88thメッセージ  学生時代の思い出の相手追悼記事 Final | 峯運勢研究所

峯運勢研究所

健全で建設的で安心な幸せを永続循環させる為の究極の答え

 

 お訪ね戴き、ありがとうございます。

 アメーバの皆様、     いつもお世話になっております。

ずっと訴え続けていた “いいね”が出来ない件についてですが、この問題が発生して以来、何ヶ月も、問題解決のために、あれこれ、色々と取り組み、パソコンを買い換えるに至って、 “いいね” が出来るようになり、この件に関しては、アメーバさんの問題ではなく、私のパソコンに原因があったことが判明しました。

いいね”が出来ない原因が分からず、アメーバさんの問題のようにアメーバさんにお願いし続けて誠に申し訳ございませんでし深くお詫び申し上げます。

現在、この件の問題は解決し、“いいね” が出来るようになっております。

ありがとうございました。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

 いつも、“いいね”やフォローして下さっている皆様、本当にありがとうございます。

 どれだけ勇気付けられ、励まされているか分かりません。

 心から、ありがたいと思い深く感謝申し上げております。

 

 83 th メッセージ 以来、私の学生時代の思い出の相手の中本の追悼記事を上げさせて戴き続けてきましたが、杉浦の為に引き裂かれ、余命宣告された彼の病床を見舞うことも、今生での永遠の別れとなる、彼の命が召された時も、お葬式に参列することも出来なかったので、どうしても、彼との現世での永遠のお別れの儀式というか、私の心のけじめとして、追悼記事を書かずにはおれない気持ちになって、追悼記事を書き始めたのですが、彼の追悼記事を書いているうちに、定期的に、1週間のうちの何日かは、多い時には、20万台以上、 一気にランクアップするということが繰り返されることが、令和5年2月17日に、中本が亡くなり、その年の暮から始まっていることは分かっていましたが、それが、ずっと続いていることに気付き、それは、私が集いにいた頃、毎年、忘年会が開かれ、私が集いに参加していた頃、私の記憶では、ほとんどが、翠中出身のものでしたが、150人くらい参加していたことがあり、令和5年暮れには、同期会として喜寿会が開催されたことも分かりましたので、その、忘年会や同期会兼喜寿会の案内には、中本が亡くなったことの知らせと共に、 追悼の意味もあるとの案内があった筈で、私の想像ですが、その忘年会や同期会兼喜寿会の参加者は、軽く150名を超えたと思われ、その時に、私の話題が上り、ブログで実名報道していることが分かり、その忘年会や同期会兼喜寿会の参加者が、毎週、定期的に私のブログを訪れてくれている為に起きている現象だと確信していますが、それであれば、毎週何日か、何万台も順位を上げてくれている同窓の者達は、同期の集いに何が起きているのか、何故、私が平成26年5月の第2木曜日の集いを最後に、突然集いから消えて、集いに参加しなくなったのか、あんなに集いを楽しんでいて、中本と親しそうにしていた私が、何故、中本の葬式にいないのか、娘に私の名を付け、学生時代から、50年近くも、ずっと、私の噂をし続けていた中本が、何故、杉浦と付き合い続けて幹事の相方に杉浦を選んだのか、私が何を怒っているのか、そして、そのことと、あまりにも早過ぎる中本の死は、関係があるのか、あるとしたら、どんな関係なのか、何故段中で誰からも選ばれなかった杉浦が、同期の代表の女性幹事になったのか、などなどの色んなことの真実を知りたい為ではないかと思っていますが、そもそも、私が、杉浦非道と、我が家の問題に関して、実名を公表する以外に、この三人の彼女達に非道を止めさせる道がなく、この三人の彼女達の為に犠牲にされた母や私や弟や妹や弟の本妻や弟の本妻の子供を救う道はなく、彼女達の為に歪め続けられている、本来、宇宙が意味を持って結んでくれた自然の縁を破壊され続けていることを回復する道はなく、自然の縁を破壊され続けている為に、本来宇宙から与えられる筈の、何億何兆以上積んでも買えない、尊い甚大な価値を破壊されて奪われ続けることを食い止めることは出来ず、彼女達の為に犠牲にされた者達が失わされたものと同じものは戻って来ないにしても、実は、それが出来れば、破壊されたものと同じものは返って来なくても、それ以上の価値、場合によっては、その何倍も何億倍もの価値を、それ以後手にすることが出来るということを、今の私は分かっていますが、その為にも、これから与えられる筈の、宇宙から、 本来授かることが出来る縁と恵みを、破壊されずに享受する為には、実名を公表して、彼女達の非道を止めさせる以外にはない、そうしない限り、犠牲にされた者は、どんどん犠牲にされ続け、犠牲にした者も、バランスを取ることで現状を維持し、正常を回復し続けて、今日の文明を築いてきた宇宙の法則の仕組みで、因果応報という名の、宇宙からの制裁を受け続け、破壊の連鎖拡大が続き、失われる価値は天文学的数値になり、何億何兆以上積んでもお金では買えない、甚大な価値が破壊され続け、誰も幸せになれず、関わる者全てが不幸になり続けていくだけだということの見極めをつけ切って、何十年も悩み続けて見極め切って、実名を公表することを決断しての、82th メッセージでしたが、それでも、実名を公表するということの重さは分かっていますので、重い覚悟の上の決断で、だから、実名を公表する人物は、ほんの中心人物の、とてつもなく悪いことをしている者達と、その者達の為に、とてつもなく犠牲にされている者だけに限定しており、真相を隠されて、ただ利用されて、操られたり、踊らされたり、罰を受けない為の目くらましや人垣にされたりしているだけの者達は、極力、実名公表せずに済ませるよう、細心の注意を払い、懸命な努力をしているつもりですが、そして、この実名公表のことがあり、今の記事は、どうしても、同窓の者に向けての内容になるので、あまり、記事を見て下さる方を巻き込んではいけないような気がして、何度も記事をご訪問することに対して、精神的に歯止めがかかっているところもありますが、この実名公表の82th メッセージを上げた後に、中本の命が召され、その為に、私には絶対に無理な数の学友に、杉浦非道と同窓の学園社会の異常な実態を知らせることが出来るようになったことは、奇跡としか言いようのない、不思議なことですが、その82th メッセージの記事を上げてしばらくして、何度目かの経済的困窮に襲われ、インターネット料が支払えなくなり、一年半ほど、インターネットが止まっていた間、この記事は凍結されていたのに、令和5年の暮れから、急に毎日何十万台ランクアップ上昇ということが続くようになり、それは、先ほどの理由からだということが後になって分かる訳ですが、それは、私がブログにこの記事を書いていたからこそ、中本の死によって招かれたことで、杉浦にとっては、最悪のことで、絶対に知られたくない、杉浦が、清水に手続きなどの面倒なことはさせて、名目は、大林との引率で旅行などに引き連れて、10年がかりで手なずけて、思い通りに支配出来ると思って高を括っている、翠中出身の多くの者達に、ひた隠しに隠し続けていた、杉浦の学生時代からの非道が知られることになった訳で、それは、人間技では絶対に出来ない、私が一人一人に知らせたくても、絶対に出来ない私のブログと、中本の命がかかった協力の上でしか成り立たなかった奇跡で、このことから考えても、中本の死は、杉浦の学生時代からの非道にストップをかけ、中本を、杉浦が会長になる為の踏み台にさせることにストップをかけ、杉浦が、学生時代から歪め、汚し続けてきた学園社会を、本来の健全で正常に回復する為の、とてつもなく深刻で、重大な、目に見えない、大いなる意志の力の苦渋の決断による大きなことと気付きました。

 

 彼の命が召されたのは、彼を 杉浦の野望の踏み台にしない為で、彼を踏み台にして、同窓会長にのし上がろうとしている杉浦の野望を阻止し、学生時代から、杉浦が歪め続けて来た学園社会を、本来の健全で正常にする為の、宇宙と、母校、皆実高校の神様と、母校、皆実高校の、亡き先輩方の御魂のご意思で、彼の肉体を死なせることで、彼が、本来宇宙から授かった、高潔な魂を守ったと、私は思っておりますが、そんなことを考えると、この度の彼の死は、単なる、私の学生時代の思い出の相手で、ただ彼のことを懐かしんで、気が済んだら、それでおしまいにすればいいという問題ではなく、彼の死を無駄にしない為には、ただの追悼記事で終わらせてはならないのだということに気付きましたので、追悼記事としては、今回迄とさせて戴き、今回を追悼記事 Finalとしますが今迄、真相を隠され、真実を知らされず、騙されて操られ、旅行や集いの参加を餌に、杉浦が中2から続けた非道で得ている今の立場を温存する為の人垣にされ、目に見えない、大いなる意志の力が働いて、中本の死と私のブログによって、隠された真実があるのではないかと、真実を知りたい為に、私のブログを定期的に訪れてくれている学友の為に、私は、このブログを利用させて戴いて、真実を語らなければならない、それが、中本の命を召し上げて迄、宇宙と母校の神様と、亡き母校の先輩方の御魂の、目に見えない大いなる意思が、私にさせようとしていることだとの確信が、今となっては、ありますので、この件に関しては、本当にプライベートなことで、一般の読者の方には関係ないことなので、スルーされても仕方がないと思っていますけれど、仮に“いいね”が戴けなくても、フォロワーの方が減ったとしても、杉浦に歪められ、汚され続けている、母校、皆実高校同窓会、学園社会を、本来の健全で正常に回復する為に、目に見えない、大いなる意志が、私にそれをさせようとしている限り、大いなる意志の力が働いて、中本の命迄召し上げられた限り、杉浦非道の事実と真実を知るキーパーソンである私は、そのことから逃げることは出来ませんし、今後は、中本の追悼記事としてではありませんが、母校学園社会と同窓会を本来の健全で正常に回復する為に、“いいね”もフォローも気にせず、全力を尽くし、これからも、私の普通のブログ記事として、杉浦が学生時代から歪め続けて来た学園社会が、本来の健全と正常になる迄、もうしばらくの間は、彼の追悼記事としてではなくても、私の通常の記事として、彼や母校皆実高校学園社会のことを書かせて戴くことなるかと思います。

 

 とは申しましても、かなりプライベートなことで、読者の皆様の中には、自分には関係ないと思われる方もあると思いますし、そう思われる方は、スルーして戴くしかないと思いますが、ただ、“いいね”やフォローして戴いていることが、私の、とてつもなく大きな力になっていることは間違いなく、そして、これから、私が果たそうとしている使命に対して、多くの皆様のフォロー や “いいね”を戴くことが、私の記事を見てくれる、私の同窓の者達や、それから、先に控えている、我が家問題に関しても、弟や妹や二人の子供達、そして二人の愛人達に、聞く耳を持たせる大きな力になることは間違いないので、出来ましたら、これからも、多くの方々の“いいね”やフォローのお力添え、応援を、切に、よろしくお願い申しあげたいと思っているのが、本音です。

 

 実は、信じて貰えないかも知れませんが、中本の訃報が初めて知らされた、令和5年の晩秋から、1年半ぐらい前、勿論、中本が元気だと信じ込んでいた時ですが、その頃から、こんな状態では、もし中本が病気になっても、見舞いにも行けないな、などという想念が、何度も胸に湧いていて、もし中本が病気だったら、何とかして見舞いに行きたいなとか、杉浦や大林に責められ、追い詰められて、中本が私を集いから締め出しても本当は、私は中本が好きで、中本を憎んだことなど一度もないな、もし病気で入院していたら、何とかして見舞いに行って、もう怒ってないからいいよと伝えるかも知れないな、などというようなことを何度も夢想していましたが、まさか、その頃に、本当に病気になっていたなんて、あの、時折、何度も、定期的に降って沸くように起きていた想念は、中本が私を呼んでいたお知らせだったのかなと、中本の訃報が届いてから、思ったこともあります。

 

 中本が声かけしてくれ、私が会場の世話や飲み物やおつまみの世話をして、必ず、中本と玉田が参加してくれたカラオケ同好会は、皆楽しんでくれて、とっても盛況で、それ迄集いに入ってなかった、段中出身の者も参加するようになって、このままカラオケ同好会が続けば、第2木曜日と第3木曜日のカラオケ同好会で、月に2回も、中本と一緒に学友と集えるなんて、最高だな、などと思っていたのですが、3回目くらいから、杉浦が休むようになり、それから、私と玉田だけには声かけをせず、カラオケ同好会参加者と集いの皆を誘っての旅行が続けられるようになり、それから、大林が、私を意図的に外して敢行し続けた旅行の話を延々として、なかなか歌に入らなかったり、私が歌った時は、絶対に拍手をしなかったり、用意したおつまみに絶対に手をつけなかったりして、大林をトロイの木馬にして、カラオケ同好会を盛り下げさせ、カラオケ同好会が面白くないと皆に思わせ、内から潰す作戦で、カラオケ同好会の盛り下げを測るような行動に出て、それと共に、その頃から、第2木曜日の集いも、何か異様な、重苦しい雰囲気になり、杉浦の私抹殺秘術の旅行で、カラオケ同好会を潰す為の、私と、カラオケ同好会潰しのメンバーにならない玉田にだけは、声もかけない、2ヶ月に1回ペースでの、兼六園、湯田温泉、京都、伊勢旅行が敢行され続け、私を集いから締め出す、徹底作戦が敢行され続けることになる訳ですが、それでも、私がカラオケ同好会を止めないものだから、しまいには、85th メッセージでも言いましたが、大林が、“わしが止めるから、カラオケ同好会を閉鎖しろ”と私に迫り、私が、“あなたがカラオケ同好会を止めるのは自由だが、カラオケ同好会自体を止めるかどうかは、発起人の私が決めることで、あなたに指図を受ける謂れはない”  と言うと、大林は、“わしが止める言うとるのに、止めんんか、わしに喧嘩を売っとるんか”と、私を恫喝し、誰が見ても、大林が私に喧嘩を売っているのに、こんなやくざまがいの威嚇を私にし、何が何でも、カラオケ同好会を閉鎖させようと私を追い詰め、カラオケ同好会を閉鎖させることで私をいから締め出そうとしましたが、これは、杉浦と清水が、玉田にツンケンした、平成25年9月の二木の集いでの事ですが、突っぱねましたが、実は、これは、私をギューギューに抱き寄せてデュエットし、二人だけになっても、カラオケを続けていたら、又、皆も戻って来るかも分からんから、二人だけになっても、カラオケを続けようと言っていた中本が、大林に、何としても私に、カラオケを閉鎖させろと指令していたと、中本自身が白状し、これは、杉浦が大林に、カラオケを閉鎖させれば、私が集いから消えるしかなくなるから、どんな事をしても、閉鎖させろと迫り、大林から中本に、私にカラオケ同好会を閉鎖させろと迫らせたけど、何かがおかしいと感じた私が、中本に異変を訴えたから中本は無理矢理にカラオケを閉鎖させれば、私が真相に気付き、何をするか分からないと恐れて、私を集いから締め出す為のカラオケ閉鎖を私に迫る事が出来なかった訳で、その杉浦と大林の思惑とは正反対の、二人だけなってもカラオケを続けようと言い、私と中本と、事情は何も知らず、ただ幹事になった中本を支える為に集っている、中本の言うことを素直に聞く、中本の学友の一人、多分、中本についてきてくれと頼まれてついてきただけの、悪気の全くない中本の学友の三人だけでカラオケを続けていたのですが、丁度その頃に、玉田が倒れ、当番期の年の23年に、私が占い師の仕事をしていますので、彼を占った時に、健康に気を付けるようにアドバイスした事がきっかけで、実はその時には、既に、彼は癌の病魔に侵されていた訳で、私の占いが当たったものだから、25年の秋頃からだったと思いますが、彼が手術をする前に、金を出すから、ちゃんと占ってくれと言われ、占い、それから、彼は手術をし、以後、ずっと相談を受け、彼と連絡が取れないと、彼がオーナーの、カラオケスタンドのママから知らせを受けて以後は、彼が亡くなる迄、私は、玉田と、彼がオーナーの、カラオケスタンドのママに付きっ切りになりましたが、更に又、その状況を中本に知らせる為に、頻繁に中本と携帯で連絡を取り合い、杉浦は、この状況にはぶてて、中本が玉田の事を知らせようと、杉浦の携帯に連絡しても、出ず、折り返しに掛け返す事もしないと言う事を続け、大林と二人で、中本を干し、締め上げ続けていた訳で、そんな中、玉田が帰らぬ人となり、玉田の葬式が済んで間もない、殆ど直後と言ってもいいタイミングが忘年会だった訳で、この忘年会の打ち合わせをする中で、杉浦が大林達幹部と一緒になって、何をしても、私が集いから引かないものだから、後は、中本自身から私を突き放させて、二度と、私が集いに来る事が出来なくさせるしかないと、そのことを中本に承諾させる為の説得を、杉浦が大林達幹部と一緒になって続け、その決行日を忘年会の日と決めていたようで、その忘年会の日は、中本は、徹底して私に冷淡で、私を突き放す言動をし続けました。

 

 以後、中本が、私を集いから締め出す為の直接行動に出て、私に目も合わさないようになり、酷い突き放し行為になり、私をおかしい人間だと言い触らし、私が何を言っても、誰も取り合わないようにする、陰の暗躍をする行動に出て、カラオケを閉鎖に追い込む口実を探し、中本の態度の豹変に気付いた私が、彼を追い詰め、何としても、私を集いから締め出させなければならないように追い込まれている彼の精神状態が分かった訳ですが、娘に私の名を付け、私の噂をし続け、妻も私似、利用と分かって応じたのでなく、自らの意思で求めた女性は後にも先にも、この世に私しかいないと言う中本の、この言動が、余りにも矛盾しているので、陰で糸を引いて、こんな事を中本にさせる必要がある人間がいるとしたら、杉浦しかいない訳で、杉浦と中本が特別の間柄でなければ、中本は、そこ迄の思いを50年も持ち続けていた、学生時代の清らかな思い出の相手であり、段中で選ばれ続けた私に、同窓の仕切る立場の中本がこんな事をする訳は絶対になく、段中で誰からも選ばれなかった杉浦が今の立場になった事自体が、不思議でならなかった事で、段々、真相が分かって来る訳ですが、大林が中本に、私を早く集いから消さなければ、学生時代からの真相が明るみに出れば、杉浦だけでなく、中本の立場も危うくなると、中本を脅し、中本に私を集いから消させる為の、カラオケ閉鎖を迫り、中本は、カラオケ立ち上げの時、皆の前で積極的に協力して立ち上げたので、中本が私にカラオケ閉鎖を迫る訳には行かないから、大林に、どんな事をしても、私にカラオケを閉鎖させろと指令し、脅してもいいと言う事を、中本が了解していたと言う事で、そうしなければ、大林は、杉浦の役に立たないと、杉浦に無能扱いされ、幹事としての立場がはく奪されるとの脅しが暗黙にかけられ、杉浦と仲良く幹事の仕事が出来なくなると言う、中枢幹部達の間での脅し圧力仕組みも確立しており、中本は、大林に逆らえば、組織が機能しなくなるとの暗黙の威しがかけられているので、大林の言う事には逆らえず、私にカラオケを閉鎖させる事を了解せざるを得ず、脅してでも止めさせろと、中本が大林に指令していたと言う事ですが、あの大林の私にカラオケを閉鎖させる為の恫喝は、実は自分がやらせたと、中本自身が白状した事で分かった訳ですが、ずっと後になって、多分、彼と2人で話す、最後から2回目だったと記憶していますが、中本自身が、私に自白したので、彼が、普段、私にしていた言動と正反対のことを、大林に命令していて、彼の心はグチャグチャで、事ほどさように、中本は、私には、二人だけになってもカラオケを続けようと言いながら、陰では、大林にカラオケを閉鎖させる為には、どんな手を使っても構わないと指令し、中本は、私を集いから消し、カラオケを閉鎖する指示をするしかなくなるように、大林から迫られ、従わなければ、組織が機能しなくなると脅しをかけられ、大林は、中本にそれを迫らなければ、杉浦に睨まれ、幹事職の立場が揺らぎ、杉浦の意向には逆らえないと言う構造で、だから、中本が約50年振りに私と再会した時に、私に異様なアピールをし、あの淡い思い出があるから、集いが楽しくやっていられると手紙をくれ、将棋も教えて上げようかと言いながら、私が作った手料理を、杉浦や清水さんと目配せして、いらないと皿を出さず、皆の前で立ち往生させたり、その時は、別の学友がフォローをしてくれましたが、中本は、私がエッチな人だとは知らなかったと、大声で、私を辱めるような事を言ったり、賀状を出しても、一年目には、返事をくれても、二年目には、返事もくれなかったり、カラオケ同好会の立ち上げの時には、私に異様な積極性を見せて、私に協力したかと思うと、歌は、風呂で歌うような歌は好きだけど、発表するような歌は嫌いだと、訳の分からない事を言い出し、カラオケ同好会を閉鎖させる動きをしたり、二人だけでもカラオケを続けていれば、皆も戻って来るかも知れないから、二人だけになってもカラオケを続けようと言いながら、実は、大林に、どんな事をしても、カラオケを閉鎖させろと指令したり、結婚は罠に嵌められたとか、自らの意志で求めた女性はいない、利用と分かって応じた女性しかいないと、戯けた事を言い、私を、人間として一番信頼していると言いながら、陰では、私がおかしい人間だと言いふらし、心と行動がグチャグチャ、バラバラで、統合が取れておらず、でも、本当は、彼は、自分のしている事がグチャグチャだと分かっていると確信していますが、それでも、グチャグチャだと分かっていても、杉浦に迫られれば、杉浦の言う通りにするしか、立場が保持出来ず、現状が維持出来ず、組織が機能しない仕組みを作り上げられていて、逆らえず、杉浦は、私と中本を引き裂き続けている間に、彼が杉浦に絶対服従するしかなくなるように追い込む為の、ありとあらゆる外堀を埋め尽くし続けたということですが、中本は、皆も他の期の幹事の方々も騙し続けて、杉浦を認めさせ続けていますので、今更、杉浦を解任するとは言えないように追い込まれており、それも、外堀を埋めて彼を絶対支配する為の外堀の一つですが、これが、学生時代から続けていた、杉浦の、フィクサーとして、邪魔者を消させている犯人だとは、絶対に分からないようにする為の、十重二十重、二重三重の人の盾を作って、絶対に自分に責任追及の手が来ないようにしている仕掛けで、私が腹を立てて、怒る対象は、中本と大林と集いの皆で、杉浦に矛先を向けず、杉浦が犯人だと言う証拠は、どこにもなく、絶対に見えなくして、邪魔者を消し、潰して行くやり方で、これは、父と弟の愛人、弘子と鈴子のやり方と全く同じで、だから私には、その手法が読め、誰が何の目的と魂胆でしていることか、誰が真犯人か読める訳ですが、女性陣を、絶対にカラオケに参加させず、中本には、私を集いから消させる為の、おためごかしと突き放しの繰り返しの腹芸をさせ、私を弾き続けた集いでの四年間の経緯が引き起こした、誘発させたと言う事が分かってないから、杉浦が、私は変な人間だ、だから皆にシカトされたり、旅行に誘われなかったりするのだと、集いの皆に言えば、集いの皆は、杉浦の言うことを鵜呑みにして、私を突き放すしかなくなる訳で、杉浦は、そうなるように陰で長い時間をかけて誘発した事を、私が誰にも言う事が出来ないと分かって、していることですが、そうやって誘発させた、表に出ている私のおかしな事だけを取り上げて、私をおかしい人間だと言う事にする訳で、私が通話に入った時には、集いは、段中の時に、杉浦と大井の仲間になって、女性の学級委員では大井に投票したと思われる男子1人と、中本と杉浦が幹事になって、杉浦が翠中出身の学友を引き連れて旅行するようなってから、5年ぐらい経って、東京から帰省した段中出身の者、中学時代は、私と遠く離れたクラスで、私と一度も面識のなかった、集いの幹部に食い込みたくて、同窓会事務局に日参して杉浦に尻尾を振っている、段中出身の者以外、翠中出身の者ばかりでしたが、私が集いに参加するようになったと聞いて、段中出身の者が、集いに来たことがあり、それは、小学校も一緒だった学友で、彼がリーダーとなって、別の集いを持っているので、そこにも遊びに来てくれということで、段中出身の者がかなりいる、その集いにも参加するようになっていたのですが、その集いの中にも、上述の、幹部に食い込みたくて、同窓会事務局に日参して杉浦に尻尾を振っている、段中出身だった者も居て、平成25年の12月中旬だったと思いますが、その集いの帰りに、いつもの流れで、玉田がオーナーのスタンドに行った時、その、幹部に食い込みたくて、同窓会事務局に日参して、杉浦に尻尾を送っている、唯一人、集いの常連の段中出身の者が、そのスタンドで、話があると言って私の隣に座り、その彼は、私と中本が立ち上げたカラオケ同行会を潰す為に、1年の間に、4度も敢行された旅行の全てに参加していて、杉浦の指示で、杉浦の次にカラオケ同好会を休むようにもなったのですが、その彼が、自分は、私が集いに入る5年も前から、毎日同窓会事務局に日参しているのに、それよりずっと後から集いに入ってきて、私は、同窓会事務局に日参もしないくせに、次期会長と目される中本と親しくするのはおかしい、そんな、人間的におかしいから、旅行にも誘って貰えないのだ、自分がカラオケ同好会を休むようになったのは、カラオケ同好会が、そんな、人間的におかしい私のせいで面白くないからだと、皆に聞こえるように、大きな声で私を罵倒し、それは、仕切る立場欲しさに、中本に近付いているに違いない、後から入って来て、そんなことをするのはおかしいという意味ですが、私は、その彼が真相を知らされず、どんなことをしても私を集いから締め出したい杉浦に、真相を隠されて何も知らされないまま騙されて、二度と私が集いに参加することが出来なくなるようにとどめを刺す、私を集いで抹殺する為の鉄砲玉に使われたのだということが分かっているので、彼の実名を公表するのは止めますが、私は彼に、私が中本と親しくするのは事情があるので、彼の言っているようなことではないと、強く反論したので、彼がひるみ、最後は握手を求めてきましたが私が、私と玉田だけが、年4回も敢行された旅行に、ただの一度も声もかけられないのはおかしいという不満を漏らした相手は、幹部では、中本だけでしたので、その時に、中本は、年4回も敢行された旅行が、カラオケ同好会を潰す為だということを知っていたということが分かりましたし、その幹部に食い込みたい彼に、私を皆の前で罵倒させて、私が人間的におかしいから旅行に誘って貰えないということにし、カラオケ同好会を休むようになったのは、その人間的におかしい私のせいで面白くないからだということにして、私が居た堪れなくなって、自らの意思でカラオケ同好会を閉鎖し、二度と集いに参加出来なくさせる為の、杉浦や大林首謀の談合に、中本も加わっていると、その時に分かり、だからその彼は、中本と杉浦と大林の後ろ盾があるので、私を皆の前で罵倒しても大丈夫だと思って、私を集いで抹殺する為の鉄砲玉の役を買って出たのですが、思わぬ私の強い反撃にあって、自ら握手を求めて来なければならなくなった訳で、その彼の言動のお陰で、杉浦が集いの皆に、私が仕切る立場欲しさに、次期会長と目される中本に取り入っている、人間的におかしいと言いふらして、集いの皆から私を突き放させているのだということも分かりましたが、私は、仕切る立場になりたいと思ったこともないし、仕切る立場になりたいと思って何かしたことも、一度もなく、何かしなくても、自然に仕切る立場に選ばれ続けていたので、その必要もなく、そんな感覚自体、ありませんが、中学の時に、自然に学級委員に選ばれ続け、選ばれた限りは、責任を果たそうと思って、するべきことをしていただけで、仕切る立場欲しさに、中2から、私貶め嘘の蔓延は言うに及ばず、シカトしなければシカトの対象にする、シカトいじめの仕組みも、色仕掛けもありの、ありとあらゆることをし続け、しまいには、私への好意を公にした中本に、彼が私を好きだと知っていて、彼が杉浦を好きではないと知っていて、杉浦も彼を好きではないのに、体を張って彼に取り付き、中本の交友関係も牛耳り、それでやっと、今の立場を得ている杉浦で、自分が仕切る立場欲しさに、そんなことをし続けているから、私も、仕切る立場欲しさに、中本に取り付いていると、杉浦は思うのですが、私は、何もしなくても仕切る立場に選ばれ続けていた人間で、仕切る立場になる為に何かする必要がなく、そんなことをしようと思ったこともないし、したこともなく、段中の時に、殆ど生徒会長になることも決まっていたけれど、母が、生徒会長なんかになったら、家の手伝いがして貰えないから困ると、担任の先生に直談判しに行ったので、生徒会長立候補は自らの意思で降りたくらいで、仕切る立場になりたいと思ったことなど、ただの一度もなく、ただ、思い出の相手の彼の中本と、学友達と一緒に、楽しく集い続けていられれば、それでよかっただけで、それ以外のことは何も望んでなかったのですが、中2から、仕切る立場欲しさに、ここ迄のことを続けて、中本に取り付いて、私と引き裂き続けることで、今の立場を得ている杉浦にとっては、中2から続けてきた非道が明るみに出て、翠中出身の学友に真相と魂胆を隠して、10年も毎年旅行に引き連れて、手名付けた、中本をサポートする学友全てを失い、立場が剥奪される危険性を感じる、とてつもない恐ろしいことだった訳で、いくら私が、ただ、皆と楽しく集うだけでいいと言っても、ただそれだけのことが、杉浦にとっては、中2から、約50年非道を続けて築き上げて来た全てが瓦解する、とてつもなく恐ろしいことだった訳で、だからこそ、ここ迄のことをして、中本や皆を脅して、私を集いから締め出した訳で、私が二度と集いに来なくなったと分かった時には、杉浦は、これでやっと、全て完璧に、思い通りになった、こうする為にこそ、私を一旦集いに呼んで、中本と親しくさせたのだ、計画通り、これで何の心配もなく、中本が会長で、杉浦が副会長になり、頃合いを見計らって、中本の肩を叩いて、会長の座を杉浦に譲らせればいいと思ったに違いありませんが、杉浦の、高い知能指数を駆使した、物理的存在である身体の欲望を満たす為に働く左脳支配の顕在意識の知恵は、ここ迄で、左脳支配の顕在意識の知識と悪知恵が及ばない、宇宙と繋がっている、右脳支配の潜在意識、人としての魂を無視し続けてきたので、突然、左脳支配の顕在意識の知能を駆使して、物理的存在である身体の欲を満たす為に続けて来た全てに、宇宙からの歯止めがかかって行き詰まる訳ですが、宇宙や母校の神様や、亡き母校の先輩方の御魂が、私を集いに引き寄せた思いは違っていて、その杉浦の野望を打ち砕く要員として、杉浦自身の猿知恵を使わせて、私を集いに呼び寄せさせていた訳で、杉浦にとっては、まさか中本の命も召し上げられて、私によって、杉浦非道が、こんな形で暴かれるなど、どんなに知能指数が高くても、左脳だけでは絶対に分からなかったことで、宇宙は、杉浦自らの墓穴を掘らせる為に、杉浦の意思で私を集いに呼び寄せさせ、杉浦の計略通りに事を運ばせて、杉浦の手口を私に見せ、杉浦の望みが叶うと思わせた寸前で、宇宙が杉浦の計画の全てを打ち砕き、野望を潰えさせた訳で、杉浦は、自分がそうだから私も同じだと思っていたのですが、私は杉浦とは全く違った価値観を持っていて、私は、仕切る立場になる為に人を貶めたり、他人に行く筈の恵みを取る為に、他人の縁を壊して、他人の縁者に取り付いて奪う感覚自体ないし、私にとっては、仕切る立場より、人の心や魂や良心や、元々ある、ちゃんとした組織や、自然の縁を守ることの方が大事で、それを壊して迄自分の欲望を満たそうという感覚はなく、そういうことをしてしまったら、その組織の、お金では買えない、貴く、素晴らしい価値自体がなくなってしまうとういうことが分かっていますが、杉浦には、その感覚自体がなく、分からないのです。

 

  自然に選ばれ続けた私と、どんなに選ばれたくても、誰からも選ばれなかった杉浦との、致命的、根本的な違い、心の芯、魂の違いですがどんな事をしても、私と中本が協力して立ち上げたカラオケ同好会を閉鎖させ、私を集いから締め出す為の、杉浦の凄まじい陰の暗躍が続き、仕切る立場欲しさに、そして、その残忍非道卑怯卑劣極まりない事を学生時代から続けて得ている、仕切る立場を維持し、保持固持誇示し切り続ける為に、ここ迄の事をする杉浦と、杉浦が中二から続けている、その暗躍の事を、一切知らされず、私に失態を誘発させる為に、陰で仕掛ける杉浦の罠に嵌り、何も知らないまま、失態させられ続け、苛め後遺症にされ、おかしい人間だと言い触らされ、おかしい人間だと言う事にされ続けて来た私と、杉浦のどちらがおかしいですかと言いたいですが、玉田は、一年の間に四回敢行された旅行に、私と同じように声もかけて貰えず、亡くなる直前の、25年9月の二木で、いとこの杉浦や、学生時代から好きだった清水に、シカト、ツンケンされ、玉田曰く、何しに来たんかみたいな態度を取られ、何故、そんな事をされるのか、分からず、本当に悩み、この、訳も分からず、それ迄、親しくされていた仲間から、シカト、ツンケンされ、何しに来たんかみたいな、よそよそしい態度をされる苦しみは、私が学生時代、杉浦の陰の暗躍で、親しいと思って安心していた学友から、ヨソヨソしくされ続け、挨拶してもソッポを向かれるような事をされ、シカト孤立させられ続け、心と人格を壊された苦しみと同じで、本当に苦しく、訳が分からなく、自分の何がいけなくて、そんな事をされるのか分からない為に、自信を喪失し、苦しみ続け、自分を否定するようになり、人と親しくなる事を恐れ、人に心を閉ざすようになり、ドンドン壊れて行く訳で、私は子供の頃に、それをされて苛め後遺症になっていた訳ですが、中二の頃から、そんな事をされ続けて、子供の私には、大人のように、心の切り替えをつける事も出来ず、学園社会から逃げる事も出来ず、自分の殻に閉じ篭り、学友に心を閉ざし、壊れて行くしかなかったのですが、本当に、誰からも選ばれなかった杉浦が、自然に選ばれ続けた私を誰も選ばなくし、学園社会で殺し切り続けて、私にとって代わって仕切る立場になる為に、中二から始め、約60年続けている暗躍は、本当に恐ろしい、酷い事で、そんな目に遭いたくなければ、威し圧力に屈し、杉浦に絶対服従し、杉浦の邪魔者を学園社会で殺す道具になる事に甘んじるしかないと言う構図ですが、学生時代から、杉浦の罠にはめられて、私を学園社会で抹殺し切り続ける道具にさせられ続け、杉浦に取り付かれ続け、操られ続けて、親友も交友関係も牛耳られている泥沼の罠から抜けられず、本能での私への思いの暴走を止められず、私を、引き寄せたり、突き放したりの正反対の言動を、私が集いにいる間中、繰り返し続けていた中本ですが、杉浦の、その狡猾なやり方も、宇宙と母校の神様と、亡き母校の先輩方の御魂はお見通しで、中本の死によって、今迄想像もつかなかったほどの多くの学友が、私のブログ記事を見てくれるようになった今、私がブログを上げるようになっていたことが、母校学園社会を、本来の健全で正常に回復する為に、とてつもなく大きな意味を持っていたということが、ここに来て分かってきた訳で、私にブログを書かせる為に、私が集いの実態を知る為に、そして私がいじめ後遺症から抜ける為に、私が集いに入ることと、集いでの異常な出来事の全てが必要だった訳で全て、目に見えない、大いなる意志の大いなる力が働いていたと、私は思っていますが、宇宙と皆実高校の神様と母校の亡き先輩の方々の御魂が、私に、どうしても皆実高校に行きたい、皆実高校以外には行きたくないという思いを喚起させた時に押されたシークエンスのボタンが作動し続けて、その時々に必要なスイッチが、次々に入り続けてのことでそのスイッチは、今も入り続けていると確信せざるを得ない状況で、その、目に見えない、大いなる意志の大いなる力は、母校、皆実高校学園社会に、本来の健全と正常を取り戻すという目的の妨げになる者には、容赦なく制裁を加えこれからも、必要ならば、中本だけでなく個人の権力欲を満たす為に、母校皆実高校同窓会を私物化して利用する者達の命を、次々に召し上げ続けていくのではないかと、私は、心底気の毒に思い、心配しています。

 

 それでも悪あがきをする杉浦と大林の目的と魂胆を、根元から破壊し、強制終了させる為の強烈な鉄槌が、杉浦が会長になる為の踏み台として利用し続けた中本の命を、大いなる意思の力が召し上げたということになると思いますが、杉浦は、同期の学園社会をこんなおぞましく、汚らわしく、気味悪く、恐ろしい空間にし続け、自然の縁での、屈託ない学生時代の思い出を、私からも皆からも、そこ迄の思いを私に持つ中本からも失わせ続け、学友の心をねじ曲げ、学園社会を汚し、歪め、杉浦仕様に変え続ける事で、今の立場になっている訳で、中本にしても、娘に私の名を付け、私の噂をし続け、妻も私似、あの淡い思い出があるから、カラオケも総会の準備も楽しくやっていられるとの手紙もくれ、自らの意志で求めた女性は、私しかなく、将棋も教えて上げようかとも言ってくれ、約50年振りに、そんな思い出の相手の私と集えて、彼も楽しいと思ってくれていると思って、嬉しいと思い、集い続けていたら、ある次期から、急に態度が私を突き放すものに変わって来た訳で、あんなに積極的に協力してくれて立ち上げたカラオケ同好会なのに、中本は、歌は嫌いだと言い出し、カラオケ同好会を閉鎖したい意向を私に言うようになり、今から思えば、私を居た堪れなくさせて、集いに来たくなくなるように、どんな事でもしろと、杉浦にせっつかれていたと言う事ですが、突き放し行為に転じ、私は、訳が分からず、悩み、混乱し、苦しみ、彼の人格を疑うようになり、こんな人間性で、会長になるなど、とんでもないと思うようになり、思い出後、50年、私とそれ切りになっている間に、こんな訳の分からない事をする、変な男になってしまった、そんな、無欲で無心で、利用も魂胆もない、彼がそこ迄の思いを持つ、清らかな思い出の相手の私にしか、彼の心の闇を取り除ける人間はいないと思い、手紙で忠告を続けるようになる訳ですが、彼のおかしな言動は、エスカレートして行くばかりで、最後は、酷い突き放しに合い、締め出され、その威し圧力仕組みで、私と親しくするなら、中本のいる全集いに参加出来なくすると威し圧力がかかった私抹殺指令を出された私で、約50年振りの学友との再会になる集いに入り、約三年間の集い後、中本と杉浦の立場で、全同窓から完全永久抹殺され、全集いと総会に参加出来なくされ切っている現状迄の顛末で、これは、中本のサポート組織と称する集いの、誰でも、杉浦の胸三寸で、いつ、私や玉田と同じような目に遭わされるか分からないと言う事で、第一、この集いは、普通の屈託ない同窓の集いではなく、この杉浦の為の、真相と魂胆を隠して、とても尋常では考えられない、普通ではない、あまりにも恐ろしくおぞましく、有朋会と集いの美名で集めていながら、母校を冒涜し、有朋会と集いを冒涜し、同期の学友全てと、全有朋会員と先生方と世間を騙し切り、中二から続けている杉浦非道をもみ消し、合法化し、集いや旅行の参加者を、杉浦の邪魔者を全同窓から完全永久抹殺する事を認めていると言う数の駒にし、杉浦の邪魔者を、シカト、ツンケン、嫌がらせ、村八分で居た堪れなくさせて、杉浦と中本のテリトリーから排除させる抹殺要員にすると言う目的に利用出来ると杉浦が判断して踏んだ学友だけを厳選して集めている、誰からも選ばれなかった杉浦の、仕切る立場でなくては気が済まない欲望を満たさせられる為に、杉浦の邪魔者消し抹殺要員になると杉浦が判断して踏んだ学友だけしかいられない、参加出来ない集いで、決して、普通の屈託ない同窓の集いではなく、杉浦が有朋会を私物化して、有朋会の立場と権限を悪用し、仕切る立場でなくては気が済まなかったのに、私が自然に選ばれ続けた為になれなかった悔しさと、自然に選ばれ続けた私への怨念を晴らす為の会で、私のような酷い思いをさせられない為には、杉浦の邪魔者を消す為の抹殺要員に甘んじ、シカトする側の仲間になり、杉浦に絶対服従するしかない集いだった訳で、それが身にしみて分かったから、平成26年5月第二木曜日の集いを最後に、私は集いから身を引きました。

 

 下の写真は、前回のブログで予告したように、このブログを見てくれている同窓の学友に、杉浦に歪められていない中本を感じて貰う為に、公表する決心をしたものですが、上述の事情で、集いは、異様で異常な雰囲気となり、集いは異常事態となり、私と中本の関係に対して、不審が蔓延してきたことが分かったので、中本に、私と中本の学生時代のことを集いの皆に話した方が良いということや、集いで私と中本がどういう関わり方をしているか、公表した方が良いと思い、中本自身に公表することを伝え、集いで、杉浦と直接対決する前に、中本から貰った手紙のコピーを入れて、全ての事情説明と、集いの皆に郵送したのですが、この寒中見舞いハガキは、それに同封したのと同じもので、中本から貰った手紙の一つで、集いの皆に送ったものの写真です。

 

 

 

  これらも、前回のブログでお約束した、これから、私の人生総仕上げの一つとしてYouTubeにあげようとしている、私の歌の完成度がどれくらいか、私の人生総仕上げがどの程度進んでいるか進捗状況を見ていただく為の、私の歌のダムの精密採点の AI寸評の写真です。

イヨマンテの夜が、常に 95点以上出るようになれば、YouTube にあげようと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 次回は、集いで杉浦と対決する前に、集いの皆に送った事情説明中に同封した、中本も公表されていることを知っている、中本から貰った、もう少し長い手紙のコピーの写真を載せさせて戴きます。そして、その、平成25年5月第2木曜日の、私二木の集い最後の日になる、集いの皆の前で、杉浦と対決しようとして臨んだ時の詳細をお伝えします。

そして、次回からは、私の歌の進捗状況、完成度が上がっていく様子を見て戴く為に、毎回、精密採点Gの写真を載せさせて戴きます。

 

長文にもかかわらず、ここ迄見て下さって、ありがとうございます。