考えること、思うこと、考える動きを「思考」と言います。
思考は、自分の過去の知識や経験によって、解決できない場面にぶつかったときに起こるものです。
「欲求」や「感情」を遮断することがらが「思考」を起こさせることになるので、この段階を「適応困難」の段階と言います。
その動機となるものが一般に言われている「問題」です。
問題がどこにあるのか、その原因は何かと、その問題を探し出す過程です。
それから「仮説」を立てます。問題解決の憶測の過程です。
こうすれば良いと思うとか、ああすればどうかと、問題を解くように思われる事柄を立ててみる段階です。
仮説に対して、他の一般原理と適合するかどうかを慎重に検討していく段階が「演繹」(えんえき)です。
演繹にたいして帰納という言葉がありますが、帰納とは種々の資料を集めて一つの結論を導き出そうとすることです。
次に、主観的に導かれた結論が、はたして客観的に妥当であるどうかを実験観察する段階です。
このようにして問題が解決されていく。
一般に、思考過程としては多少段階の前後があるかもしれませんが、もっと多く観察される現象に「試行錯誤」があります。
問題がどこにあるのか、その問題をどうやって解決していくかなど、考え出さなければなりません。
試行錯誤とは、一定の欲求目標に到達しようとする場合にその道が不明な時、場面を探索したり仮定を設けて実験を試みたり、他の角度から観察するなど、その目標にしようとするために、その活動を次から次へと変更していくことを言います。
このようにしてよい方向を決定し、その過程を踏むことによって目標に到達するものです。
このように試行錯誤をし、最後に目標に到達する道を発見して、目標に到達します。
態度とは、ある一定の行動、または、一定の精神活動を起こそうとする持続的傾向です。持続的傾向とは準備態勢を指すものです。
何に注意するかは、その時に持っている「欲求」「感情」「課題」によって決定されますが、習慣的態度によっても決定されます。
人間は、常に人間としての生物学的構造を持って生理的な現象に拘束されながら成長し、その間に「反応」「欲求」「感情」を起こして行動しています。
それらはすべて社会的環境の枠の外に出ることはありません。
人間は肉体的精神的場面と環境的場面という二つの場面の中に生活を営み、この二つの場面の相互作用から生まれてくる一つの恒常的な態度が個性として見られ、環境に対する適応性が「人格」として取り上げられています。
人格とは、ある人の環境に対する独特の適応の仕方を決定する、精神的・肉体の体内にある力、動的体制であると定義されるでしょう。
人格は、個々の心理機能と性質の集まりではなく、総合されてできあがった組織体です。
また、固定的な静態的な組織体ではなく、肉体の成長循環、環境の推移などによって、常に、少しずつ変化する動的な組織体です。
時によると、その組織体の統一が壊れることがあり、特に異常人格の場合、その分裂がしばしば起こります。
人格は、精神的なものばかりでなく、肉体的、精神的な両者の動きが融合して形成されている統一体です。
人間が行動する場合、行動そのものが人格ではありません。
もっと個人の内部に存在しているので、その行動を引き起こさせたり引き止めたりする、「決定傾向」の組織体であると言われています。
よって、個人の行動や活動が引き起こされたとき、はじめてその行動や活動を通じて、その人の人格が知られるのです。
あらゆる人の環境適応はみな異なっています。
それは、その人の生理的条件とか、時間的、場所的、質的条件から見ても、すべて同じ状態のものと言えないからです。
人格は独特なものである反面、集団特性として観察した場合、そこに一般的な量的共有制を現し、また、統一的異変を知ることができる可能性があるので、ある程度の基本的な共有現象が観察されてます。
このように人格の特性があげられますが、人格の形成において最も重要なことは、体質的な要因です。
まず、遺伝とか、肉体構造など生理学的な部面に負うところが多い。