普段はできるだけポジティブな話題を書くよう心がけていますが、
本日は、どうも心のひっかかりが取れないので、
自戒を込めて、やや恐ろしい(悲しい)話を書いてみます。
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私たちが持っているものには、2種類あると思います。
一つは、一度失っても取り戻せるもの。
もう一つは、一度失うと取り戻せないもの。
個々人の物事の捉え方により分け方は変わるとは思いますが、
鞄や時計、アクセサリーなど身近な物は、
なくしてもまた買えば、たいていのものは取り戻せます。
家などの不動産、お金など、金額が高くなると
一度失うと取り戻すのは大変かもしれませんが、
貨幣に変換できるものは、究極的には何とかなると思います。
健康には、取り戻せる健康と、取り戻せない健康と
両方ありそうです。
豊かな自然環境についても、取り戻せるものもあれば、
取り戻せないものもありそうです。
そして、一度失ってしまうと取り戻せないものの代表は、
「いのち」です。
亡くなった方の「魂」は存在し続けるかもしれませんし、
「思い出」として他の人の心に存在し続けることもあるかもしれません。
でも、「いのち」としては一度なくなってしまったら取り戻せません。
それ以外に、一度失ってしまうと取り戻せないものには何があるか?
それは、「人と人との信頼関係」だと思います。
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信頼関係は一度失うと取り戻せないのか、については
賛否両論があると思います。
「雨降って地固まる」という言葉があるように、
一度崩れた人間関係が、一方あるいは双方の努力により
事が起きる前以上に、深い信頼関係となることもある、
と言う方もいらっしゃるかもしれません。
でも、「雨降って、地固まる」信頼関係とは、
雨が降っている最中にも、どこかでお互いに、
「あいつがそんなことをするなんて信じられない・・・」
「きっと何かの間違いではないか」
と思う心があり、
信頼関係は完全にはなくなっていない関係だと思います。
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本日、私がすれちがったAさんとは、
直接、私とAさんの間でいざこざやもめ事があった訳ではありません。
Aさんと、Bさんの間で、問題が発生し、認識の齟齬が埋まらず、
一時は裁判沙汰になりかけました。
Aさんと、Bさんの両方と立場的にそれなりの関係があった私は、
Aさんからも、Bさんからも個別に話をする機会がありましたが、
どちらの主張が正しいのかは分からないですし、
そもそも「どちらが正しいか」を決めるべき類いの問題ではなく、
当時はただ、「問題が起きてしまったこと」を受け止めるしか
できることがありませんでした。
その後、Aさんとの関係では、
「AさんとBさんとの間に起きたことは起きたこと」と
お互いに頭を切り替えて接するよう、努めて、心を配ったつもり
ではあります。
でも、私は
「こんな問題を起こしてしまう人だったなんて、、
私が知っていたAさんではない」
という思いがどこか拭いきれないままで、
Aさんの方からも
「自分とBさんの主張の違いには、言いたいこと、弁明は沢山あるけれど、
そもそも、こんな状態になってしまったことを知られては
以前のようには戻れないし、話す言葉がない」
というメッセージを受け取り、
信頼関係は再構築できないまま、今に至ります。
めったに同じ場を共有し、すれ違うことはありませんが、
たまたま今日すれちがった際、
私からも、Aさんからも「おひさしぶり」という一言を発した以外、
目を合わせることもなく、すれぎがっただけでした。
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人生の中ですれ違ったときに目を合わせられない人がいる、というのは
本当に心が傷む、悲しいことです。
「雨降って、地固まる人間関係」
を事実とできるような人間になりたいと思いつつ、
「一度失った人間関係は二度と戻らない」
という否定したくなるような言葉は、
事実であるのかもしれない、
という自戒を込めて、日々を真剣に生きて行きたいと思いました。