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Mind Shift

「すべては心(Mind)の持ち方によって変わる(Shift)」

をモットーに、

働くこと、生きること、楽しむこと について

日々の気付きを書いています。

明日は、幸運にも機会があり、文章執筆・作成の達人で
プロのライターでいらっしゃる徹さんによる
文章執筆講座(平成進化論/鮒谷さん主宰)に参加させて頂く予定です。

<上阪徹さんご著書(一部)>
プロ論。/徳間書店
文章は「書く前」に8割決まる/サンマーク出版
書いて生きていく プロ文章論/ミシマ社
リブセンス<生きる意味> 25歳の最年少上場社長 村上太一の人を幸せにする仕事/日経BP社



一度は上阪さんの本を読まれたことがある方は少なくないのではないでしょうか?

私自身も「プロ論。」は、前職の時に職場で紹介され、
出会えて良かったと、後々まで記憶に残る本の一つです。

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「書く」機会は、メールや提案書などのいわゆるビジネス文章以外にも、
blogやfacebook、イベントの告知文、他己紹介など、沢山あります。

自分で何か渦を巻こうとしている方であれば、
なおさら、少しでも上手な文章を書きたいと思われているのではないでしょうか。

私自身、最近、イベントの告知文や、クラウドファンディングの支援募集文など、
これまで書慣れた提案書とは異なる文章を書く機会が増え、悩むことが多いです。

またblogも開設してから9月で2年となりますが、
まだまだ「ただ書いている」状況を脱することができず、これも悩みの種です。

という訳で、上阪さんご本人から直接お話をお伺いするにあたり、
取り急ぎ数冊を拝読致しました。


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印象に残った点をあえて3つにしぼると以下の通りです。

1.  文章の「技術」よりも「心構え」が大切

2.  何の目的で、誰に向けて書くのか、を明確にする


3.  文章で伝える「難しさ」をよく理解する



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1.  文章の「技術」よりも「心構え」が大切

「文章が上手くなりたい」と思うと、
「語彙を豊かにしたらいいのかな」とか、
「王道の起承転結で書いた方がいいのかな」とか、
つい、技術に注意が行きがちです。

しかし、技術を高めることばかり注力していると、
「いい文章を書くこと」自体が目的になってしまいかねません。

文章を書く際の心構え、書く前の準備こそが重要、
というメッセージは心にぐさりと響きました。



2.  何の目的で、誰に向けて書くのか、を明確にする

1.の心構えの具体的なポイントの第一がこの「目的」と「相手」を
明確にする、ということです。

思い返すと、前職では、メールや提案書は、誰に読んでもらい、
どのような行動を起こしてもらいたいか、明確にしろ、
と口を酸っぱく教えてもらいました。

例えば、メールの件名は、こんな感じです。
例:【○○さん(cc△△さん)】XXについてのご確認依頼(○/○午前迄希望)
このような件名から書き出すと、自然と本文の内容や構成も決まってきます。

blogやメルマガ、イベントの告知文の場合であっても、
大切なポイントは同じ、ということに気づかされました。

ただ、仕事におけるメールや提案書では、文章がだめでも、対面や電話で
直接話すことで、リカバリーができたり、目的が達成できる機会がありました。

相手の方も、分かりにくい文章を書くやつだと思っても、
仕事上必要なことであれば、やりとりをしてくれます。
下駄を履かせて頂いていたようなものです。

あらゆる文章は「目的」と「相手」を明確にすることが不可欠。

当たり前かもしれませんが、一番大事なことだと思いました。


3.  文章で伝える「難しさ」をよく理解する

2.につながる点です。
そもそも読み手は「必ずしもその文章を読む必要はない」という
当たり前のことをよく理解する必要性です。

時間は有限です。

仮に、自分にとっては2~3分くらい何に使ってもいいや、
と軽く捉えていたとしても
人によっては、死に物狂いで捻出した1分1秒の積み重ねである
可能性は大いにあります。

自分が書いた文章を読んで頂くことの有り難さを肝に命じることが
大切だと改めて感じました。



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他にも、上阪さんのご著書には、文書を書くためのエッセンスが
惜しみなく披露されています。

自分に足りないところが沢山あり、途方にくれそうですが、、
明日は、まずはどこから着手していくか、具体的な行動につながる学びを
持ち帰ってきたいと思います。

だれでもフロイトやユングという名前を、
一度は聞かれたことがあるかと思います。

心理学の勉強をかじりはじめた私にさえも、
19世紀~20世紀初頭にかけて、
この2人の人物が残した理論は、
後世に大きく影響を与えたと感じ取れます。

興味深いのは、フロイトとユングの友情と確執です。

<危険なメソッド>という映画で
エンターテイメント化までされています。



誤解を恐れずにざっくり言ってしまうと、
最初はフロイトを先輩として慕っていたユングが、
考え方の違いによりフロイトと決別するのです。

フロイトと決別することは、単にフロイトとの個人的な別れではなく、
フロイト派の人との決別もセットでついてくるものだったようです。

社会的側面でも喪失感を味わったユングは「暗黒時代」とも呼ばれるほど
自分の内面にエネルギーを注ぐ、苦しい時期を体験したとか。

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興味深いのは、その決別の苦しい体験こそが、
ユングが後に打ち立てる理論の一番のもとになっている、
ということです。

個人的な体験を普遍的な理論へ昇華させるのは
口で言うのとは比べられないほど、大変なことなのでしょうが、

後世に残る理論も、個人的な体験から生まれる、
というは何だか勇気が出てきます。


比べたらおこがましい!虫がよすぎる!と怒られてしまいそうですが(笑)、
こうして毎日書いているblogも個人的な体験を扱っています。

ここから後世に残る理論がつくれる可能性も十分あるかも!?


そう思うと、毎日どんなに眠くても書いてみようか、
と思えるので不思議です。自己催眠ですね。

明日も素敵な1日になりますように。

前回の「会社員を辞めるコスト」に引き続いて、
「会社員を続けるコスト」を今回はまとめてみます。

「会社員を続けるコスト」は、「会社員を辞めるコスト」以上に、
「会社員としてどのように働いているか」によって、
違いが大きいのではないかと思います。

繰り返しになりますが、あくまで、私は、
新卒から6年務めただけで能力も人間としての器もまだまだひよっこ、
かつ、独身の身軽な状態で辞め、フリーランスなった人間です。

そんな私が、
「会社員時代はこういうコストを払っていたんだな・・」と
最近感じることをまとめてみます。

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「会社員を続けるコスト」も、「会社員を辞めるコスト」同様、
以下3つに分けてまとめてみます。

1.経済的側面、2.社会的側面、3.心理的側面

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1.経済的側面

・身銭を使って仕事をする機会や感覚が乏しい

会社員としてビジネスを行う場合、
経営者などでない限り、多くの人は「会社のお金」を使って活動します。
(自社株を持つ人も入れば、会社も金融機関や株主から借りているので、
 「会社のお金」と言い切れないところもありますが、ここでは、
 「感覚値」の問題として、単純化しています)
  
自分一個人では扱えない規模のお金を動かすことができるのは、
会社員を続けるメリットともいえ、
まさに「個人ではできないことをやるためにある」組織ならではの醍醐味です。

ですが、身銭を使って仕事をすることで得られる感覚、
自らが投下するリソースとアウトプットに対する高い感度は、
「会社組織」というワンクッションを挟む以上、
乏しくなりがちだと思います。


・本当はもっともらえるかもしれない、報酬=仕事の対価をもらえない

平たく言えば、会社にさっぴかれてしまっているかもしれない、
ということです(笑)
私の場合は、実力に対して十二分の給与を頂いましたが、
会社を離れた個人でもお客様がつく程の、高い実力を持つ方の場合、
仕事の対価である報酬が、提供価値に対して低い状態かもしれません。

総合的には、会社のブランドや、会社のリソースを使ってこそできている
提供価値の割合や、雇用=給与の安定さ度合いを加味して、

もらっている報酬の妥当性を考える必要がありそうです。


・時間の使い方に制約がある

業界や職種でかなり違うと思われますが、
私の場合、毎週1回は参加必須の会議があったり、
21時以降の残業や土日にオフィスで仕事するには、
マネージャー承認ととらなければできなかったり、
基本的には9時には業務を開始しなければならなかったりしました。

できるだけ、抜け道を探しに探してやっていましたが、
どうしても商談よりも社内の会議を優先させなければならない
事態が発生するなど、経済的価値を生み出す一番のリソースである時間に
制約がかかっていました。

とはいえ、これも実力次第。
スーパー会社員の方は、
「好きなようにやっていいよ、と言われて、本当に好きなように
 海外を飛び回って仕事をしている。
 上司にはメールや電話で報告だけしていればいい。
 そして、毎年2~3ヶ月病気(仮病)になって休んでいる」
と全く時間に制約がない生活を送っている方も世の中にはいるそうです。



2.社会的側面

・会社のブランド、肩書きに影響を受ける(自分が何者かを問われる感覚が鈍る)

会社や業界のイメージによって、プラスにもネガティブな印象を
もたれます。
私は人材育成、というどちらかといえば前向きな類いの仕事だったので、
「人の成長に関わるなんて、素敵なお仕事ですね」というお声を
頂くことも少なくありませんでした。
業界内では、比較的勢いがあると見られていた会社だったので、
初対面の方へもポジティブな印象をもって頂きやすかったです。

一方で、会社のブランドや肩書きで仕事をしていると、
「自分自身は何者なのか?」を問われている感覚が鈍りがちです。
会社員であろうとなかろうと、お客さまにとっては
「あなたは何者か?」が重要ですが、会社におんぶにだっこになって
しまうリスクがあります。


3.心理的側面

・「やらねばならないこと」がストレスになる

会社員であろうと、会社員でなかろうと、「やらねばならないこと」は
あります。
ですが、例えば私の場合、会社の戦略が頭ではよく理解できるけれど、
「やりたい」と心から思えず、「やらねばならないこと」が
増えた時期がありました。
自分のコントロール外のことをやらねばならないときはストレスです。
一方で、会社員を辞めて個人として活動すると、
よくも悪くも、身の丈にあったことしかやりません。
身の丈にあっているので、
「やらねばならいこと」も「やりたいことをやるための必要経費」
と強く実感できるので、ストレスはゼロになりました。


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これらが私が現時点で考える「会社員を続けるコスト」です。

実力次第で随分と見え方は変わると思います。
ですが、会社員として勤め続けるか辞めるか、など
道を決める際に少しでもご参考になれば幸いです。

「会社員を辞めるコスト」はどのくらいでしょうか?

このまま会社員として働き続けるか、
会社をやめて起業あるいは個人事業主として独立するか、

葛藤している方が最近、少なくないように感じます。

どちらの道を選ぶべきか、自分が何を幸せとするかによるので、
もちろん、良い/悪いという話ではありません。

しかし、「決断」とは「何かを断つことを決める」である以上、
ある道を選ぶことで「断たれるもの」を具体的に把握することは、
後悔しない決断の助けになるのではと思います。

先月末で会社を辞めてから半月強がたち、
「仕事も時間も空間も経済的な面も、全てを自分で判断できる自由」
を手に入れた一方で、
「会社員を辞めるコスト」がリアルに見え始めてきました。

「会社員を辞める」といっても、
新卒から6年務めただけで能力も人間としての器もまだまだひよっこ、
かつ、独身の身軽な人間が辞めて、フリーランスになるためのコストです。

なので、ちっぽけなものですが、
現在進行中の今のうちにまとめてみたいと思います。

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会社員を辞めるコストには、大きく3つに分けられると思います。

1.経済的側面、2.社会的側面、3.心理的側面 です。


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1.経済的側面

・給与収入がなくなる
 
会社員を辞めるリスクといって真っ先に思い浮かぶのがこれではないでしょうか。
「現在の年収」×「これから勤務していたかもしれない年数分」の
定期的な収入見込みは消滅します。 
昇格により見込める給与上昇分や、将来見込めた退職金分も同様です。
私の場合はベンチャー企業で、退職金はもともとありませんでしたが、
ストックオプションは手放す必要があり、上場したら・・・♡
という楽しみはなくなりました。


・名刺、通信費、交通費、パソコンなど会社支給の「仕事ツール」がなくなる

地味ですが、揃える必要があります。
名刺は、安いところで印刷するだけなら100枚で5000円とかからずできます。
デザインや紙質などこだわると、数万単位にもすぐなります。
通信費は、携帯電話に、Wifiも加えると、私の場合は月1万程度。
交通費は、都内での活動のみなら、私の場合は月2万程度。
パソコンは、ラップトップ(Mac book air)とOfficeの購入で15万強。
仕事スペースは、自宅あるいはカフェ、相手先の打ち合わせ場所になり、
特に借りたりしないので、コーヒー代程度です。

金額的にはトータルで初期費用20万弱、固定費として3万/月程度です。
時間は、選ぶための比較検討や購入後の設定が必要だったりと、
地味にかかりました。


・会社の福利厚生等が利用できなくなる
 
ベンチャーなので大したものはありませんでしたが、
各種研修への参加機会はなくなりました。
これまでも自己投資として、外部セミナーにはよく参加していましたが、
研修会社ならでは、ということで研修は研修で有益でした。
おすすめ本なども社内でちょこちょこ流通していたので、
自然と情報が入ってきていました。
今後の自己投資は、全て自分で情報を集め、自分で賄うしかありません。


・お金の管理を人任せにできなくなる

会社勤めの間は、営業は基本的に「売上をたてる」だけでOKでした。
請求書の発行作業や、最終的な利益確定まで、お金の管理は経理部に
任せておけばよかったのです。しかし、会社員を辞めて1人で行う場合は、
これらの経理業務を全て自分でやらなければなりません。
ある程度の規模であれば外注するというオプションもあると思いますが、
私の場合は、個人でこまごま活動するだけなので、自分でエクセルと
にらめっこすることになりそうです。

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2.社会的側面

・会社の肩書きをつかえなくなる

これもよく言われることです。会社員のときは、その会社が築き上げてきた
ナレッジやブランド、ネームバリューを利用できますが、個人になると、
たいてい、無名のただの人間になります。
私の場合、ベンチャー企業で、大手企業と比べると知名度は低かったですが、
業界の中では、勢いのある会社として認知が広まりつつありました。
初対面の方から、「あ、●●さんにお勤めてるんですね!」とスムーズに
関係をつくることができた、会社の肩書きがなくなります。

会社員を辞めると、「自分は何者なのか?」を自分の力で、周囲の人に
伝えていかなくてはなりません。
自分の土俵は何か、自分が提供できる価値は何か、を分かりやすく伝える力、
伝えるのを助けるツール(ホームページやメルマガ、名刺など)を
自分で確立していかなければなりません。
ワクワク、ドキドキする、独立の大きな醍醐味ではありますが、
新たに築いていく、という意味ではリソース投下が必須です。


・社会保障制度/納税の手続きを会社任せにできなくなる

社会保険は国民健康保険へ、
厚生年金は国民年金へ、
市民税は特別徴収から普通徴収へ、
所得税は年末調整のみから確定申告へ、
それぞれ切り替えなければなりません。

必要書類が何かを確認し、それらを揃え、区役所へ行きます。
地味に「何が必要か?」を抜け漏れなく確認するのに手間がかかります。
確定申告は、どうやらちょっと大変そう、と思うレベルなので、
具体的に何が必要か、さらに詳しく確認する必要があります。

とはいえ、行政のホームページなどを見て、法制度を学ぶのは勉強になります。
税徴収の仕組みを知ると、税の使い方にも多少敏感になります。
余談ですが、「あ~市民税ってこれくらい月々払ってるんだよな~」と
しみじみ思っていたら、市立の無料で使える素敵なワーキングスペース情報が
入ってきました(笑)これから使える情報でよかったです。

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3.心理面側面

・自分が動かねば誰からもフィードバックをもらえない怖さを受け止める

会社組織を離れ、1人で活動すると、
自分の成果を評価し、フィードバックをする「上司」はいなくなります。
自分が何も動かなければ、フィードバックをもらうこともありませんし、
立ち止まって振返る強制的な「機会」「きっかけ」が確実になくなります。

会社組織内でのフィードバックがどこまで有益に機能しているかは、
?マークがつくかもしれません。
ですが、四半期または半年、1年という周期で強制的に機会がある、
というのは、日々に流されがちな私にとっては大切でした。

会社員を辞めると自分で「お客さま」から声を集める以外に、
フィードバックを受ける機会がなくなる、という怖さに向き合う必要があります。


・会社を離れる寂しさを受け入れる

私の場合、会社を辞める決断するにあたって、一番つらかったポイントです。
「もう一度、大学時代の就活時に戻ったとしても、またこの会社に入りたい」

と今でも思います。大好きな会社であり、心から尊敬する社長でした。

だからこそ、辞めたからには、頑張って結果を出したい、という
モチベーションにはなります。が、寂しさは受け入れる必要がありました。

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これらが私が現時点で考える「会社員をやめるコスト」です。

会社員として勤め続けるか、辞めるか。

少しでも、道を選ぶ際のご参考になれば幸いです。

普段はできるだけポジティブな話題を書くよう心がけていますが、
本日は、どうも心のひっかかりが取れないので、
自戒を込めて、やや恐ろしい(悲しい)話を書いてみます。

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私たちが持っているものには、2種類あると思います。

一つは、一度失っても取り戻せるもの。
もう一つは、一度失うと取り戻せないもの。




個々人の物事の捉え方により分け方は変わるとは思いますが、

鞄や時計、アクセサリーなど身近な物は、
なくしてもまた買えば、たいていのものは取り戻せます。

家などの不動産、お金など、金額が高くなると
一度失うと取り戻すのは大変かもしれませんが、
貨幣に変換できるものは、究極的には何とかなると思います。

健康には、取り戻せる健康と、取り戻せない健康と
両方ありそうです。

豊かな自然環境についても、取り戻せるものもあれば、
取り戻せないものもありそうです。

そして、一度失ってしまうと取り戻せないものの代表は、
「いのち」です。

亡くなった方の「魂」は存在し続けるかもしれませんし、
「思い出」として他の人の心に存在し続けることもあるかもしれません。
でも、「いのち」としては一度なくなってしまったら取り戻せません。

それ以外に、一度失ってしまうと取り戻せないものには何があるか?

それは、「人と人との信頼関係」だと思います。

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信頼関係は一度失うと取り戻せないのか、については
賛否両論があると思います。

「雨降って地固まる」という言葉があるように、
一度崩れた人間関係が、一方あるいは双方の努力により
事が起きる前以上に、深い信頼関係となることもある、
と言う方もいらっしゃるかもしれません。

でも、「雨降って、地固まる」信頼関係とは、
雨が降っている最中にも、どこかでお互いに、
「あいつがそんなことをするなんて信じられない・・・」
「きっと何かの間違いではないか」
と思う心があり、
信頼関係は完全にはなくなっていない関係だと思います。

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本日、私がすれちがったAさんとは、
直接、私とAさんの間でいざこざやもめ事があった訳ではありません。

Aさんと、Bさんの間で、問題が発生し、認識の齟齬が埋まらず、
一時は裁判沙汰になりかけました。

Aさんと、Bさんの両方と立場的にそれなりの関係があった私は、
Aさんからも、Bさんからも個別に話をする機会がありましたが、
どちらの主張が正しいのかは分からないですし、
そもそも「どちらが正しいか」を決めるべき類いの問題ではなく、
当時はただ、「問題が起きてしまったこと」を受け止めるしか
できることがありませんでした。

その後、Aさんとの関係では、
「AさんとBさんとの間に起きたことは起きたこと」と
お互いに頭を切り替えて接するよう、努めて、心を配ったつもり
ではあります。

でも、私は
「こんな問題を起こしてしまう人だったなんて、、
 私が知っていたAさんではない」
という思いがどこか拭いきれないままで、

Aさんの方からも
「自分とBさんの主張の違いには、言いたいこと、弁明は沢山あるけれど、
 そもそも、こんな状態になってしまったことを知られては
 以前のようには戻れないし、話す言葉がない」
というメッセージを受け取り、

信頼関係は再構築できないまま、今に至ります。

めったに同じ場を共有し、すれ違うことはありませんが、
たまたま今日すれちがった際、
私からも、Aさんからも「おひさしぶり」という一言を発した以外、
目を合わせることもなく、すれぎがっただけでした。

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人生の中ですれ違ったときに目を合わせられない人がいる、というのは
本当に心が傷む、悲しいことです。

「雨降って、地固まる人間関係」

を事実とできるような人間になりたいと思いつつ、

「一度失った人間関係は二度と戻らない」

という否定したくなるような言葉は、
事実であるのかもしれない、

という自戒を込めて、日々を真剣に生きて行きたいと思いました。