おはようございますパー爆笑

富岡製糸場の続きとなります。

↓前編はこちら




こちらが首長館。フランスのブリュナの宿舎でした。さすがにこれまでに比べて立派です。


世界遺産登録の碑。これ以外の場所にもでてきます。


そばを流れるのは鏑川(かぶらがわ)です。


女性従業員用の寄宿舎。こちらは昭和以降に建てられたもののようです。15畳の1部屋に最大12人で使用していたようですガーン 室内にはアイドルのポスターや観光地のペナントがそのまま残っているのは生々しいですね爆笑


富岡製糸場の労働環境ですが官営時代はそこまで厳しくなく、「あゝ野麦峠」や女工哀史のような環境ではなかったとされます。ただ民間移行後は1日12時間以上労働で休みも少なかったらしいですガーン 終盤はある程度人間らしい働き方ができたらしいですが。


女工哀史については下記でも書いています(いいねがワーストクラスえーん)。


時期ごとの労働環境が詳しく書いてあったところがあったのですが撮影禁止だったので必死になってメモしました。ところがそのメモがどっかに行ってしまいましたえーん


こちらが妙義寮と浅間寮ですね。


ここはトイレだな爆笑



診療所です。





何かの置き場でしょうか。



前編でちょろっと出てきた東置繭所の内部です。その名のとおり繭が保管されていた場所ですが相当大きいですね。


このときは乾燥場の整備工事をしていました。

請負金額がずいぶん安い気がしましたショボーン



東置繭所があるのなら、西置繭所もあるのではと思いますが、あります爆笑 こちらの方が真新しく感じます。


ブリュナエンジン。フランス人首長のブリュナがフランスから輸入したものと言われます。



西置繭所が公開されたのはほんの数年前でした。東置繭所に比べて新しく感じたのは公開のために整備していたからでしょうね。2020年5月じゃコロナが始まった頃であまり人が来なかったんじゃないかなショボーン 2階は繭を置いていたところが残っていますが、1階はガラスを多用した近代的な設備になってしまっていますショボーン


煙突と鉄水溜。製糸工程には大量の水が必要なため、貯めておくスペースです。



レンガをよく見ると模様が描いてあるのが見えます。そのレンガの業者を示しているようです。多くの業者が携わったことがわかりますね。



こちらはあとになってから使われた社宅です。寄宿舎と違い一戸建てみたいになっていますね。建物の形がみんな違うのは気になりますがキョロキョロ


富岡製糸場を後にしました。市内にはふれあい館など見るところが他にも多数あります。


市内のラーメン屋でつけ麺₍₍(ง˘ω˘)ว⁾⁾


富岡市内にある群馬サファリパークの看板がウ◯ライナ🇺🇦の国旗を彷彿してしまいました。訪問直前にアレが勃発しましたからねショボーン まさかこれを書いている時点でまだ終わらないとは。


相変わらず後編のほうが長くなってしまったショボーン

富岡製糸場のお話はこれでおしまいです。


次は田島弥平旧宅です。


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