コーチングの一番中心の概念はゴールという概念です。

コーチングの作業は自己評価を上げること。

理解するとコーチングが完璧にわかってくる。

ゴールというのは将来こうなって欲しいという自分の姿であり、周辺の姿だと思ってもらってもよい。

その中で極めて重要なのは現状では達することができないってこと。

現状っていうのは今の状態が続いた場合の可能性。

理想的な現状ではだめ。

ゴールというのはどんな理想的な現状でも、絶対達成できないことがゴール。

現状って何かって言うと、これは心の中でとてつもない自分ではそう簡単に乗り越えることができないバリアぐらいに思ってもらったらよい。

通常は現状の外側というのは、思いっきり変わらない限りは達成できない。

抽象度の高い現状の外というのは思いっきり変わらないと達成できないことを本当のゴールだと思ってほしい。

自分や自分の周りの人が変わらない限り達成できないことをゴールと言います。

このゴールを達成することができる奴だ。俺はっていう風に確信している人。それはゴールを達成することができる人です。

自己評価の定義というのは実績とか関係ない。

どうしてかと言うと、未来のことだから過去はどうでもいいのです。

実績って過去の話であり、実績そのものは本人の自信であり、自分自身の一部だから、貴重なもんだから、それを否定することは全然ない。

実績はなくてもいい。

俺は達成できる奴だ。

やったことないから否定するわけじゃない。

他の人が「お前、だめだよねそりゃ無理よ」というわけだ。

いや違います。私には達成できます。それが自己評価、だから根拠はいらない。

本来はゴールというのは現状じゃ達成できないものだから難しいに決まっています。

でも無意識というのはとてつもなくクリエイティブ(新しいものを自分の手で作り出す、創造的)なものです。

たまたま自分のゴールが設定された世界が自分の自己評価の世界と合っているかの話で、他人のゴールだったりすると発揮されないのは自己評価の空間がずれてるから。

ゴールを設定することがしっかりと現状の外側にできて、それに対して自分が達成することができる奴だっていう自己評価を維持することができると、無意識がものすごいクリエイティブに働いて、他の人には思いつかないようなクリエイティブなやり方を思いついて、ゴールを達成しちゃう。

だということは簡単に言うと当たり前だけれども、ゴールに対してよほど自分が好きじゃないと自己評価は上がりようがない。

嘘になっちゃうから、心から望んでることじゃなきゃいけないってこと。

もちろん心から望んでいるゴールに対して自己評価を下げるような要因をなくさなきゃいけない。

下がる要因というのは周りの人が多くなると。

 

それも自分がつい耳を傾けてしまう人たちが、下げる要因になるから。

そういう人たちとの会話を排除しなきゃいけない。

だいたいは親だったり、学校の先生だったり、友人だったりする。

本来は自分の一番の味方な人たちが妨げる要因になってくる。

意外と自己評価上げるときに、妨げる要因になりますよってこと。

これはまず最初のファーストステップと理解していかなきゃいけない。

あなたじゃ無理とか、君には無理とかいう可能性がある。

コーチング用語ではそういう人たちには単純な言葉がある。

ドリームキラーは意外と身近にいます。

解決法はゴールは人に言うなってこと。

ゴールは人に言わないこと。

これコーチングの基礎中の基礎です。

じゃあ何で言っちゃいけないかっていうのは、ゴールというのは止められても達成したいぐらい、なりたくてなりたくてしょうがないこと。

wont to であるということ。

ところがゴールを人に言ったりした瞬間に have to(なければいけない)に変わってくる。

自分自身が自分の自己評価をどうやって上げていこうか、一番基本なところは臨場感の問題である。

臨場感って何かって言うと。

その世界がどんだけリアル(現実的であるさま)であるかってことを。

私たちは現実世界にいるわけです。

現実世界の臨場感って高い。

五感で感じてるわけだから。

なぜかって言うと我々は五感で認識すると言っても、ものすごい情報を選択してるわけです。

興味あるものしか見てないわけです。

その時、自分が重要だと思っていることしか見ていないわけだから。

我々の世界は元々すごい限られてる世界で成り立ってますよっていうこと。

実際、心の中の自分が重要だと思ってることで成り立っている情報空間とホメオスタシス(生体が一定の状態を維持しようとする調節機能で、自律神経・内分泌・免疫の3大システムが働くことです)を築いている。

そのホメオスタシスのフィードバックの強度を臨場感という。

だから命に別状(普通と変わった状態)があれば臨場感が高いわけだ。

自分が幸せに生きてく空間として重要だと思ってる情報で成り立ってる物理空間がコンフォートゾーン(その人が慣れ親しんでいてストレスや不安を感じずに過ごせる、心理的な安全領域のこと) だと思ってもらいたい。

それが現状のわけだ。

無意識は臨場感の高い空間を選ぶ。

臨場感の高い空間を維持しようとする。

だから勝手にその世界に行こうとしてくれるってこと。

自己評価の高い空間の臨場感を上げればいいってこと。

すごく重要なものをたくさん入れればいいわけだ。

重要なものをどうやって増やすかというとアファメーション(「私は既に理想の状態である」とポジティブな宣言をすること)ということ。

アファーメーションというのは現在進行形で、自分のことで情動を表す。

嬉しいような言葉で自分の情動を表すような言葉で、自分の今の状況を語っていく。

状況っていうのは目の前の世界じゃない。

ゴールを達成した時、今いるに違いない自分、それは未来のことでもよい。

大抵は今そういうゴールを達成するんだったら、今目の前で自分の前に繰り広げるに違いない世界について記述した方がやりやすい。

自分自身であり、自分の周辺の状況を肯定系で、一人称で現在進行形で語ることをアファメーションをすることによって、物理空間よりも、その仮想的な自分の自己評価が高い方の空間の臨場感が上がっていく。

そっちの臨場感空間のほうが現実より高くなってくる。

日々のアファーメションで朝唱えて、夜寝る前に唱えて、昼間とか暇な時唱えるみたいなことをやっていくと、本当にそういった方が当たり前になっていく。

これが人間の無意識のすごいところで、そうすると現状に思いっきり不満が生まれてくる。

無意識が思いっきり持ってくれると無意識がものすごくクリエィティブに動き始めるわけ。

それがまさに自己評価を上げていくってこと。

現在の自分が将来ゴールを達成するんであれば、今きっとやっているに違いない日々の生活だったら想像しやすいでしょう。

それを言葉として唱える。

そしてだいたいは自分について、俺はそういうやつ。それを朝唱える、昼唱える。そして寝る前に唱えるってことをやってると。

本当に目の前の現状が見えてる世界が本来があるべき世界に変わってきて。

でも無意識は「なんか違うな」と思うけど。

それは自分が見えてる世界が臨場感を持ってるから。

現状に不満が生まれる。 

そうすると無意識が本当にそれを解決するように。

クリエイティブに働く。

コーチングの一つはアファーメーションという技術を使う。

無意識とは今気づいているところが意識、気が付いてないところが無意識。

気が付いているというのは行動していても気が付いてない。

意識に上げてないけど自動的にできちゃっているやつが無意識。

実際は自分の認識の中にあるけど内省的に今意識しているところを意識、内省的に意識していないとこを無意識していると思ったらいい。

だから、自分が意識的な作業としてやらなくても、無意識がちゃんといかにやりたいことをやってくれているか。

重要なところは無意識がやってくれている。

実際は多くの知的作業ってそうなの、重要なテーマだったり、証明だったり。

そういったものはだいたいはある程度考えても、解決の作業、ずっとやってくれてる。

無意識というのは解決するべき問題を本人が気がついてないうちに勝手に解決してくれるもの。

これが無意識の作業で、無意識化する便利っていうのはそこだよね。

ものすごくたくさんのことを同時に問題解決をやってくれる。

無意識はすごくクリエイティブなのね。

だからコーチングでいうと現状の外側にゴールを設定すると現状の外なんだから達成しようが見えないに決まっているじゃん。

見えないものをどうやってやるんですかって言うと、脳は勝手にクリエイティブに見つけてくれる。

現状の外側は脳が無意識になって勝手にクリエイティブに問題解決してくれる。

達成の仕方なんかわからなくてもいい。

現状の外側に思いっきり本当になりたいゴールを設定できればちゃんと脳がクリエイティブにみつけてくれますよ。

実際にマインドって本当にそういう風に働くのね。

たくさんのことを同時にクリエティブに問題解決してくれてそれも自分でやった気にならないんです。

努力はいらない。それが無意識が味方につけるといいこと。

じゃどうやって味方につけるか。

本当にクリエイティブな無意識状態を作る。

その意識状態を引っ張り出す「環境」がいる。

現状の外に思いっきり本当になりたいゴールを設定できれば、ちゃんと脳はクリエイティブに見つけてくれます。

なんもしないでボケーとしているときと一生懸命、頭の中にビルを建ててる時で使ってるエネルギーほとんど変わらないんだよ。

無意識の中では、整合的なものを組み上げていこうという作業は、しようがしまいが普段使ってるエネルギーは変わらない。

変わってないってこと。

人間の無意識というのは物理空間と逆向きに働いてるわけ。

より整合的なものを作り上げてくれる。気が付かずにやれるわけ。

人間の無意識の力でそれは何かっていうといかに現状から切り離されたゴールを遠くに立てたいか。

ビルでいうと思いっきり高いビルを情報空間に立てようとすると無意識が思いっきり働くわけ。

それをゲシュタルトって言っている。

普段と同じバランスのゲシュタルトをほんのちょっと動かそうとしても戻っちゃって終わり。

ところが一度ゲシュタルトをバラバラびして、思いっきり高いものを作ろうとするとそのバラバラにしたゲシュタルトとが高いところに集まろうとするわけ。

コンフォートゾーンを上げるっていうことでも同じわけです。

 

 

 

考えること、思うこと、考える動きを「思考」と言います。

思考は、自分の過去の知識や経験によって、解決できない場面にぶつかったときに起こるものです。

「欲求」や「感情」を遮断することがらが「思考」を起こさせることになるので、この段階を「適応困難」の段階と言います。

その動機となるものが一般に言われている「問題」です。

問題がどこにあるのか、その原因は何かと、その問題を探し出す過程です。

それから「仮説」を立てます。問題解決の憶測の過程です。

こうすれば良いと思うとか、ああすればどうかと、問題を解くように思われる事柄を立ててみる段階です。

仮説に対して、他の一般原理と適合するかどうかを慎重に検討していく段階が「演繹」(えんえき)です。

演繹にたいして帰納という言葉がありますが、帰納とは種々の資料を集めて一つの結論を導き出そうとすることです。

次に、主観的に導かれた結論が、はたして客観的に妥当であるどうかを実験観察する段階です。

このようにして問題が解決されていく。

一般に、思考過程としては多少段階の前後があるかもしれませんが、もっと多く観察される現象に「試行錯誤」があります。

問題がどこにあるのか、その問題をどうやって解決していくかなど、考え出さなければなりません。

試行錯誤とは、一定の欲求目標に到達しようとする場合にその道が不明な時、場面を探索したり仮定を設けて実験を試みたり、他の角度から観察するなど、その目標にしようとするために、その活動を次から次へと変更していくことを言います。

このようにしてよい方向を決定し、その過程を踏むことによって目標に到達するものです。

このように試行錯誤をし、最後に目標に到達する道を発見して、目標に到達します。

態度とは、ある一定の行動、または、一定の精神活動を起こそうとする持続的傾向です。持続的傾向とは準備態勢を指すものです。

何に注意するかは、その時に持っている「欲求」「感情」「課題」によって決定されますが、習慣的態度によっても決定されます。

人間は、常に人間としての生物学的構造を持って生理的な現象に拘束されながら成長し、その間に「反応」「欲求」「感情」を起こして行動しています。

それらはすべて社会的環境の枠の外に出ることはありません。

人間は肉体的精神的場面と環境的場面という二つの場面の中に生活を営み、この二つの場面の相互作用から生まれてくる一つの恒常的な態度が個性として見られ、環境に対する適応性が「人格」として取り上げられています。

人格とは、ある人の環境に対する独特の適応の仕方を決定する、精神的・肉体の体内にある力、動的体制であると定義されるでしょう。

人格は、個々の心理機能と性質の集まりではなく、総合されてできあがった組織体です。

また、固定的な静態的な組織体ではなく、肉体の成長循環、環境の推移などによって、常に、少しずつ変化する動的な組織体です。

時によると、その組織体の統一が壊れることがあり、特に異常人格の場合、その分裂がしばしば起こります。

人格は、精神的なものばかりでなく、肉体的、精神的な両者の動きが融合して形成されている統一体です。

人間が行動する場合、行動そのものが人格ではありません。

もっと個人の内部に存在しているので、その行動を引き起こさせたり引き止めたりする、「決定傾向」の組織体であると言われています。

よって、個人の行動や活動が引き起こされたとき、はじめてその行動や活動を通じて、その人の人格が知られるのです。

あらゆる人の環境適応はみな異なっています。

それは、その人の生理的条件とか、時間的、場所的、質的条件から見ても、すべて同じ状態のものと言えないからです。

人格は独特なものである反面、集団特性として観察した場合、そこに一般的な量的共有制を現し、また、統一的異変を知ることができる可能性があるので、ある程度の基本的な共有現象が観察されてます。

このように人格の特性があげられますが、人格の形成において最も重要なことは、体質的な要因です。

まず、遺伝とか、肉体構造など生理学的な部面に負うところが多い。

一体、感情とはいかなるものでしょうか。

一般に、感情と感覚とを同一視する傾向がありますが、両者は本質的には異なるものです。

例えば、身体に危険が起こった場合、これを避けようとする衝動運動が起こりますが、その時同時に恐ろしいという感情が起こってきます。

この恐ろしいが感情です。

また、危険という環境刺激の変化についての感受性が感覚です。

欲求が起こると、すべての場合において身心の緊張状態が生じますが、それと同時に緊張の感情が起こってきます。

この場合、その欲求が充足されるまでこの感情状態も続きますが、欲求が満たされると、欲求不満における緊張状態の感情が解消されて、喜びの感情が起こってくることは一般的に体験されることです。

その欲求の充足行動が妨害されると、その感情は怒りとか悲しみに変わることも体験されていることです。

感情は欲求行動の裏をなしているものであるとも言えます。

また、感情は行動や精神作用を呼び起こすところの動機であるとも言うことができます。

感情は欲求と裏腹をなすものですが、感情が必ずしも欲求にだけ見られる現象であるとは限りません。

意志においても見られることであり、知覚、感覚、その他、生理的現象において裏腹をなして見られる現象です。

感情は、われわれの心理的生活において、広い範囲を持っていることが分かります。

感情を分析すると、その感情の根底には、快・不快の感情があります。

 

ある雰囲気に自己が浸かったとしましょう。

その雰囲気というのは一つの感情の世界です。

その雰囲気が快=プラスであれば、自己は満足していることになります。

この満足したということは、自分にとってよかったことであり、このよかったことは、一つの印象となって自分の心の奥にしまわれるでしょう。

その印象が再びあるときに想起されると、もう一度その雰囲気に浸かりたいという欲求を引き起こさせます。

雰囲気が不快=マイナスであれば、自分はその雰囲気に不満であり、それを悪かったことという印象として心の奥にしまわれ、もう二度とその雰囲気には浸かりたくないと思うようになるでしょう。

また、その時の雰囲気が、快でも不快でもないとしたならば、感情現象と言うよりも別な印象が残るか、あるいは何も残らないでしょう。

さてさらに、これから先を知っておかなければなりません。

それは、快の感情が必ずしも肉体にとって有益であるとは限らないことです。

かえって害になる場合もあるとことを知っておくことです。

煙草や麻薬は快であっても、肉体的には有益でない場合が多く、これと反対に不快の感情が必ずしも肉体にとって害になるとは限りません。

例えば、良い薬は苦いし、注射は痛いけれども肉体にとっては益になる場合があります。

すなわち、マイナス感情であっても、それはプラス要因を含んでいるマイナス感情である場合があり、プラス感情であっても、それはマイナス要因を多く含んでいるプラス感情である場合があることを特に注意しなければなりません。

ここでカウンセリング(心理相談)に適応する一例をあげておきましょう。

例えば、夫婦喧嘩の末、仲人または カウンセラー (相談員)のところに来て、自分の不満や夫の悪口を言うことは不快な感情でありますが、それを聞いてもらうことが、むしろ快の感情であったりする場合など良い適応例であります。

「情緒」が起こると、人間の場合は表情が変わります。

例えば、顔が紅くなったり、蒼白になったり、呼吸や脈拍が激しくなったり、ゆっくりなったりする現象が伴います。

また、体が震えるとか、唾液、胃液などの分泌に変化が起こる。

このような変化を、電気抵抗の変化によって知ろうとしたものが「バイオフィードバック」です。

今日においては、脳波計や心電図計、呼吸計など機械的な心理検査機が作られています。

医学的には脳波計、心電図などがかなり高い位置において用いられています。

それでは、一体、なぜこのような変化が起こるのでしょうか。

 

それを生理的に解析してみましょう。

まず、感情が起こるということは、肉体にある緊張状態が起こったことを意味します。

この緊張状態を引き起こすということは、そこに何らかの反応を表わすことになります。

 

それは顔面に起こる場合もあるし、筋肉に起こる場合もあります。

また、その他の器官にも緊張状態を引き起こす場合があります。

これらの緊張状態が長く続くと、そこにストレス「Stress」 と言われる現象が起こります。

また、緊張は筋肉的緊張だけではなくて、そのような緊張状態を内蔵にももたらすことになります。

そのもっとも主な形は、脳下垂体に緊張を起こさせるホルモン S.T.H. Somatotrope Hormone (成長ホルモン)を放出させることです。

また、副腎を刺激して、副腎皮質ホルモン DOCA(ドーカ)Desoxycorticosterone acetate (デソキシコルチコステロン)を分泌させることになります。

この S.T.Hや DOCAは、心臓や腎臓の障害、血圧症状、関節炎などを引き起こす原因を作ります。

常に自然が要求する適量であれば、このようなホルモンは大切なものですが、度を越すと生理的バランスを崩し、このような症状を引き起こさせることになるのです。

そこでセリエ「Selye」という学者は、このままの状態におくとついに肉体は滅びてしまうはずなのに、なぜ、これらによる症状が起こっても、肉体がある程度これに抗していくことができるのかを研究し、これを究明しました。

すなわち、S.T.H.や DOCA を中和してしまう物質に注目し、1938年にその物質を発見したわけです。

その物質は A.C.T.H. Adreno-Corticotropic hormone と言います。

物質そのものは1930年スミス「Smith」によって発見されたのですが、中和作用を発見したのはセリエ「Selye」であります。

ある事象が起こる。起こるにはそこに何かの原因があり、その事象が消失するには何かそこに原因があるはずです。

この考え方の中にも、さらに次の思考の発展があります。

この中の事象が起こる原因についても、起こるには、起こる原因である事象とその事象を促進するところの事象があります。

すなわち、これをあるときには媒体的な要素として考える場合もあり、促進的な事象として考える場合もあります。

また、さらにその原因である事象の以前の要因にまでも思考範囲を広げていかれるように、頭脳の開発をしておくことが大切であるという事例として記憶しておいてください。

この A.C.T.H. という物質ですが、この物質を正確に言うならば、副腎皮質刺激ホルモン(脳化垂体における向副腎皮質ホルモン)です。

このホルモンが分泌されることによって、副腎皮質ホルモンの分泌が促進されます。

分泌された、すなわち、コーチゾン Cortison (束状層分泌)がそれですが、このコーチゾンは DOCA とか S.T.H. から起こる症状を中和させる作用を持っています。

これによって中和作用が理解できると思います。

まず精神的な緊張が起こるとアドレナリン Medullo adrenal hormone (これは副腎髄質ホルモンで、一般にアドレナリン Adrenaline と呼んでいるホルモンです)が血中に放出されます。

 

すると、心臓、欠陥収縮筋、気管支拡張筋、唾液腺、子宮神経などの機能が促進されます。

このため、脈拍が増加したり現象したりする傾向が起こるのです。

一方においては、抹消血管が収縮されるため顔面が蒼白となったり、内臓の血管は収縮するため血圧が亢進(上がる)し、眩暈(めまい)、耳鳴り、意識亡失、唾液分泌増加、呼吸困難、糖尿、嘔吐などの現象が引き起こされます。

このアドレナリンが血中に放出されますと、前途のように冠状動脈が収縮し、結局、心臓の筋肉は十分な血液の供給が受けられなくなって、ついには狭心症などを起こす原因を作ることになります。

一方、このアドレナリンは人間の危険に対処する作用を持っております。

それは、血管が収縮されるために出血を防いだり、反面、他の機能を促進する作用を一面において持っているからです。

このように、感情と内分泌器官との関係は、非常に密接な関係を持っていることが明らかになり、そこに情緒という現象をもたらしてきていることがわかったことと思います。

感情における精神的緊張状態の累積は、いかに心臓に負担を与えるかが想像できるでしょう。