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Mind Shift

「すべては心(Mind)の持ち方によって変わる(Shift)」

をモットーに、

働くこと、生きること、楽しむこと について

日々の気付きを書いています。


言葉の重みについて。


もうすぐこのblogをはじめて1年になりますが、

だれかから引用させていただく言葉と、

自分の言葉と、

言葉の重みが全然違うなと、悲しくなります。。


天秤にかけると、ゆらぐこともなく、

前者に傾いてしまう感覚です。



おそらくそれは、日々感じたことの「瞬間」を

切り取って言葉にはしているけれど、

外からの刺激を自分の内面に照らし合わせ、

外の世界へ、人をinspireできるまでに昇華できていないから

だと感じます。



あふれまくっている情報の「編集」が

まだまだ生煮えなのです。




でも、こうして振り返りすらしないと、

しょうもない、そこそこの未来しかありません。


50年後、言葉に重みを持たせられるように、

日々精進していきたいと思います。

先日お会いした、写真家の方から、

今年5月の東北のお話を伺いました。


がれきなどは、1年前に比べると、だいぶ片付けられたようです。

が、様々な問題が複雑化していて、復興の道のりはまだまだ険しいようです。

「車が流されちゃってね~」という話をご近所さんにすると、

「いやいや、うちは家が流されちゃって・・・」

「うちなんて、主人が流されて・・・」

という話になってしまい、心の中で思っていることが言えない状況もあるそうです。


ある旅館のおかみさんは、小学校高学年の娘が目の前で先生や友達が

流されてしまったのに、その体験を親子で話せないといっていたそうです。


そのおかみさん曰く、いま、一番欲しいのは、お金でも物資でもなく

「話を聞いてくれる人」だとか。


同じ被災者ではなく、都会に住む、違う境遇の人の方が、

「話を聞く」という意味で役に立てるようです。





「ただ話を聞く」、そんな贈り物の形もあることを知りました。


311以来、まだ行っていない東北、この夏、行こうかと思います。

贈り物について、前回の続きです。

いわゆる「物」の贈り物以外に、

どんな贈り物があるのでしょうか?


「甘さ」ではなく「優しさ」という贈り物があると

気づかされたことがありました。


短期的にはその人にとっていいかもしれないけれど、

中長期的にはその人のためにならなそうなことがあるとき。


例えば、ダイエット中の友人がデザートを食べようとしているとき、

「まあたまにはいいんじゃない?」と促してしまう「甘さ」と、

「あなたのためだから」と変わりに自分が食べてしまう「優しさ」(笑)。



あるいは、いつも「○○さんが△△している人が~してくれないんです」

が口癖の人・・・その人に対して、

「それは大変だね」とただ共感し、気持ちによりそうだけの「甘さ」と、

「確かに大変だね。でも、~してくれない、ではなく、あなたは何をしているの?」など

厳しいかもしれないけれど、本人の成長や問題の解決につながる働きかけをする「優しさ」。


両方あると思います。


「甘さ」は「贈り物」にはならないけれど、

本人のためを思う「厳しい優しさ」は

そのときは嫌がられてしまうかもしれませんが、

立派な「贈り物」だと思います。



1日1日、関わる人に少しでも自分なりの「贈り物」が

できるようになりたいです。




最近、気になるキーワードは「贈り物」です。

家計簿を見ていたら、「贈り物代」が毎月一定量あり、

「結構、贈り物を沢山しているんだな~」

「贈り物をするって何だか好きだな~」

と感じたことがきっかけです。


贈った相手が笑顔で喜んでくれると、やっぱりとても嬉しいものです。

ただ、自然に喜んで頂く、というのは中々難しいです。

お仕着せがましくなってもいけないですし、

相手に気を遣った反応をさせてもいけないです。

10年以上毎年恒例の誕生日プレゼントなどであれば、

贈り物のやり取りが、「飽きないもの」であることも

求められます。


「贈り物」の幅を広げよう、

相手がとても喜ばれていたことを思い返すと

最近、

「自分がつくったものや組織に属する人が

 日々を心から楽しんでいる、ということを

 第三者から聞き、喜ぶ方」

がいらっしゃいました。


確かに、それは、本当に幸せなことだと思います。

「贈り物」は別に文字通り「物」だけではありません。

幸せな姿そのものが「贈り物」ということもあります。


「贈り物」について、明日ももう少し考えてみたいと思います。








昨日、"Must"だけでなく、"Will"を明確にすることが大切、と書きました。

Willの粒度にも様々なレベルがあり、

「今日のお昼ご飯は何を食べたいか」

という小さいレベルから

「人生において成し遂げたいことは」

という大きいレベルまであります。


大きいレベルほど、明確に描ける人は少なくなると感じます。

阿部謹也さんが研究テーマ選定の際に恩師に言われたことば、

「それがなくては生きてゆけない、というテーマなのか」

を振り返り、後年、

40歳にそのテーマが見つかったとしてもよいのだ、

という趣旨のことをおっしゃっていました。


真剣に考え、行動し、考えぬいた方が辿りつくのに40歳、

ということは、

自分はもっともっと、真剣に考え、行動し、考えぬかねばならないと感じました。


長い視野を持ちつつ、長い道も足元の一歩一歩のみが作れる、

と思って日々を生きます。