いざ、関ケ原へ⑤ ~女一人で大谷吉継墓まで歩いたら | 自転車から今日は♪

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坂道の多い所に住んでます。
愛用のママチャリで鼻歌歌うのが大好きです。
小さなおうちでの生活をのんびり綴ってみたいと思います♪

5月2日にお出かけした関ケ原旅行記の続き

(なかかなか更新できてませんがこれでラストです)

 

お花は決戦地近くに咲いていたアザミ

 

 

 

 

まず、ここでお知らせとお詫びを…

 

先日ブログに頂いたコメントを誤って

削除をしてしまうという不手際がございました

 

また別の方にはリコメが遅れていたしまったという大失態

 

 

コメント下さった方々には

大変申し訳ございませんでした。

 

 

コメントは承認制をとっています。

ですがほぼ100%承認してます。

 

そしてコメントに必ずお返事をいれています。

 

ですかれ、もしあれ?どうしたのかなと

感じられたときは、大抵ブログ主側の落ち度ですので

遠慮なく、どしたの?と忘れてるよー

ご一報いただけると幸いです

 

 

では、なぜに承認制をとっているかといいますと

コメントのお返事漏れ防止対策です。

 

私のブログは昔の記事にコメントに頂くことが多くて

承認制だとこの方からコメント頂けたと

二重チェックできる利点があります

 

ですが得意でないスマホの時とかだと

本当に稀に誤って削除ボタン押してしまうこともあるんですね

(実は以前にもやらかしてます)

 

これを機に承認制をやめるかと思いましたが

そうすると、今以上にリコメ漏れがありそうなので

今のスタイルで続けていこうと思ってます

 

ご迷惑かけると思いますが

どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

では、これより本題

 

 

今回の関ケ原古戦場巡り

 

きっかけは、ドラマ『SHOGUN将軍』で

物語の先にあるの関ケ原の戦いを知るために

実際に古戦場を歩いてイチから勉強しよう♪

 

というものでした

 

 

 


 

この作品は今世界中でパズって大ヒット

 

SEASON2の可能性がでてきた

というニュースが入ってきました

 

吉井虎永(徳川家康)役とプロデューサーを兼任した

真田広之さんが虎永役として再出演する契約を交わしたとのこと

 

既にジェームズ・クラベルさんの原作は完結してますので

次はは史実を元にしたオリジナル脚本となります。

 

原作の続きでいくなら石堂(石田三成)相手の関ケ原の戦いだし、

関ケ原を省略して大阪夏の陣で落ち葉の方(淀君)と絡めるのか

それとも虎長ライジングとして、織田信長や、豊臣秀吉を

させるのか…

 

これはまた古戦場巡りやらなきゃだなぁ

 

 

 

 

私が関ケ原に訪れた5月2日

 

ドラマの余韻からのテンションで

 

関ケ原だー

戦場じゃー!

うぉー!

 

とやっていたのは

東軍陣跡を散策していた最初だけ

 

 

ちょうど開戦地を歩いているあたりで

フジ子ヘミングさんの訃報を知りました。

 

私はこの直前、決戦地とか

石田三成、島左近陣跡を訪れており

前の記事にも書いたのですが

 

三成陣のあった笹尾山でみた一輪のアザミに

心が大きく動きました。

 

ドラマや小説や教科書に登場する遠くにいた人から

一人の生身の人間だったんだ

その気持ちは今もこの山に残っているんじゃないか

という感覚になりました

 

そうなると、関ケ原の野に咲く

小さな花々までもが、兵士たちの化身にように

思えてきてそこへきて大好きだった

フジ子さんの訃報がきましたから

もう本当に驚きました。

 

驚きすぎて、関ケ原そっちのけで

別記事でフジコ・ヘミングの記事かいちゃいました

 

 

 

 

 

西軍、宇喜多秀家の陣跡

勝者となった家康の華々しい雰囲気の陣跡とは対照的に

とても寂しい場所にあり

 

 

 

 

 

 

薄暗い杉林の中にありました。

 

しんと静まり返って

ひとりで歩いているとちょっと怖いです。

 

 

 

 

 

日は傾きはじめているし

しかもコースが示す次の目的地は

大谷吉継のお墓

 

これ以上こんな怖い場所歩けないわと

いつもの私なら引き返すところですが

 

この時、自分は

関ケ原で手をあわせなきゃいけないのかな

 

って気持ちがおりてきて

 

特にスピリチュアルな人間でもないですが

 

よし、墓ま行くぞと腹をくくって

歩き出したらコレですよ

 

フジ子ヘミングの訃報が知らされた日に

フジ繋がりで藤のお花のおでむかえ

 

 

 

 

 

大谷吉継の眠るお山に咲いていたんですよ

 

しかもこの山の前には川が流れていて

藤古(フジコ)川っていうですよ。

 

これを家に帰って知った時の驚きと言ったら

びっくりどころか背筋がゾクッでした。

 

 

 

大谷吉継墓・湯浅五助墓

 

 

お墓を撮影するのはどうかなと思い

看板のみの撮影です

 

お墓の前にはお花がいっぱい供えられていました。

 

 

 

 

これは後から知ったお話ですが

実はお墓といっても墓石の下には

大谷吉継は眠っていません。

 

この山のどこかに眠っています

 

最期を悟った吉継は

病で醜くなった自分の顔をさらされたくはないと

家臣、湯浅五助に介錯を命じ自害しました。

 

五助は主の首を山に隠しますがその直後

敵方の藤堂家の人間に見つかってしまいます。

 

五助は自分首と引き換えに吉継の首をのありかを

黙って欲しいと命を差し出し討たれました。

 

大谷吉継の首なんて、家康に献上したら

大手柄で出世間違いな筈なのに

家康がいくら、問いだしても

彼は最後まで口を割ることはありませんでした。

 

 

そして大谷吉継と湯浅五助のお墓は

敵方東軍の藤堂家によって建立されました。

 

主君に寄り添うように

ふたつのお墓は静かに寄りそって

並んでいました

 

 

 

 

 

 

 

手前が宇喜多秀家陣のある南天満山から

藤古川をはさんで奥にみえる小山に

大谷吉継の陣があります

 

とても深い渓谷で徒歩ルートだと

細い道をたどってこういう場所を歩きます

ものすごい傾斜がありますので

当時は相当苦労したんじゃないかと思います。

 

人はいないし、どんどん暗くなるし

明かりはひとつもないし

 

本当にこの道であってる?

もしかして山道に迷った?

 

ちょっと不安になるブログ主

 

 

 

 

 

 

ピクニック気分で歩いた

竹林のある東軍、黒田&竹中陣のあった

明るい木漏れ日のさす山とは

雰囲気が明らかに違う

 

杉林の下ってとにかく暗い

 

 

 

 

こわいよー 暗いよー

はやく帰りたいよー

と半泣きで歩いていたら

 

突然視界が明るくなり

えっ?と思ったら大谷吉継の

お墓が目の前にあったことが印象に残っています

 

 

 

藤川台

 

 

 

 

 

フジ子・ヘミングさまの訃報に

呆然としながら歩いていたせいか

やたらと藤の文字が目に入って思わず看板パチリ

 

 

このあたりで小早川秀明隊との壮絶な死闘を

展開していた模様

 

山があって、川があって深い渓谷があって

こんな山奥にまで攻め込んでくるんですかと

カッコイイ戦国物語の裏に隠された真実に

ブログ主ブルブルです。

 

 

 

平塚為広碑

 

 

 

 

大谷吉継の親友、平塚為広の陣跡です

体の不自由な大谷の代わりに

大谷軍を指揮したともいわれています。

 

戦国武将一口メモが書いてある

今北産業(死語だな)な電柱の看板は

とてもありがたい。

 

 

 

 

大谷吉継陣跡

 

 

ごめんなさい、写真が上手く撮影できませんでした

石碑なしでご容赦を

 

 

吉継の陣跡は鳥居のみえる

若宮八幡神社の奥にあります

 

鳥居の奥に線路が通っています。

電車が通っていくのが見えました。

 

 

 

陣所の展望台からは小早川秀明のいた

松尾山がよくみえて

 

今私が撮影しているあたりが中山道

 

この山から東軍が通ってくるのを見てたってことかな

 

関ケ原といったら広い原っぱ

 

そんなイメージでしたが

よくこういう場所を探し出してきたよなと

驚くばかりです。

 

 

いかがでございましたでしようか。

 

私はイイ歳したオバちゃんですし

一人であちこち歩くのは苦ではなく

むしろその方が好みなのですが

 

薄暗い古戦場の中にある神社を

一人で歩くのはちと怖かった…

 

 

時間の都合上散策はここまでとなりましが

なかなか盛りだくさんな散策でした

 

 

 

ラストはフジ子ヘミング 

ショパンの『別れの曲』で

 

 

 

 

 

以上 特派員みなみが

現場よりお届け致しました

 

 

 

 

 

 

 

いざ 関ケ原へ 春の陣 

 

~ FIN ~