私の就学前後の2年間、秋田県由利郡直根村(ひたねむら、現,由利本荘市鳥海町)に住んでいました。

 

住居には、真ん中に囲炉裏のある30畳程の板の間がありました。
度々酒飲みの来客があり、この囲炉裏を囲んでドブロクを飲み、時事談義や拍子手を打ちながら皆で歌うのです。

 

 

私は囲炉裏に掛かっている鉄鍋に一升瓶に入っているどぶろくを注ぎたすのが役目でしたので、否応なしに皆の話す時事談義が耳に入ってきました。

 

その話の中で記憶にあるのは、明治天皇がすり替わったことと、大正天皇には子種が無く、昭和天皇は大正天皇の子ではないことを私の祖父の年代である彼らの父親から聞かされていたとのことです。

 

※その情報の元は確か読売新聞とのことでした。

そもそも読売新聞を読む契機は、読売新聞で尾崎紅葉が97年(明治30年)元日から「金色夜叉」間貫一とお宮の物語の連載が始まり、それが大人気となったからです。

「金色夜叉」の挿絵

 

但し、昭和天皇が誰の子であるかの名前までは記憶にありません。

 

今思うと、このように国民から疑惑の目で見られていた戦前の昭和天皇の心中は決して穏やかではなかったでしょう。

 

ここに昭和天皇が大東亜戦争(太平洋戦争)を起こした理由の一つがあるのではないでしょうか。

 

日本危機(20) だまされることも罪:伊丹万作
2021-04-09 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12667460634.html

日本危機(21) 簡単に騙され奴隷化の国民:伊丹万作
2021-04-12 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12667503063.html

 

さて、今回は拙稿『昭和天皇と大東亜戦争』2017/08/08著です。

 

   ◆   ◆   ◆

 

以下の記事は私が2009年2月にSDカードに保存していたものです。以降、昭和天皇に関してネットで検証してきた結果、間違いはないと思えるのでここに掲載します。2017/08/08


尚、原文のURLは既に消去されています。
(原文URL)http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060827

私たちが教科書やマスメディアで知らされている歴史は、プロパガンダで捏造されたものや、もしくは断片的な現象面だけである。

物事の本質を知ろうとさせないGHQの日本人劣等化戦略により、小学校低学年から記憶脳回路だけ発達させられ、思考脳回路の未熟なまま故に、テレビや新聞を何の疑いもなく受け入れる大人になっている。

好例としては英語を中高6年間も習ったはずなのに、話す英語は『This is a pen.』の域で、外人との交流を間接的だがまさに禁じた教育であった。

 

他方、昨今の簡単にオレオレ詐欺の餌食になっていることでも言える。あれほどマスメディアで騒がれていても、毎年毎年、被害額はどんどん増えていっている。

 

考えられない程の未成熟の単純思考回路だからである。

天皇のロザリオ 上巻 日本キリスト教国化の策謀 鬼塚英昭 (著)2006/7/8


(注)成甲書房という出版社名が掲載されていないのは、出版社が在日だからです。
https://www.amazon.co.jp/gp/reader/4880862002/ref=sib_rdr_fc?ie=UTF8&p=S001&j=0#reader-page

 

1947年1月21日、米国統合参謀本部はGHQに、「日本国の賠償金の原資を確保せよ」との命令とともにひとつの文書を送付した。

「皇族あるいは、彼または彼女の資産の受取人名義人は、事実上国会の管轄外に置かれてきた。

 

このため当委員会は、降伏時における、皇室、宮内省、および全皇族ならびにその名義人の比較的価値のない純粋な物品または骨董品を除く所有財産すべての品目の詳細且つ完全な目録(売却方法を含めて)の入手を望むものである。」(註)

 

(註)戦時中、民間から供出させた金銀製品・宝石類は大蔵省の地下倉庫にあった。マッカーサーは1947年(昭和22年)5月3日、これを奪うために新たに東京地方検察庁(通称:東京地検)(前身:東京地方裁判所検事局)を編成させた。今でも東京地検はGHQ後継の駐留米軍の指揮下にあると言われている。

さて、私は日本郵船については書いた。

大阪商船の株も皇室は持っていた。

 

この二社の船が、天皇が「火事場泥棒方式」で侵略していった地域へ、物資、機械、人間を運ぶのに使われた。三菱と三井のみならず、住友以下の財閥とも皇室は深く結ばれていた。

また、皇室の銀行支配も徹底していた。

皇室は日本銀行の47%の株を持っていた。

紙幣を発行するたびに、公定歩合を調整するたびに、莫大な利益が皇室に流れた。

日銀の他に注目しなければならないのが、横浜正金銀行である。「皇室財産が大部分、横浜正金銀行を通じて海外に運び出された」とベアが書いているのは厳然たる事実である。

ポール・マニングは、『米従軍記者が見た昭和天皇』の中で次のように書いている。

「昭和天皇がヨーロッパの金融市場で影響力を持つことができたのは、日本銀行ほど厳しい規制を受けない民間銀行である横浜正金銀行の株を保有していたからである。

 

天皇は全発行株数の22%に当たる22万4,912株を保有する最も重要な大株主であり、二番目の大株主は2万2,000株しか保有していなかった。」

2001年8月13日、共同通信社はスイス政府とスイスの赤十字委員会(ICRC)の1945年8月、終戦直前の公文書を報道した。その内容を記すことにする。簡単にわかりやすく解説する。

終戦直前の8月、昭和天皇の皇后(良子)の名で一千万スイス・フラン(当時と現在のスイス・フランの購買力を単純に比較しても約33億円)の巨額な寄付をするとスイスの赤十字国際委員会(ICRA)に提示した。

これに対し、連合国である対日政策決定機関の極東委員会が、この寄付申し込みを受け入れるなと赤十字に通達を出した。

 

しかし、赤十字はこの極東委員会の提案を覆し、1949年5月に秘密裡に送金を受け入れた。

 

この寄付は横浜正金銀行がスイス国立銀行に保有していた「日本の秘密口座」と呼ばれた「特別勘定」から拠出された。

皇室はスイスの国立銀行に秘密口座を持っていたし、現在も持っている。

 

どうして天皇が自分の名前でなく皇后名で横浜正金銀行からスイスに送金したかは不明である。

 

しかし、推測してみよう。2001年の評価額で約33億円の金を赤十字に寄付するということは、赤十字と何らかの秘密取引をしたとしか考えられない。

 

寄付の数十倍ないし数百倍の秘密預金を、赤十字の名前を借りるか、その力添えでスイスの国立銀行の秘密口座に入れたということであろう。

終戦直前の8月7日、東郷茂徳(当時外相)が、赤十字の駐日代表に皇后名で一千万スイス・フランの寄付を申し入れた。赤十字は応じた。しかし、スイス政府は8月16日に英米などとの合意に基づき、日本資産を凍結した。

1949年に赤十字が英米による圧力下の日本資産凍結の圧力を覆し、一千万スイス・フランの寄付を正式に認めたということは、横浜正金銀行の天皇の「秘密口座」の資金の凍結を解除するための努力の見返りであったといえよう。正確な金額は把握できていない。

 

前述のマニングは昭和天皇の秘密資産の一部について次のように書いている。

「天皇はハイテク電子工業とホテルへの適切な投資で得た推定五千万ドルを公認の手持ち資金として個人的に東京で貯蓄することができた。

 

この投資を可能にしたのが、スイスにある推定30億ドルの秘密資産である。

 

この秘密資産の一部を様々な一流企業に融資した天皇は、投資の機会を得て、かなりの額の利益を得たのである。」(註)<中略>

 

(註)無論、昭和天皇の莫大な資金の融資や投資先の大半は、英米の大企業であろう。兵隊の給与が6円と当時の為替レートから鑑み、30億ドルというと、現在の貨幣価値で推定すると、○○千兆円にもなるだろう。

天皇は(表面的には皇后名であるが)、執拗にこの寄付に力をそそいだものと思われる。

 

この紛争は1946年6月、極東委員会と連合国軍総司令部(GHQ)にゆだねられた。

 

極東委員会はこの年の10月、「ICRCの主張に根拠はない」として送金禁止を決定した。マッカーサーの決定ですべてが終わったかにみえた。

しかし、赤十字はアメリカの弁護士を雇い、マッカーサーに脅しをかけた。マッカーサーは解任の動きを知る。この問題がからんでいると私は推測する。しかし、今のところ確証はない。

 

そしてついに極東委員会も、この問題に反対し続けた英国政府も、赤十字の工作に敗北宣言を出した。(註)<中略>

 

(註)美智子上皇后陛下が皇后時代、日本赤十字社名誉総裁に就任。上皇后になられたことで退任。2019年5月1日付で皇后雅子が新たに名誉総裁に就任。

赤十字は私たちが考えるようなナイチンゲールの世界ではない。国際金融資本、特にユダヤ資本と深く結びついている。

彼らは朝鮮戦争を仕掛けるために、天皇が必要だったのではないのか。天皇は彼らの要望に応えると約束したために、秘密資金の凍結を解除されたと推定しても、そう間違った推測とはならないであろう。

 

「日本のいちばん醜い日」 鬼塚英昭 著  2007/7/21


https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%81%84%E3%81%A1%E3%81%B0%E3%82%93%E9%86%9C%E3%81%84%E6%97%A5-%E9%AC%BC%E5%A1%9A-%E8%8B%B1%E6%98%AD/dp/4880862169

アメリカは公式には日本への石油の輸出を禁止した。

しかし、アメリカ国籍の船、または日本国籍の船によるものが禁止されただけであった。(註)

 

(註)アンネ(13) 欧米ユダヤ財閥がヒトラーを支援
2021-01-16 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12649920513.htm

ドイツは日本と同じで石油が出ないので、ドイツに戦争をやめさせたければ石油の供給を止めればよいのである。

しかし、ドイツにソ連のバクー油田から石油を供給したのみならず資金を提供し戦争を継続させたのは、英国ロスチャイルド=ノーベル財閥の石油会社シェル(敵国である英国籍)であった。

 

他方、真珠湾攻撃後も、米国財務省と国務省は、「スタンダード石油」や他の大企業がナチスの協力者と戦争中も取り引きすることを許可し、証明書を発行していたのである。
 

あの太平洋戦争中も秘密ルートでアメリカの石油、重要な原料(タングステン、四塩化エチル等)が日本へ送られた。これが戦争の本当の姿なのだ。

 

昭和天皇はこのからくりを知っていたが、近衛首相や木戸幸一内大臣に秘密にしていた。

あの国際赤十字社のシステムは、戦傷者を救うためにつくられたのではない。

 

国際金融同盟の連中が、商売(=戦争)をスムーズに長きにわたって続けるためにつくられたのである。

太平洋の委任統治諸島で密かに石油や重要物資が日本の赤十字の船に移される。

 

この船は攻撃できないという国際条約ができているので、安心して石油や重要物資を日本は購入できた。

『原爆の秘密 (国内編)昭和天皇は知っていた』 鬼塚英昭 (著)2008/7/19

https://www.amazon.co.jp/dp/4880862339/ref=pd_luc_rh_bxgy_01_03_t_img_lh?_encoding=UTF8&psc=1
(注)成甲書房という出版社名が掲載されていないのは、出版社が在日だからです。

内容紹介
日本人はまだ原爆の真実を知らない


原爆はどうして広島と長崎に落とされたのか?

多くの本は、軍国主義国家たる日本を敗北させるために、また、ソヴィエトが日本進攻をする前に落とした、とか書いている。

なかでも、アメリカ軍が日本本土に上陸して決戦となれば多数の死者を出すことが考えられるので、しかたなく原爆を投下した、という説が有力である。

 

しかし私は広島と長崎に原爆が落とされた最大の原因は、核兵器カルテルが狂気ともいえる金儲けに走ったからであるとする説を推す。(註)(以下省略)

 

(註)皇室(6) GHQが定めた象徴天皇とは
2020-06-14 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12604271052.html

1945年7月下旬、天皇は全面降伏のポツダム宣言の受諾を決めたが、受諾宣言は8月6日広島、9日長崎への原爆投下まで待てと米国に言われた。

 

そして昭和天皇は米軍が恐れる帝国陸軍の壊滅を謀るべく、天皇の命で、急遽全国から広島に数万人の日本帝国陸軍将兵を集め、広島の街を帝国陸軍将兵で溢れさせた。

 

そして、全帝国陸軍将兵と広島市民が、防空壕から出て朝のラジオ体操をしている皆殺しには絶好の時間帯に原爆を投下させた。


(カスタマーレビューの一部抜粋)
ヨハンセングループと天皇
投稿者akrtmd2015年6月2日

 

吉田茂を首班とするヨハンセングループは天皇と共に戦争の早期終結を図っていた。

 

駐日グルー米大使と親しかった彼らは日本の戦略、戦術を即時グルーに報告するとともに、米国の戦略や戦術の情報を彼から得て天皇に報告していた。 

吉田が重用した白洲次郎は麻薬取引にも関与しており、明らかに英米の2重スパイだったと思われる。 

 

原爆開発の情報もこのグループを通じて天皇は事前に知っていたと著者は推論する。 

広東にいてインド・ニューデリー放送を聞いていた日本の情報部員は、広島、長崎の投下日時を事前に察知している。 

 

これを握りつぶしたのは大本営本部(=昭和天皇)である。 

米国放送も非戦闘員は広島から逃げるように警告している。 

原爆投下後に国際赤十字の支援を断ったのも日本政府(=昭和天皇)である。被爆者を捨て置けと命令し、海外の在留邦人の帰国を無視し棄民化しようとしたのも日本政府である。

戦後の政府はCIA要員となった政治家や右翼によって運営される。日本のマスコミには厳しいプレス・コード(註)が適用される。

 

(註)プレスコード(英:Press Code for Japan)

太平洋戦争終結後の連合国軍占領下の日本において、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって行われた、新聞などの報道機関を統制するために発せられた規則である。 これにより検閲が実行された。 

 

天皇制や原爆投下の議論はタブーとされる。 

国際法違反との日本政府の抗議は無視される。

無条件降伏した日本の正論は今日まで封印されたままである。著者がその重い扉を少しずつこじ開けてくれている。 

○日本最大の売国奴、密告の書?
投稿者tenbun2013年1月18日
(一部抜粋)

原爆投下時に広島県長と長崎県長は被爆を逃れ、投下後の処理を行った。これは偶然だろうか?

長崎の被爆地の捕虜収容所の捕虜はなぜか被爆を逃れている。なぜか?

 

広島原爆投下の前日に天皇家から赤十字に多額の寄付金が振り込まれている。どういうことか?

なぜ、天皇は東京裁判で戦争責任を追求されなかったのか?

○戦慄を覚える一冊だった。
投稿者河童の川流れ2010年4月16日

アメリカ合衆国第34代大統領だった”アイゼンハワー”が退任演説のなかで非常に重大な言葉を残しています。

それは、アメリカの軍事産業と政管の癒着とも思えることに対しての未来への危惧を表すものでした。

 

第二次世界大戦後65年経った今でも、アメリカが抱え込んでいる大きな問題であることを示唆していたのです。

アイゼンハワーは、アメリカの軍産複合体(Military-industrial complex)への警告を、この退任演説の中に入れていることは、非常に評価できることだったのですが、-

 

- 残念ながら、この演説で彼が危惧したことが、その後もアメリカが世界のどこかで絶え間なく戦争をしていることによって、彼の警告が無為に終わってしまっていることを証明しています。

本書を読んでいて、広島、長崎、への原爆投下が、この恐ろしい軍産複合体の黒幕たちによって進められた必然だったことにたいして言い知れぬ恐怖と怒りを感じてしまった。

 

本書の中で天皇のことにも触れて書かれていたが、このようなことが真実だったならば、と戦慄を憶えて読み終わった。

 

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皇室(6) 

GHQが定めた象徴天皇とは
2020-06-14 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12604271052.html

皇室(7) 
象徴昭和天皇の実像とは
2020-06-16 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12604704592.html

皇室(8) 
機密文書:昭和天皇は自己保身
2020-06-26 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12607022950.html
 

皇室(19)
沖縄米国長期占領は天皇の懇願
2022-05-14 

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12742708500.html

皇室(20) 
昭和天皇は米国のスパイだった
2023-05-02

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12799739033.html

大東亜(3) 
東京裁判判決:昭和天皇の意向
2020-07-05

https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12609049700.html

 

(画像)
旧吉田家囲炉裏

http://former-yoshida.jp/2015/06/10/news/