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Mind Shift

「すべては心(Mind)の持ち方によって変わる(Shift)」

をモットーに、

働くこと、生きること、楽しむこと について

日々の気付きを書いています。

すっかりblog更新をやめてしまっていましたが(汗)

本日より参加しているStart up weekend Tokyoについて

記憶が熱いうちにメモを残しておきたい思い書きます。

恐縮ですが完全に備忘録となりますため、

誰かに読んで頂く用ではないことをご了承下さいませ。。






Start up weekend.

週末の54時間でシリコンバレーの起業を体験しよう、というこのイベント。


まず、参加のきかっけについて。

今年の2月頭に、

「上から教え込む"教育"じゃなくて、自ら学ぶ、"学習"のサービスをやりたい」

「社会人になる前に、自分は何のために生きるのか、何のために働くのか、
 
 自分の軸を持って、自分のワクワクすることを追求する生き方をサポートしたい」

と、会社を飛び出してはや3ヶ月半。

その間、沢山の方とお話をしてきました。

起業家の方、政治家の方、保育士の方、会社員の方、大学生の方、

地元のNPO法人の方、仕事でお世話になっていた講師の方、同期、友人。

話せば話すほど、色々なもどかしさや教育・学習環境への危機感を持ちました。

そして、同じようなことを考えている人が思った以上にいました。

(類は友を呼ぶ、というだけかもしれませんが)



すると、次に浮かんでくるのは当然「で、じゃあ何をどうするの?」。


新しいことをしかけていくのだから、当たり前ですが、これが本当に難しい・・・!

1人で悶々と考えていてもはじまらない。

人の話を聞いて本を読んでるだけでも始まらない。

行動だ。

そのためには、強制的に行動する場が必要だ!と思って、

勢いで申し込んだのがこのStart up weekendでした。



初日について。

金曜日の19時。

会場は渋谷のマークシティの上、スポンサーであるサイバーエージェントの会議室。

ゆるーい感じの受付をすませると、缶ビールとピザが無造作に置いてある机が見え、

その周りにわらわらと70,80人くらいがすでに集まっていました。

皆、名札をつくっていて、Hacker/Designer/Hustlerのどれかを選んで書きます。


ここが最初のドキドキ(焦り?)ポイント。

Hustlerって何・・・!?

聞けばビジネスパーソン、お金を引っ張ってくる人、ビジネスをする人、という意味。

Hustlerを十分にできる自信は全然ないけれど、、、

どうひっくり返ってもHackerでもDesignerでもないから

Hustlerに名前をとりあえず書きます。


最初のドキドキを通り抜けたら、

どんな人がいるのだろうと、近くにいた人に話しかけます。


「いま、○○のプロジェクトを友人とやっていて、

 先月このアプリをローンチしたんですよー」

という自己紹介があちこちであります。

これが2つ目のドキドキ。

やばい、こんなことやりたいんです、やってます、って簡潔に言えない。。

短い時間の会話で、私はこんな人です、って覚えてもらえるには

人に言えるレベルの活動内容と伝え方の両方必要。

当たり前ですね。。


ここで、ひよってしまってはだめだ!ととにかく開き直って、色々話します。

しばらくするとセッション開始。オーガナイザーの挨拶と簡単なゲーム。

これは、アイスブレイクなのでドキドキは少なく流れに身を任せます。


でも、その次からはいよいよ本番。

100人強の中から希望者が、

「私はこんなビジネスをしたい/こんなサービスをつくりたいです!

だからこんな仲間が欲しいです!一緒にやりましょう!」

と60secでプレゼンします。

これを、ここでは、pitchするといいます。

このpitchの中から投票により参加者全体で15個程度に絞り込みます。

そして、チームに分かれて残りの2日間で実際にサービスローンチを目指して

start upするのです。

オンラインのサイトやアプリなどサービスをつくるときに活躍するのが

DesignerやHacker。



まともなビジネスプランを用意してこなかったので、、

pitchはやめようかとずっと思っていましたが、、

Hustlerはここでpitchしなければ何のために参加したのか分からない、という状況。


えい、ままよ、と勢いに任せて手を挙げてしまいました(汗)。

これが3つ目のドキドキ。


想いはあれど、具体的にどうやるの?とつっこまれると形がない。

そんなプレゼンでしたが、「教育・学習」というテーマに興味を持つ人が

10人くらい話しかけにきてくれて、結局4人でチームをつくることができました。

というか、つくられてしまいました(汗、汗、汗)

わー!なんとかしなければ!!

という訳で明日からに向けて、必死にビジネスモデルを考える今晩。。



60sec pitchに向けて、明らかにばっちり準備してきたと思われる人もいました。

当たり前ですが、非常に分かりやすい。。時間内にもばっちり収まっている。

プレゼンは準備が8割。知ってはいるけれどやっていなかったこと。。

次は準備する。それだけ。



そして、どんなに準備をしても、

いいね!と投票数が集まらないとチームにはなりません。

チームに来てくれた人に聞いてみたところ、

私がチームをつくれたのは、完全に「教育・学習」という言葉の力でした。

これは、ある一定の関心を集められるということ!


この曖昧模糊としたアイディアが形になるか、

かなり絶望的な気持ちでこれを書いている私にとって、

これはとってもポジティブな材料。


やるだけやってきたいと思います。

本日は、

エーリッヒ・フロム著
愛するということ」を読破。

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原題は" the art of loving”=「愛する技術」です。


「愛されキャラになるには♡」「モテメイク♡」「モテスーツ♡」

というキャッチコピーの雑誌とは違い、、


愛に飢え、愛を手に入れようとするならば、

仕事上で求められるスキルや趣味を学ぶように

まず愛とは何かを学び、修練を積むことが必要だ、という前提に立ち

愛についての理論が体系的に展開されています。



人間の根源的な欲求は「孤独から脱したい」というもの。

それを補うのは、依存し合う関係でも、同一化することでもなく、

己の中心をしっかり持って自分も他の人も含めた人間全体を

愛するということ。


個として、自分を客観的に捉え、受け止め、律することが求められる

このメッセージは、なかなか厳しいです。


何かを言い訳にして怠惰な時間をすごす方が楽ですし、

享楽的なあれやこれやに騒ぐ方が一時的には満たされる気もします。


でも、それでは根源的な欲求は満たされない。

誰かの歌にあったように「愛されるよりも愛したい」

その方が幸せそうな気がします♫


どこかでそんなことに皆気づいているからこの本が名著と言われ

読み継がれてきているのでしょう。


理論を知ったら後は修練。この修練にはマニュアルがありません。

人を愛せる強い人間を目指して、日々鍛えていきたいと思います。






















3日は、バイオアートの展示会へ。



 



「バイオアート」とは、



バイオテクノロジーから得られた情報、画像などを用いたアート作品のことです。



 



破裂音を出す植物を用いた「音」の展示や、



花に触れると、電気信号で色々な言葉が聞こえてくるような仕掛けなどが



ありました。



 



ぱっと見てどういう仕掛けなのか、何が面白いのか、



私の力量ではすぐにはわからないことが多いのがこの「アート」と呼ばれるものたち。



 



申し訳なさ程度にちょろっと書いてある解説を必死に読んでも、



その作品の意図を少しでも感じ取れるのはせいぜい半分程度。



 



でも、なぜか気になって見に行ってしまうのです。



 



作品の意図そのものがわかりにくいからこそ、



その意図を自分で見て感じて探るのが面白いのです。



 



「明確な意図に向けて、明確に行動する」だけでなく、たまには、



「なんだかわからないけど、これはこうなのかな?」と探る感覚を持つことは



「新しいアイディアは既存の情報の組み合わせ」という世界で生きるための頭の体操になります。



 



自分で探る面白さ。



 



アート鑑賞以外の生活にも入り込ませたいものです。

























2日は、終日家族行事。



情けないことに、楽しい食事とお酒でつい食べ過ぎてしまい、



夜中に体調を崩してしまいました。。



 



一晩でなんとか回復したものの、



食べ過ぎ→胃腸に負担→吐き気、



というのはなんだか救うところがありません。。



 



あまりに救うところがないので、開き直って、



なぜ吐き気が出るほど胃がふくれるまで食べてしまうのか、考えてみると、、
 



「食べ過ぎかもしれないけれど、せっかくだから食べとこう」という強欲、



「食べている最中には満腹感は感じず、後から感じる」というタイムラグ、



 



あたりが主な要因としてありそうです。



 



これが食事以外に当てはまるパターンだとすると、、



 



「せっかくだから、これも買っておこう」という浪費、



「せっかくだから、これも知識として蓄えておこう」という自己満足、



「時間を浪費しているときには感じず、後から浪費に気づく」という無駄、



「話している時には失礼に気づかず、後からご縁が切れたことに気づく」という不幸、、、



 



などなどたくさん恐ろしいことが浮かんできました(本当に恐ろしい)。



 



では「強欲」と「タイムラグ」の呪縛から逃れるためには?



 



・自分にとって本当に必要なことを見極める



・これを続けるとどうなるか?をこまめに考える



 



ことが大切そうです。



 



具体的にどうするか?



 



色々ありそうですが、、、



小さなこと、決めたこと一つひとつを続けることがやっぱり対応策になりそうです。



さぼりたくなったら、この日の吐き気を反面教師にがんばりたいと思います(笑)

























1日も、日中は読書、夜は以前お世話になった上司の方とご飯へ。



仕事を通じて何を目指すか、という話で盛り上がりました。



いったい仕事の目的というのは誰が決めるのでしょうか?



 



会社組織で働いていると、営業であれば受注目標、生産管理であれば生産目標
などが決められています。



それは会社全体の事業戦略・目標から、各部門、各課、各個人へと分解されて、
割り当てられていくことがおそらく多いでしょう。



なぜその目標が設定されているのか?という「目的」は誰が決めているのでしょうか?



ある時期まで私は、仕事の目的は、その会社の理念が決めている、と思っていました。



むしろ、その理念を実現するために、各種の事業プランがあり、目標があり、
実行組織があると。



しかし、今は、会社の理念実現が仕事の目的になる側面はゼロではないものの、
仕事の目的は自分で決めるもの、と考えるようになりました。



 というのも、「目標の達成」は会社組織で働く人としての「義務」ですが、
「仕事を通じて何を得るか」は働く人の「権利」だと思うからです。 



文字にするとなんだか陳腐なのですが(汗)、、



仕事を通じて、「給与を得る」と捉えてもよいですし、
「自分を成長させる」と捉えてもよいですし、
「やりがいを得る」と捉えても、何も問題はなく、

むしろ自分で「私はこの仕事を通じてこれを手に入れる」と決めている方が、
ここぞというときで奮起し、できるまでやりきることができます。 



仕事の目的を決めるのは自分自身。



当たり前といえば当たり前ですが、この「自由」を満喫してきたいものです。