本日は、玉川大学のアドベンチャープログラムに
参加する機会がありました。
人が大自然の中で鍛えられ、成長する過程をヒントに、
さまざまな体験学習を行う、というものです。
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印象深かったことの1つに、
「学びには、思考だけではなく感情が伴う」
という体験・お話がありました。
具体的には、20人ほどの参加者が輪になり、
あるゲームの法則を探し出すというワークを行いました。
法則が分からないまま、結果だけ提示され続ける。
提示された結果から、どうしてその結果になるのか、
法則を考えます。
分かる人から分かっていく。
分からない人は、教えてもらうことはできないので、
ヒントをもらいながら、さらに考える。
一見シンプルなゲームに見えるのに、法則は中々分かりません。
この「分からない」状態がつづくと、どうなるか?
でも、さっきまで一緒にうなっていた隣の人が
「あ、分かった!なんだ~そんなことか」と言おうものなら、
「もーいらいらするなー!」「えーずるい。。」「私、あほかも。。」
「最後まで1人、わからなかったらどうしよう」「悔しい」
など様々な「感情」が湧いてきます。
すると、ゲームの法則を見つけることから注意がそれていき、
ますます「分からない」状態になり、
「なんだ、あなたまだこんなことも分からないの?」と言われたら
もう最後、考えることを投げ出してしまいかねません。
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このように、「分からないこと」を「分かる」ようになる、学びのプロセスでは、
「思考」だけではなく、「感情」がからんできます。
子どもの場合、例えば小学校では、毎日、「分からない」ことだらけで
1時間目から6時間目、7時間目まで強制的に学ばせられ続けます。
「分からない」状態に居る、というのは「思考」だけでなく、
イライラ、不安など、「感情」面でも大きな負荷がかかります。
そのときに「なぜ分からないの?」と言っては逆効果。
教師や両親は「昨日やったじゃない」とか「こんなことも分からないの」
という言葉を封印し、「分からない状態」でがんばっている子どもを尊重
した方がずっとよいのです。
大切なのは、どうしたら子どもが「分かる」ようになるかを考え、
導いていくことです。
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子どもに限らず、学びに感情が伴う、というのは大人も一緒です。
何かを学ぶとき、あるいは、何かを人に教えるとき、
自分、あるいは、相手の中に、
「分からない状態からくる感情面の負荷」が発生していることを
認識しておく必要がありそうです。
「感情面への負荷」に向き合い、不安や焦りを受けとめる。
そして、不安や焦りを乗り越えて行動をしていく。
この「感情面」を考慮しないと、学ぶことが自己目的化したり、
学びが血肉となる前に、ノイズが入ってしまいそうです。
やや抽象的ですが、、
学びには「思考」だけでなく「感情」が伴う、
ことを自覚し、学んでいきたいと思います。