私が「どんな時でも大丈夫な自分」に出逢えたきっかけ | 【ドイツ発】心の質は人生の質!マインドフルネス&セルフコンパッション&アドラー心理学で揺るがない幸せ体質になろう★ジュバ智子

【ドイツ発】心の質は人生の質!マインドフルネス&セルフコンパッション&アドラー心理学で揺るがない幸せ体質になろう★ジュバ智子

人生に「遅すぎる」なんてない!ドイツMBSR協会認定・国際資格を持つマインドフルネス講師が伝える本物のマインドフルネスで心の苦しみを根本から解決!セルフ・コンパッションで自分を優しく支え、アドラー心理学をコンパスに「後悔しない人生」を今日ここから始めよう☆

こんにちは!

 

今日もこのブログにお立ち寄り頂き、ありがとうございます。

アドラー心理学勇気づけリーダー、マインドフルネスコーチのジュバ智子です。

 

 

前回の記事で、苦しい感情を見つめた先に「どんな時でも大丈夫な自分」がいます、と書きました。

=>苦しい感情が湧いた時こそ

 

ちょっと長くなりますが、今日は私がどんな風に「どんな時でも大丈夫な自分」に出逢ったか書こうと思います。とても説明するのが難しいので、うまく伝えることが出来なかったら、ごめんなさい。

 

……

 

もうかれこれ3年ほど前のことですが、娘が登校しぶり、テストの時はパニックを起こすか頭が真っ白、ちょっとしたストレスで過呼吸になるという、親としてとても心配で不安まみれだった時期があります。

 

そんな心配と不安を何とかしようと縋りついたのが、アドラー心理学とマインドフルネス(Mindfulness Based Stress Reduction=通称MBSR、マインドフルネス・ストレス低減法)でした。

 

MBSRの初心者コースに通い、週に一度、2時間半の講義と瞑想のお稽古をして、自宅でも毎日45分の瞑想(宿題)を続けていた頃。瞑想しても瞑想しても、出てくるのは胸が締め付けられるような不安ばかりでした。

 

アドラー心理学で学んだ声がけをできる限りして、瞑想で私の心の安定を心掛けてはいても、娘はテストのたびにブラックアウトで赤点を取り続け、月曜日には吐き気・頭痛を訴える、過呼吸が治らない。

 

本当にこのままで大丈夫なのだろうか、自分と娘はいったいどこへ向かっているんだろう、不安ばかりが沸き上がっていました。

 

……

 

そんなある日、会社から家に向かう頃、娘からもらったLINEには、こんなことが書いてありました。

 

「ママ、Mちゃん、またテストでやらかしちゃった。ほんとにごめんね。いつもダメで。でね、学校でたくさん泣いちゃって、もう涙出ない(笑)。だからお家に帰ってきたら、ママはMちゃんに何も聞かないでね。たくさん泣いたから、Mちゃんは、もう大丈夫だから。心配しないで、ママは笑っててね」

 

 

帰宅した娘は元気そうな声で「ただいま~」と言って、私にちょっと笑いかけると、そのまま自分の部屋に行ってしまいました。

 

いつもなら、しばらくすると「今日のおやつ何?」とか言いながら部屋から出てくるのに、出てこない。そっと様子を見に行くと、娘は教科書を机の上に開き、それを虚ろな目で見つめていました。

 

 

ああ、

この子は、涙が枯れるほど、学校で泣いたんだ。

一生懸命勉強しても、テストの時には結果が残せない、何度やっても失敗する。

お友達も心の中ではこの子をバカにしているし、「できない子」とレッテルを貼ってる先生がいっぱいいる。

どれだけ辛い思いをして学校に行っているんだろう。力尽きて、これ以上どこから力を得たらいいかもわからない。

それなのに、わたし心配させないために、家では泣かないように頑張ってる。

本当に苦しいのは、わたしなんかじゃない、この子なんだ。

 

 

そう思うと、娘にかける言葉など、出てきませんでした。

 

娘が感じている痛みと、それをどうにもしてあげられない私の悲しみが一緒になって、胸がつぶれそうでした。

 

何も言わず、机に向かっている娘の肩にそっと触れると、娘は私の方に向き直って、私の胸のあたりに顔をうずめると、絞り出すような声で泣き始めました。

 

私は娘の髪をなでながら、彼女の嗚咽を聴きながら、彼女の痛みと自分の悲しみを丸ごと受け止めていました。心が引きちぎられるような、身が切られるような、先が見えない、砂嵐の中にいるような感覚でした。

 

私の中の悲しみは、荒々しく吹き荒れています。いつ止むかもわからない。でも、悲しみに巻き込まれないように、瞑想でお稽古したように、ひたすらその激しさに寄り添っていると、

 

ふっ と

 

風が緩んだような瞬間が来ました。

自分の中で荒れ狂っていた悲しみが、ちょっと弱まった瞬間です。

 

「あ、息ができる」

 

そう思った瞬間、

 

娘の身体のぬくもり

優しい陽だまりのにおいがする髪

部屋に差し込んでいる日差しの柔らかさ

 

を感じたのです。

 

 

すると、不思議なことに、あれほど暴れていた悲しみがすっと引いていくと同時に、

 

ああ、温かい。

この子は生きている。

私も生きている。

だから、大丈夫なんだ。

私もこの子も、絶対大丈夫なんだ。

 

と心の底から思えたのです。

 

 

どのくらい時間が経ったのか覚えていません。

娘が顔を上げると、娘は笑顔になっていました。

 

ここまで娘とは一切言葉を交わしていないのに、

 

私が

「大丈夫だからね」というと、

娘は

「うん!」と言って笑いました。

 

……

 

不思議な体験でした。

この時から自分を心底信頼できるようになった気がしています。

 

この後も瞑想合宿で「どんな時も大丈夫な自分」を感じることができ、

「大丈夫な自分」は本当にいるんだ、あの時の感覚は本物なんだ、とわかった時は、

涙が止まりませんでした。

 

辛い感情があったからこそ、「どんな時も大丈夫な自分」に出逢うことができました。

娘がもたらしてくれた数々の悩み・苦しみには、今は感謝しかありません。

 

私も人間ですから、辛い感情はできれば感じたくないなあと思います。でも、私も、このブログをお読みになっている皆さんも、

 

感情はとどまることを知らない海の表面の波

自分は海そのもの

 

感情は刻一刻と変わっていくお天気

自分は空そのもの

 

なのです。

 

だから、「どんな時でも大丈夫」なのです。

辛くて涙がこぼれる時、「どんな時でも大丈夫なあなた」は、あなたの中にいるのです。

 

 

音譜音譜あなたの毎日が豊かで軽やかでありますように音譜音譜