなりにチャーミングで、年頃になれば、声をかけてくれる男性だっていましたが、というか、声をかけてくる男性は、両手両足の指で足りないくらいありましたが、私自身は、心が壊れていて、誰かを好ましく思うことを避け続けている間に、誰かを好ましく思う感情自体が壊れてしまっていて、誰のことも好きだとは思えなくて、年頃の皆がそれぞれ相手を見つけて幸せそうにデートをしたりしていても、好ましく思う感情が湧いてこないのだから、普通に付き合える異性が出来る訳もなく、いじめ後遺症にされていて、親しいと思う学友から次々に突き放され、私は自分を否定し、自分に、人から嫌われる何かがあるから、そうされるのだと思い込み、今で言う自己肯定感、ゼロマイナス以下で、感じる心が破壊されているので、好きも嫌いも分からず、嫌ということが出来ず、私自身が、人から突き放されて傷付き過ぎているので、誘われても、私がノーと言えば、相手が傷つくと思い、自己否定し、自信など全くない私でしたが、責任感と義務感だけはなくなっていなかったようで、そんな私が思っていたことは、こんな私の為に誰かを傷つけることだけはしたくない、してはならないということで、男性から誘われても傷つけてはいけないと思って、断ることが出来ず、こんな私を誘う限り、私と何か話したいことがあるに違いないと思い、私も、人から嫌われ続けて傷ついている人間ですので、私を誘ってくれる人とは、何かの縁があるかも知れないし、私がこんなことをされる理由を知っていて、教えてくれるかも知れないという気持ちもあって、誘われれば、一応デートにだけは応じるのですが、年頃の若い男性が年頃の若い女性を誘う目的とは全く違う私の心で、当然、相手の男性は、何度かデートすると、何かが違うと察する訳で、手を握り合うこともなく、向こうから去って行くことの繰り返しで、私にしてみれば、私を変な人間だと思って去って行ってくれても構わない、私が傷つけない形で、向こうから去ってくれれば、それが一番いいと思って、わざとおかしな奴だと思われるような言動をした時もあったと思いますが、それでも、私から断って相手を傷つけるよりはいいと思っていただけで、こんなことをしていて、まともに付き合える男性が出来る訳もなく、今にして思えば、私の心の奥底では、私の心が、こんなにも傷つき、悩み、迷い、混沌とし、苦しんでいるのに、能天気に、私の見てくれだけに引かれて、私とデートしたいなんて、本当の私を知ることもなく、見せかけだけでしか、私を判断しないような人に、私を誘う資格などない、そんな人と親しくなる気は、私にはない、人の気も知らないで、能天気に、見せかけだけに引かれて、私に声をかけて、二、三度話しただけで、私を変な人間だと思って、自ら去って行くなんて、うんと私に失望すればいい、二度と私に声をかけるなと、私の心の奥底の苦しみやカオスを知ろうともせずに、見せかけだけで私に声をかけた男性に対しての復讐心のようなものがあったように思いますが、失礼なことですし、もったいないことでしたが、何しろ、その時の私は、メンヘラでしたので、そんなことは分からず、勿論、今のように、そんな自分の心を素直に言葉に出して言うこともありませんでした。
この3人が、宇宙が、本来私に与えてくれる筈の縁と恵みを奪い尽くさなければ、心が壊れることもなく、私は、間違いなく、上述の真の幸せの全てを手に入れることが出来ていたと思います。
ただ、この3人が、宇宙が私に与えてくれる筈の縁と恵みの全てを奪ったとしても、私の命と、私の命に組み込まれた、宇宙と私の先祖と私の両親が私に与えてくれたギフティッドと言ってもいい、天分や、正義感や良心や、他者を思いやり、いたわる心や、真に人を愛する心や潔癖な心や、何者にも汚されることのなかった、魂迄は破壊することが出来ず、奪うことは出来ず、私に与えられる筈の縁と恵みの全ては破壊されて奪われたとしても、それ故に、結婚することも出来ず、家族を持つことも、子供を持つことも出来ず、世間並みの財力など、左脳支配、顕在意識管轄、物理的存在である、身体の欲望を満たす為の、物理的三次元的なものは得ることが出来なかったとしても、そんなものは、この世での使用期間が終リ、宇宙から身体的命を召し上げられれば、この世においていかなければならないもので、宇宙迄持って帰れるものではなく、そんなものを持つことが出来なかったとしても、いじめ後遺症から抜けて、破壊された心が回復し、人間らしい心が甦り、宇宙から与えられた、本来持っていた筈の自己肯定感が回復した時点で、彼女達が破壊することが出来なかった、魂や良心や正義感や天分や、宇宙と繋がっている、宇宙が与えてくれた、私本来の、私以外の人に対する本物の愛を元手に、宇宙にも両親にも先祖にも、報恩感謝の気持ちで生きて、この世の全ての方に、宇宙から与えられた元手で社会的に貢献し、お役に立てる恩返しをする生き方を、宇宙から命を召し上げられる迄続けることで、私の人生は意味があった、この世に生まれた甲斐があった、私の人生は、喜びと感動に満ち、楽しく、躍動していい人生だった、何も思い残すことはないと思って死ぬことが出来るというものです。
勿論、杉浦や弘子や鈴子のような人でなしの女に、折角宇宙から授かった縁と恵みを奪われないことが一番よく、そういうことをされずに、両親の不倫がなく、宇宙から本来授かった、自然の縁と恵みで、幸せな結婚をし、宇宙から与えられた天分を開花させて、物理的、経済的、社会的立場を保証され、満たされた上で、上述の真の幸せを掴むことが出来れば、それに越したことはありませんが、私はこの三人の女達に、友情や家族を破壊されて奪われ、結果的に心を壊され、それ故に、人を慕わしく思うことも出来ない精神状態にされ、それ故に、自分の家族を持つことも出来なくされた訳で、宇宙は、彼女達が、何億何兆支払っても、その償いが出来ると判断する訳がなく、彼女達の一番大事な、彼女達が産んだ子供の人生で贖わせて行くことでバランスを取る訳ですが、この3人の女達のように、他人に行く筈の縁と恵みを取り、何の罪もない本妻母子や、何の罪もない人間を犠牲にし続けて得たもので、仮に、仕切る立場を得ても、家族を持てても、いずれ、子供共々、破壊した価値と、犠牲にした者達の苦しみや価値に匹敵するものを、自分と自分の子供から剥奪されることで、宇宙から制裁されてバランスを取られ、宇宙から、折角授かった、人としての、体に宿る魂を汚し続け、折角授かった、本来の素晴らしい人生を生きることが出来ず、人としての命ある人生を、非道で汚された人生にするだけで、見せかけや世間体だけは幸せなように見えても、決して、上述の真の幸せではなく、真の幸せは、左脳支配、顕在意識管轄、物理的存在である身体の、物理的 3次元的欲を満たす為の、財力、権力、結婚などを得ても、宇宙が認めた自然の縁で自然の流れで、本当に宇宙から与えられたものでなく、誰かを犠牲にし、非道な手段を使って手に入れたもので、杉浦や中本のように、金も地位も権力も結婚も得ていたとしても、命が召し上げられる時に、宇宙に持って帰れるものではなく、そんなものを手に入れる為に、他者を犠牲にする為の非道を犯し続けて、自分の人生を汚し続けただけで、物理的欲望を満たす為の全てを手に入れても、真の幸せにはなれてない訳で、私は、物理的欲望を満たす為の、財力も権力も立場も家族も、得ることが出来なくされても、今からそれを得ることが出来なかったとしても、この三人の女達に、宇宙が私に与えてくれる筈の縁と恵みの全てを破壊されて奪われ、天文学的数の価値を剥奪され切った中で、左脳支配、顕在意識管轄、物理的存在である、身体の欲望を満たす為の、物理的三次元的なものは破壊されて奪い尽くされたとしても、三人の女達に強いられた苦しみと試練のお陰で、導かれ、守られながら、宇宙の真実に気付かされ、私の命がこの世に送られた意味を知ることが出来、それでも、宇宙の配剤で、宇宙が私に与えてくれた命に感謝し、この3人の女達の為に、生き地獄を強いられた母や弟の本妻の無念を晴らす為に生きることが出来、少しでも、同じ苦しみを持つ人達のお役に立つことが出来、杉浦の為に、汚され、歪め切らされた、母校皆実高校、学園社会を、本来の健全で正常にする為に尽力出来ている訳ですから、私の人生は意味があった、私の命がこの世に送られた意味や価値があったと思うことが出来、この世に生まれた甲斐があった、私の人生は、喜びと感動に満ち、楽しく、躍動して、いい人生だった、何も思い残すことはないと思って死ぬことが出来るというものです。
杉浦や父の愛人の弘子や、弟の今の女の鈴子が逆立ちしても、何をしても、どんなにあがいても、決して、手に入れることの出来ない、心から納得する幸せな人生を、今、手にすることが出来ていると思っています。
杉浦や二人の愛人達の非道なしに、宇宙から本来与えられる筈の全てが自然な状態で与えられ続けて、自然な波動で引き寄せ合った運命の相手と結ばれ、子供を授かり、家族を持ち、上述の真の幸せが与えられたのなら、それに越したことはありませんが、この三人の女達のように、他人に行く筈の縁と恵みを取り、何の罪もない本妻母子や、何の罪もない人間を犠牲にし続けて得たもので、仮に、杉浦のように仕切る立場を得ても、愛人達のように家族を持てても、いずれ、子供共々、犠牲にした者達の苦しみや、破壊した価値に匹敵するものを、自分と自分の子供や孫から剥奪されることで、宇宙から制裁されてバランスを取られ、折角宇宙から授かった、人としての体に宿る魂を汚し続け、本来の、人としての、魂輝く、素晴らしい人生を生きることが出来ず、自らの非道で汚した人生にするだけで、見せかけや世間体だけは幸せなように見えても、決して、上述の真の幸せではないのですから。
実名公表についてですが、このことについては、何十年も悩み続けてきたのですが、大井だって、杉浦の、学級委員に選ばれ続けた私を学級委員から引きずり下ろすという魂胆がなければ、男子の学級委員に選ばれ続けた小谷に取り付かされることはなく、その小谷が、私と同じ皆実高校に入学した為に、小谷が私と親しくなって、中学の時のことを私に告げ口する心配をなくする為に、中学卒業後も、大井が小谷と付き合い続けるということもなく、その大井が、小谷と別れて、東京の大学で知り合った男性と結婚後、5年で寡婦になることもなく、小谷も、大井が小谷と付き合っていたのは、私を学級委員から引きずり降ろすのに利用する為で、自然な好意からではなかったと分かった以上、大井と付き合い続けることも結婚することも出来ず、私に全てを打ち明けて償うことも出来ず、牧師になり、宗教の道に入ることで、魂の救いを求めるしかなくなったということは、容易に想像がつく訳で、小谷をそんな状況に追い込んだのは、間違いなく、杉浦と大井で、この度の中本の死も、あの自転車の思い出で、私への好意を公にした中本と私が親しくなれば、中本を通して、皆実高校の皆に、杉浦が中2から続けた非道が発覚することが恐ろしくて、それを阻止する為に、この思い出後、私と中本を親しくさせない為のことで、中本は、その為に、私貶め嘘を呑み込まされ、騙され切って、私を学園社会で抹殺し切り続ける道具に利用され続けた挙句の果てに、宇宙から制裁を受けて、会長になる寸前で命を召し上げられた訳で、それだけではなく、杉浦の魂胆と、中2から、杉浦が仕切る立場欲しさに犯し続けた非道や魂胆を隠されたまま、旅行や忘年会や同期会などに誘われ、集わされているうちに、杉浦の非道をなかったことに見せかけるのに利用され、非道が発覚しても、庇う為の人垣にされ、気付かないうちに、シカトいじめ集団にされてしまった、幹事になった中本と中本の相方になった杉浦のサポート組織としての集いのメンバーで、彼らは、気付かないうちに、運勢を削ぎ落とされ、若いうちに妻子を失った者や、伴侶を失った者、上述の真の幸せとは、ほど遠い者が異常に多いという集いの実態で、杉浦と、2人の愛人達のやり方は、絶対に自分が犯人だと分からないように、自分が罰せられたり、訴えられたり、慰謝料を取られたりされないようにして、何億何兆以上積んでも買えない価値を、何の罪もない他人から強奪する為に、狙った、何の罪もない者達を貶めて、社会的に抹殺し、宇宙が意味あって結んだ縁を破壊し、犠牲にする者にとって、かけがえのない、大切な縁者に取り付いて、宇宙が意味を持って、波動を合わせて引き寄せ合わせて、自然の縁で結んだ本来の縁者を貶めて嫌わせて、女の体や、見せかけだけ良い環境などの、何らかの餌を与えて支配し、宇宙が意味を持って結んだ本来の縁者にひどいことをさせて、犠牲にした、何の罪もない者のかけがえのない縁者の後ろに隠れながら、縁を壊し続けて、縁と恵みを取り切り続けるという手法で、関わる者全て、テリトリーの者全てを騙し切り続けることで、その非道を犯して得た立場の安泰を図るということをし続けて、何の罪もない者を犠牲にし続け、騙された関係者全て、テリトリーの者全て、気付かないうちに一蓮托生にされて、何の罪もなく、犠牲にされた者を排除する道具にされ、気付かないうちに、 非道の仲間にされ続けて運を落とすことになりますし、又、犠牲にされた、何の罪もない者は、一番信頼していた人から、ある日突然、ひどい目に遭わされて突き放される訳ですから 誰を信じていいか分からなくなって、精神的におかしくなる訳で、そういうことをしておいて、何の罪もない者を人間的におかしくしたのは、何の罪もない者に来る筈の恵みの全てを奪う為に、何の罪もない者が一番信頼している人間にとりついて、罠に嵌めて、自分を酷い目に遭わせたからなのに、何の罪もない者が人間的におかしいから、本来の縁者に嫌われるし、皆に嫌われるので、人間的におかしくされた、何の罪もない、酷い目に遭わされた者が悪いのだ、他人に行く筈の恵みを取る為に、世にも残忍非道、卑怯卑劣極まりないことをして、他人に行く筈の恵をとった自分は悪くないということにし、そういう見せかける為の、ありとあらゆることをして、何の罪のない、犠牲にされた者を、この世で、これ以上ない、つらい、生き地獄の目に遭わせて、何の罪もない者を、おかしい人間扱いし続けて、貶め続けて社会的に抹殺し続けて、何の罪もない者から、人生を守る為の全てを奪い切り続けていくわけで、狙われた、何の罪もない者は、本来、宇宙から与えられる筈の全てを奪われ続けて、まともな人生を生きていくことが出来なくされる訳で、狙われた、何の罪もない者は、誰が犯人か、何の為にこんなことをしたか、何故こんなことをされるのか、ハッキリさせなければ、何も悪いことをしていないのに、自分に与えられる筈の全てを剥奪する為に、自分の知らないところで貶められて、宇宙が意味を持って、波動を合わせて引き寄せ合わせて、自然の縁で結ばれた本来の縁者である、自分の一番大切な人から突き放されて、訳が分からず、おかしな行動を取らされて、人間的におかしいということにされて、社会的に抹殺され続けて、死ぬ迄、謂れのない汚名や濡れ衣を着せられて、自分に与えられる筈の恵みの全てを剥奪され続けていく、生き地獄に突き落とされたままになる訳ですから、この手法で他人に行く筈の恵みを取る者達に犠牲にされた、何の罪もない者は、何の為に、宇宙と両親と先祖から命を与えられたか分からなくなりますので、母や私や弟の本妻は、この手法で他人に行く筈の恵みを取る、杉浦や父の愛人の弘子や、弟の今の女の鈴子、この3人の女達にこんな目に遭わされ続けている訳で、実名を公表して、誰が何の為にしていることかはっきりさせない限り、汚名をそそぐことも無念を晴らすことも出来ず、生き地獄のままですし、これ以上、被害を拡大させない為にも、これ以上、傷を深くさせない為にも、 魂胆と目的を隠されて、騙されて利用されて犠牲にされる者が、これ以上増えないようにする為にも、これ以上、被害を拡大させない為にも、実名を公表して、本当の犯人が誰であるか、何が原凶であるか、明らかにするしかないと判断し、実名を公表するしかないと、見極め切って、決断しました。
いじめ後遺症から抜けなければ、これだけの寸評を戴ける歌は歌えませんでした。
この評価が戴ける歌を歌う為には、いじめ後遺症から抜けることが絶対に必要でした。
心を壊された状態で、心を声で表現することは、絶対に出来ないからです。
杉浦の非道暗躍がなければ、私がいじめ後遺症になることもなく、もっとずっと若い段階で、私は今より若くて美しい声で、この寸評が戴ける歌が歌えて、父からも、心からの高評価を得られて、父と歌について語り、父と共に歌うことが出来ていて、それが出来ていれば、父が愛人に取り付かれることもなく、愛人と蒸発することもなかったのは間違いなく、杉浦は、私からも父からも、この至福の幸せを奪いました。
そしてその、父と私の至福の幸せな時間があれば、父は、絶対に、愛人に蒸発させられることはなかった訳で、私がいじめ後遺症にされていなければ、父の蒸発はなかった、私がいじめ後遺症にされたことが、父の蒸発を誘発したと、私が言っているのは、こういうことで、杉浦非道の罪の深さと大きさは、どこ迄拡大しているか分からず、そして、このまま放置すれば、これからも、どこ迄拡大していくか分からず、杉浦が、直接、父や父の愛人に何かした訳でなくても、杉浦が仕切る立場でなくては気が済まず、自然に選ばれ続けた私を学園社会で抹殺し切り続ける為に、私貶め嘘の蔓延は言うに及ばず、色仕掛けも抱かせも、シカトしなければシカトの対象にする、シカトいじめの仕組みもありの、ありとあらゆる非道で破壊し、失わせた価値は、天文学的数値になると、私が言っているのは、こういうことです。
いじめ後遺症から抜ける為には、集いに入って、杉浦非道の真実を知ることが、絶対に必要だった訳で、杉浦が、選ばれ続けた私にとどめを刺し、中2からの杉浦非道をなかったことに見せかけ、杉浦非道を、絶対に誰にも分からなくして、中本と2人で会長と副会長になる為に、私が、中本からも集いの皆からも嫌われたということにして、集いから締め出し、私が集いに来る心配を絶対になくする魂胆で、私を集いに呼んだことが、私をいじめ後遺症から抜けさせ、全ての事実を分からせ、こうして、同窓の皆に事実を知らせることが出来て、いじめ後遺症から抜けて、これだけの評価を戴ける歌を歌えるようにしてくれたということで、全ては、宇宙の配剤だと絶対的確信を持っています。
杉浦は、選ばれ続けた私にとどめを刺す為に、私を集いに呼び、 宇宙は、杉浦に自らの墓穴を掘らせ、私をいじめ後遺症から抜けさせ、私本来の、高い自己肯定感を回復させ、杉浦に、歪め、汚された学園社会を、本来の健全で正常に回復する力を私に与える為に、私の人生の総仕上げの為に必要な全てを私に与える為に、私を集いに呼んだ訳で、私を集いに入れた目的は、 宇宙と杉浦とでは、これだけの違いがあった訳で、どんなに高い知能指数を駆使しても、左脳支配、顕在意識管轄の知識を駆使して、物理的存在である身体の欲望を満たすだけの為の動きは、所詮、人類そのものを作り、130億年前から、バランスを取ることで、本来の健全と正常を回復する、宇宙の法則の仕組みで、今日迄の文明と発展を築いて来た宇宙には、足元にも及ばず、杉浦が、どんなに、宇宙の仕組みで授かった体に、後天的に付随している、左脳支配、顕在意識管轄の高い知能指数を駆使して、先の先迄読んで、非道をどこ迄も続けて欲望を満たそうとしても、こういう結果になるとは、予測出来る訳もなく、宇宙にはかなわなかったということです。
私が歌う時に心がけていることは、歌詞ではなく、歌詞に込められている思いを、自分の感情として、聞き手に分かって貰おうとして、メロディー に載せて歌っているだけです。
歌詞を、ただメロディーに載せるだけで、宇宙から授かった物理的存在である肉体についている声帯から出るだけでは、どうしても、声に奥行きがなく、平べったい声になるのですが、歌詞に込められている自分の思いを、その歌詞を使って、聞き手に分かって貰おうという意識で、メロディーに乗せた時に、物理的存在である体についている声帯が、宇宙からのエネルギーを含んで、奥行きのある深みのある、心に響く声になります。
それが、宇宙とつながった、宇宙のエネルギーのこもった、奥行きと深みと響きのある、力強い、魂の声になります。
それは、目に見えない、歌詞に込められた自分の思いが、宇宙と繋がっているからです。
逆もまた真なりで、どんなに歌が上手くなりたいと頑張っても、思うように歌えない人は、かつての私のように、心に何か問題を抱えているかも知れませんね。
中本が、私が手紙で伝えた、上記のようなアドバイスをちゃんと守って、尾崎紀世彦のまた逢う日までを歌った時に、97点を叩き出すことが出来たのは、私のアドバイスを忠実に守ったことに加えて、未だその時は、杉浦の、私を集いから締め出す為の締め付けがかかってない時で、私と屈託なく集えて、欲も得もなく、利用でもなく、ただ、彼のことが好きで、彼のことを、暖かい目で見守っている、宇宙に恥じない、清らかな関係の思い出の相手の私がそばにいることで、自己肯定感が高くなり、精神的に強くなっていたこともあると思います。
それは、自己肯定感が高く、人としての感じる心が正常で、屈託ない、明るく強い心を持っている人は、上記のコツさえ掴めれば、誰でも、人の心に響く、 深みのある魂の声で、力強い歌が歌えるということを証明しています。
言い換えれば、心に響く、力強い、深みと奥行きと響きのある声で、人の心を打つ歌を歌う為には、左脳支配、顕在意識管轄の、歌の技術より、まずメンタルの回復がだということになります。
そして、同様の声で話す為には、左脳支配、顕在意識管轄の、言葉や知識を詰め込むより、まずメンタルを回復し、自己肯定感を回復し、強い心になることが先だということになります。
私は、その人の生年月日やお話を伺って、その人の現状を知り、その人の現状の心を知り、その人の心の何が、その人の素晴らしい未来の為に引っかかっているかを察知し、何が本当の原因でそういう心になったのかを察知し、運勢の妨げになっている心を自然消滅させてあげて、その人が宇宙から授かった 本来の幸せを取り戻させてあげるのが仕事で、特別のご縁があった、独立して最初からの方や、常連の、長いお付き合いのご相談者の方や、私のその導きをちゃんと守って実行された方は、ご来所当初の悩みから解放され、その時からの真の望みを叶えられ、笑顔の暮らしを取り戻しておられますが、そういう仕事をしていますので、中本の心の闇も、いち早く察知し、中本夫婦が本当の仲良い夫婦になるための奥さんに対する言葉を教えてあげて、妻と夫、陰と陽がしっかり結ばれた強い心で、彼が宇宙から授かった 本来の幸せになる為に必要なことを教えてあげて、本当に生きていて良かったと、心の底から、魂の芯から、喜びに溢れ、心の芯から輝くオーラを発し、次期会長としてふさわしい心で、生きている喜びに満ちた人生に導いてあげるつもりでしたが、対面でそれをすると、彼が、心の闇を私に察知されて、心に抱えているしこりを溶かしてあげることで、私への思いが止められなくなって、万が一の過ちが起こってはいけないので、手紙でアドバイスという方法をとって、集いから引いても、2年くらい、平成28年くらい迄だったと記憶していますが、着拒されてなかったので、毎日ショートメールを送り続けて、彼を導こうとしたのですが、大林と組んだ、杉浦の締め付けには敵わず、中本は、宇宙からの制裁を受けて命を召し上げられることになりました。
これも、以前ブログで書いたことがあるのですが、駅ビルの占い所にいた時に、明確に私を辞めさせようとして、私の知らないところで、社長と会長に、私が近々結婚するので、私に目をかけても意味がないと吹き込んで、(これはそこを辞めてから偶然に出会った会長から聞いたことですが、)私を締め出し、その駅ビルの占い所を買い取った女性占い師が、3年後ぐらいに亡くなっていますし、私が独立してから、私をライバル視して、自分のところに来る客来る客に、私を貶めるひどいことを言いまくって、その、私に対する貶めがあまりにもひどいので、彼のお客さんが私のところに、電話をして来られて、大丈夫ですかと心配して下さったこともありますが、広島ではちょっとした有名な男性占い師で、竹宮田楽と言ったと思いますが、そういうことを始めてから、何年か経って死んでいますし、中本には、私が集いにいる時、目の下まぶたに出来物が出来、今のようなことを続けていると、それくらいでは済まなくなるよと忠告したことがあり、今となっては、その忠告が的中したということになりますが、結局、中本も、大林と組んだ杉浦の意向で、私を、二度と集いに参加することができないほどの突き放しの実行犯となって、私を集いから締め出しましたが、私の存在が都合悪くて、私を社会的に抹殺しようとした三人の人間が命を落としており、私は、彼らに嫌がらせをされて困ったなとは思いましたが、呪ったことなどないのに、そういうことになって、私は、自分で自分が怖いなと思うこともありますが、私自身は、彼らに対して何もしていないので、因果応報かなと思っておりますが、ただ、中本だけは、なんとか、杉浦に嵌められた罠から脱出させたいと思っていましたが、力不足で それが敵わず、宇宙から命を召されることになってしまって、残機に絶えず、本当に残念です。
この流れで読んでいくと、宇宙と、母校皆実高校の神様と、亡き、母校皆実高校の先輩方の御魂は、母校皆実高校同窓会学園社会を、本来の健全で正常な状態に戻す動きの最終段階に来ており、私のこの勘が違っていなければ、その妨げになる者の命を、これから、容赦なく、次々に召し上げ続ける気がしており、そして、次にターゲットにされる、母校皆実高校同窓会学園社会を、個人の権力欲を満たすことに利用している者達が誰か、今の私には、何人かの、おおよその見当、予測がついておりますが、名前を特定すると、運勢的にではありますが、余命宣告をすることになりますので、名前の特定はしませんが、心当たりのある者は、すぐに心を改め、段中出身の者であれ、どこの中学出身の者であれ、母校皆実高校同窓生なら誰でも、屈託なく、集いと定期総会に参加出来、杉浦や幹部達の睨みを恐れず、屈託なく、懐かしい思い出話などを話せ、母校皆実高校同窓生の集まりにふさわしく、欲も得もなく、純で清らかな学生の時の心に戻って集い合える、母校皆実高校同窓会学園社会にすべく、母校皆実高校同窓会学園社会を、本来の健全で正常に戻す為に全力を尽くすことで、宇宙からの制裁を回避して欲しいと思っています。
私は、その人の声と話し方で、嘘をついているかどうか、何か魂胆を持って話しているかどうか、本心を正直に話しているか、いないかなどということが分かります。
話す内容より、声と話し方で、その人が本心を話しているかどうか、信頼に足る人かどうか、本能的に察知します。
人間は、左脳支配、顕在意識で仕入れた知識を言葉で、嘘をつくことが出来ますが、声は嘘をつきません。
物理的存在である身体に付随している声帯だけで、左脳支配、顕在意識で仕入れた知識を駆使して話している声と、宇宙と繋がっている魂が納得している本心からの声とでは、違いがあるので、本能的に察知してその違いを嗅ぎ分けることが出来るのです。
人間には誰でも、その本能がありますので、こういう人は多いと思います。
私が子供の頃から知りたかった、来宮良子さんの声が、どうして、無条件に、突き刺さるように、心に響いて伝わってくるのかの答えは、それだった訳で、ということは、感じる心が壊されてなく、そのことさえ分かれば、誰でも、心に響く素敵な声で話せ、誰でも、心に響く、素敵な歌が歌えるということで、それは、いじめ後遺症から抜けたからこそ、分かり、出来たことです。
そして、そのことが分かった限りは、それが ちゃんと具現化出来て、私の歌が、聞いて下さる皆様の心を打つに足るものか、どうか、社会的評価を受けなければならないと思っています。
宇宙と繋がった宇宙のエネルギーのこもった、奥行きと深みがあり、響きのある魂の声と、物理的存在である体についている声を出す機能としての、声帯だけの、奥行きのない、口先だけの、平べったい声とでは、営業をするにしても、プレゼンするにしても、講習するにしても、歌うにしても、人の心に入っていく力が違いますし、感動を与えるか与えないかにおいても、大きな違いがあります。
話す内容以前に、声の力というものがあるので、それは、先ほど言ったように、言葉だけを羅列するのと、言葉や歌詞、一言一言(ひとことひとこと)に込めてある思いや、自分の感情を、その言葉を使って、自分以外の第三者に分かって貰おうとして発することの違いで、伝えようとするのは、言葉ではなく、 言葉が持っている意味や、意味に対して、自分が持っている、或いは、感じている思いで、私は、電話営業で異例の抜擢を受けて東京に出向になり、全汎社を抑えて、全国トップになることが出来たのは、宇宙と先祖と両親から授かった声のお陰だと、今は思っております。
私は誰と話す時も、口先だけで、仕入れた知識を話すということは絶対になく、自分が心の底から思っていることを、全身全霊で相手に伝えようとして話します。だから、初対面のご相談者の方も、感動され、中には号泣される方もあり、そして特別にご縁のある方は、常連になって下さるのだと思っていますし、お客様の中には、最初に問い合わせの電話をした時に、声を聞いて安心して、ご来所を決めたとおっしゃって下さる方もあります。
そしてそれは、誰でも、上記のことが分かれば出来ることで、詰め込んだ知識を、物理的存在である、身体についている声帯機能を使っただけの、口先の、平べったい声では、言葉の意味が、左脳的、知識的に伝わっても、心の中に迄響かず、その言葉に、よほど感動を生む内容があれば、その言葉で感動することはあるかも知れませんが、声の響きとして、話し手の思いとして、心に響く迄の感動には、なり難いと思います。
私の父もですが、私の父方の兄弟は誰も皆、ひっくり返るほど歌が上手く、弟も妹も、同様に上手くて、私と母だけが、歌はダメだと皆に思われていて、だから、弟も妹も、私や母を馬鹿にして、嫌なことは全部、母や私に押し付けて、嘘と口先と見せかけだけの優しさの愛人達を立派な女だと思い込まされて、母や私から逃げ回っているので、だからこそ、いじめ後遺症から抜けた本当の私の歌を、世間様から評価して戴いて、私の言うことに耳を貸すことが出来る精神状態にしてやりたい、その為にも、歌に関して、ここ迄分かった、私の歌の評価を社会的に受けなければならないと思っているのですが、決して、目立ちたい訳ではありませんが、三人の女達の非道がどれほどのものか、弟や妹達、同窓の者達、関係者の方々、より多くの方々に耳を傾けて貰う為にも、いじめ後遺症から抜けた今の私を社会的に高評価して戴く必要があり、これだけの天から授かったものを持っていても、杉浦や愛人達の為に、表現することも、本来の力を発揮することも出来なかったのだということも分かって戴き、杉浦や愛人達の非道を止めなければ、これからも、まだ、弟の本妻の子や、次の世代の犠牲になる者が増え続けますし、いじめや不倫などの、こんな非道は、引いては、社会的損失が拡大し続けていくことに繋がるので、より多くの方々に理解して戴いて、いじめや不倫などの、こんな非道に警鐘を鳴らし、より多くの方々の応援やお力添えを戴いて、こんな非道を止めさせ、人でなしの三人の女達に歪められた全てを、本来の健全で正常な状態に戻さなければならないと思っており、その為に、客寄せパンダになってもいいと思っています。
いじめ後遺症から抜けて、感じる心が回復して、自己肯定感が通常に戻ってからは、これだけの評価が戴ける歌が歌えるようになった訳で、そして母も、母の母、私の祖母の先祖は、浅野家の家老で、浅野家の墓守りをしていたそうで、代々庄屋の家系だそうですが、母の母、私の祖母は、当時としてはやんちゃだったようで、母の父(私の母方の祖父)が、母を、母の母(私の祖母)に宿らせて、結婚の承諾を得るからと言って九州の実家に帰ったまま、母の母、私の祖母の所に帰ってこなかった為に、私の祖母は、母を母の祖母に預けて、他家に嫁ぎ、母は、子供の頃から、父なし子のことだそうですが、ほりたごと言われて、いじめられていたそうで、いじめ後遺症にされていた可能性が高く、そのことがあるから、母は父にぶたれても蹴られても、生活費を入れられなくても、私達から父親を失わせたくなくて、ただじっと耐えていた訳で、母が50代、私が30代の頃だったと思いますが、母はそういう事情で、父親の顔を知らず、父親の愛も知らず、母の母、私の祖母に尋ねても、聞かないでくれと言って答えてくれなかったそうで、私はどうしても母に実の父親と合わせてやりたくて、鹿児島の知識一夫ということだけが分かっていた状態で、飛行機で母と一緒に鹿児島まで行き、電話帳で調べまくって、鹿児島県の鶴が舞降りることで有名な出水市出身の知識一夫という人ですが、母の父の在所を探し当てたのですが、残念なことに、母と私が訪ねていく2、3年前に亡くなっていたとのことで、美人の母の顔立ちによく似た、母の従姉妹か姪にあたる人が、母のことを親戚の誰かから聞いて、何か知っていたらしくて、よくしてくれて 、墓まで連れて行ってくれて、以後、母はその人と賀状や年末年始のやり取りを続けていたようですが、生まれて初めて、母は、実の父親と、墓参りという形で会うことが出来たのですが、その頃は、母も父も宇宙のことなど分からず、宇宙が意味を持って結んだ縁だということも分からず、戦争のこともあって、父は、戦後に自分の仕事がうまくいかないことを母のせいにして、女遊びをし、そんな自分を正当化する為に、そんな母をバカにし、私や弟や妹も、何も分からないまま、父が偉い人で母がダメな人だと思い込まされていて、弟は、父の愛人の弘子に騙されて、歌が下手で、父が馬鹿にする母を抑え込む側になって、自分も愛人の鈴子を作り、弘子と結託して母を苦しめる側になる訳ですが、そんな苦しいことがあっても、私達から父親を無くさせない為に耐えていた母で、その意味が分かり、食べるものもろくにない戦後の苦しい時、それでも女遊びを続ける父でしたのに、それ迄、父に子供をおろせと言われて、何体も子供をおろしても、私を妊娠していた時に、この子だけはどうしてもおろしてはいけないと、何かの啓示を受けたようで、必死で私を守って、無事に、五体満足に、ちゃんと私の命を、この世に送り出してくれた母で、そのことの意味が分かった時に、母の為なら何でも出来ると思うようになり、それからは、私のことより、母が、私を産んで、この世に私の命を送り出して、父にどんな目に遭わされようと何が起きようと、子供達 3人だけは高校迄出してやると、石にかじりつく思いで頑張って育てた甲斐があったと、母に思って貰えるよう、そして、先祖が私の命をこの世に送り出してよかったと思って貰えるようにという意識で生きるようになり、それから、私の人生が、試練の度に、何かを気付かせてくれ、その度に奇跡が起こり、人生のステージが変わり、一歩一歩、奇跡の階段を上り始め、導きと守りと奇跡のお陰で、三人の女達に、私が宇宙から与えられる筈の縁と恵みの全てを奪われ続けても、ここ迄生き延びることが出来て来られた訳ですが、弟と妹は、二人の愛人達の非道な欲望の為の嘘に洗脳されて、母を毒親と思い込まされている訳で、母も人間ですから、ひどい目に遭わされ続ければ心も壊れ、出来ることにも限りがあり、母は、父を蒸発させられて、生活費を一円も入れられなかった中で、母の命の限り、自分の幸せを投げ打って、母の人生の全てをかけて、父が蒸発して残した子供の私と弟と妹を守り抜き、高校迄出してくれた訳で、それでも、母の愛が足りないと、母から守って貰ったお陰で、人並み以上の生活が出来ていながら、母に報恩感謝の気持ちもなく、母を生き地獄に突き落とし続けて、母に償いもせず、母に与えられる筈の全てを奪って食い潰すだけの父の愛人の弘子と、その弘子と結託して、母が女一人で育てた子供も孫も、母に会うことが出来ないようにし、母が94歳の天寿を全うする迄、息子である弟からも孫からも母を捨てさせ切って、母が命を削って人生の全てをかけて育てた弟を通して、母の人生のお陰の全てを、ただ食い潰し続けているだけの鈴子ですが、弘子も鈴子も、その食いつぶした甚大な価値を、自分の産んだ子供や孫からも含めて、宇宙からの制裁を受けて、因果応報という報いを受けて破壊され、失わされていく人生しかない訳で、それが、バランスを取ることで健全と正常を維持する宇宙の仕組みというものですが、母は、更に父からも暴力を受け、いじめ後遺症と同じ精神状態になっていた可能性が高く、そうでなければ、純な母は 、汚れなく美しい声でしたし、決して音痴でもなかったので、きっと、父が納得するくらいの歌を歌えるほど歌が上手かったに違いないと、今の私は思っておりますが、ということは、心が破壊されてなく、自己肯定感が普通にあれば、誰でも、私と同じくらいの評価が戴けるほどの歌は歌えるようになるということで、心が破壊されていたからこそ、歌が下手だと皆に思われ 歌が苦手だと思い込んでいた私だからこそ、いじめ後遺症から抜けて、ここ迄歌が歌えるようになった今、心が破壊されるということが、どれほど、自分が宇宙から授かった天分を開花させることが出来ず、ダメな自分だと思い込むような結果しか出せないことか、心が通常でさえあれば、誰でも、宇宙からのエネルギーを受信出来、人の心を打つ声で話すことも歌うことも出来、人の心を打つ成果を上げて、世間様からの立派な評価を受けることが出来るようになるということが、今の私には分かっており、それだけに、未だ、人格形成の途中で人格が固まっていない時の、逃げ場のない学園社会でのいじめが、どれほど恐ろしいことか、どれほど、自分自身の人生を破壊する、恐ろしいことかの意味も、今の私は分かっており、その点からも、私は杉浦を許すことが出来ない訳ですが、犠牲になっているのは、私だけではありませんので、杉浦はこれ迄犯した罪の償いを、これからしなければならない立場で、宇宙は、これから、容赦なく、それを実行していくと思います。
弟と妹が、父と同じように歌が上手いのは、母と私が、何があっても、弟と妹を守ってくれると心の底から信頼していて、それでも母に要求が出来るほど、母と私の愛を信じて、ちゃんとした自己肯定感を持つことが出来ていたからで、弟と妹が、実親から、ちゃんと育てられなかった母の苦しみも分かろうとせず、 高校迄出してくれたことを、親だから当たり前だと思って、甘えて、平気で母を踏みつけることが出来たのも、自己肯定感が低くなかったからで、弟と妹を高校まで出してやる為に、父から生活費を渡されなくても、自分の人生は捨てても、どんな仕事をしても、人から蔑まれ、馬鹿にされても、ちゃんと高校迄出してくれた母が、自分の命をこの世に送り出してくれた母親が、自分にとって、どれほどありがたい存在か、未だに認めようとせず、愛人達の為に、母が、94歳の天寿を全うする迄、母を捨て切らされた弟と妹ですが、自分を産んでくれた母親は、宇宙と自分をつないでくれた、この世の中で、世界でたった一人、唯一無二の存在ですから、その産みの母親と絶縁させ切るということは、宇宙からの導きも守りもエネルギーも遮断するということで、今の心のままでは、弟と妹と二人の子供は、宇宙と繋がることが出来ず、宇宙が本来自分に授けてくれた 天分にも気付かず、導きも守りもなく、ただ、物理的存在である体の欲望を、その場その場満たすだけの人生しか送れなくなり、それを、自分の子供や孫に迄受け継がせることになりますので、弟や妹や 2人の子供達に、その意味を分からせ、母に産んでもらったこと、父が蒸発しても、それでも守って貰えたことが、どんなにありがたいことか、その意味を分かり、母の思いを無にしない生き方をするようになった時にこそ、母に産んで貰った本来の命が輝く人生を生きることが出来る、その為には、産みの母親を捨てさせ、産みの母親に生き地獄を強い続けている弘子と鈴子を、自らの意思で捨てるしかないことを、弟や妹や、二人の子供達に分からせてやることも、私の人生の総仕上げの中に入っています。
私の歌が 皆様の高い評価を受けることは、そのことに対して大きな力になりますし、迷っておられる方の大きな道しるべともなりますので、今は予告の状態ですが、肉声の歌を上げました時には、何卒、高評価、応援、よろしくお願い申し上げます。
長文にもかかわらず、ここ迄読んで下さって、ありがとうございます。