5日目(2024/5/3(金)) その1
広島〜兵庫: 広島→(ひたすら高速)→吉川

おはようございますパー爆笑
九州からの帰路の途中、広島で一泊したところまで話しました。

↓前回のお話はこちら

グランドプリンスホテル広島で朝を迎えます。かろうじて海側の部屋でした。プラスいくらか払えば海側の部屋確約だったのですが陸側でもいいやと払わなかったらこうでしたのでヨシと。


グランドプリンスホテル広島の外観。広島の市街地から大きく離れた海のそばにあります。


ここの駐車場ではワイと同様関東ナンバーの車を結構見かけました爆笑 さすがに九州ではほとんど見かけませんでしたが広島くらいまでは車の人が多いんですね。


それでは、5日目最終日の行程に入ります。

19時過ぎに宿に到着し6:50に出発したので、宿には12時間も滞在しませんでした爆笑


素泊まりなので宿で朝食は摂りません。

で、向かったのはおなじみの…、


……、


コメダ珈琲店爆笑

宿から車で10分ほど走ったところにあることは事前に調べていましたし、前日も横通ったのでわかっていました。


普段と変わらないコメダのモーニングと₍₍(ง˘ω˘)ว⁾⁾


この投稿を上げた時もコメダでモーニング摂っています爆笑

関東はエグい渋滞だ爆笑 でもひどいときはこんなもんじゃないので休日割引がないのが効いているかもしれません。ちなみに現在地は関東でなく広島です爆笑


このまま最短ルートでまっすぐ帰ると830km余りと。

埃が酷くてごめんなさい🙇‍♀️


で、関東の渋滞がエグいという話をしましたが、この日は5/3ということでGW後半初日、大阪近辺はもちろん、滅多に渋滞しない山陽道の通過予定区間でも長い渋滞が発生しておりました。西日本の渋滞は関東に比べて動かないんですよねショボーン


でも、対策は考えていました。


山陽道がダメなら中国道走ればいいじゃない!!!爆笑

(マリー・アントワネット調。でも元ネタのあの迷言はマリー・アントワネットが言ったわけじゃないようですね爆笑)


ここで中国道と山陽道の歴史の話を少しします(少しじゃなくて相当長くなりそう)。

大阪から山口までは太平洋ベルトの関係上、山陽(瀬戸内海側)の方が街が栄えており、山陽本線、山陽新幹線、国道2号と交通の大動脈が通っています。高速道路もこれに沿ってつくるのが自然な考えですが、この場合は山陰(日本海側で山陰本線と国道9号が通っている)から高速まで遠くなってしまい、ますます衰退してしまうことになります。そこで考え出されたのが、その間の中国山地を縫うように高速をつくることでした。この地域は姫新線(きしんせん)や芸備線などの鉄道は通っており、津山や新見、三次(みよし)などそこそこ大きい町があるものの、それ以外の地域含めて昭和後期より過疎化の問題が起こっていました。この地域の活性化と山陰からのアクセスもしやすくするために、中国道が1983年に吹田〜下関間の全線開通しました。開通により沿線の過疎化は止まり、教科書にも取り上げられるような内容になりました。


もちろんこれは良いことにはおさまらず、中国道の開通で姫新線や芸備線などの中国山地を通る鉄道の利用者が減りました。また中国道自体山岳地帯を通るだけでなく、規格自体も古いままつくられたので大半が制限速度80km/hでひどいところは60km/hというところもあるくらい線形がよくありません。また山陽側は中国道のインターから遠いのもあって、幹線道路は引き続き国道2号が担うことになり、都市部を中心に渋滞が多発しました。


結果的に中国道から遅れること10年ほどで山陽側にも高速(山陽道)をつくりはじめました。山陽道が全線開通(と言っても吹田〜神戸JCTと山口JCT〜下関は引き続き中国道を利用。あと山陽道はこれ以外にも支線があります)したのが1997年で、これ以降山陽側の都市に向かうのはもちろんのこと、神戸以東と山口以西の移動含めて中国道から山陽道に完全にシフトしました。山陽道は中国道と比べ距離が短いだけでなく、線形がよい(100km/h区間も少なくない)ので、当然と言えば当然ですが。


ややわかりにくいかもしれませんが、赤い線が中国道、青い線が山陽道です。


その結果中国道がどうなったかというと、

ほとんど車が通らなくなりましたショボーン

特に広島から山口の間は1日2000台を下回る時期もあったくらいです。高速の暫定2車線(片側1車線対面通行)を4車線にする目安が1日1万台以上であることと、山陽道の同区間が1日3万台以上通っていることで、どれだけ少ないかがわかると思います。

以前九州からの戻りの際に山口から山陽道でなく中国道経由で夜走ったのですが、

対向車すら来なくて真っ暗過ぎて心細くなりました爆笑

結果的に広島から山陽道に逃げました爆笑

かつては中国道のSAはすべて一通りの設備が揃っていたんですが、上記の理由で一気に設備が縮小され、安佐SAから美東SAまで約150kmはGS⛽️がありません。さらにその間にある吉和SAに至っては、トイレと自販機しか無くなり、前後のPAとほぼ変わらない設備になってしまいました。このあと出てきますが残っているところもJH時代の古い建物のところがほとんどで、SAPAを目的にするとはほぼ無縁になっています。

昨年(2023年)山陽道の赤穂あたりでトンネル火災がありしばらく通行止になったことがありました。こういうときは中国道があるおかげで命拾いできたと思えます。それもあるしいつでもガラガラで快適というクチコミが広がり、中国道の利用もわずかながら戻っている気がします。

とはいえ当然沿線の過疎化は再発しているわけで、芸備線の末端区間は廃止不可避な状況ですショボーン


長々と話しましたが上記の理由で山陽道が渋滞していても中国道いけば大丈夫じゃないかと思い、そのルートで戻ることに。


広島市内で給油。


五日市インターより高速に入ります。五日市インターは山陽道ですが、先の広島JCTより広島道へ分岐し、広島北JCTから中国道に入ると。



中国道の七塚原SA。やはりこちらは車の台数が少なかった。建物もさっき話したようにJHからのままですね。


一気に岡山県まで走り、勝央SAへ。ここは結構賑わっていました。


勝央SAが開業50周年と。日本最初のSAである大津SAが60周年なので、そこまで変わりませんね。勝央は開業以来建物はそのままじゃないでしょうか?ニコニコ


休憩所(JH時代は無料休憩所とかいてありました爆笑)も昔ながらの別棟。


インフォメーション(道路案内所)も昔みたいなつくりです。ワイが小中学生くらいまでは、高速道路ごとに(東名で1枚、名神で1枚、東北は長いので2枚爆笑など)SAPAの案内がかかれているマップがあり、そのSAが属する高速や周辺高速のマップだけでなく、関連もしない高速のマップも置いてあるところもあり、もちろん無料でもらうことができたので、それも楽しみでした。ただ、17時くらいまでの営業時間をすぎるともらえなかった爆笑


手元に唯一残っていた1989年版の名神高速のマップ。

今は亡き上石津PAや甲良PAが載っています爆笑

秦荘PAも現在は湖東三山PAと名前が変わっています。当然新名神なんてあるわけがない。


今のこういうまとまったマップはあんまり面白くないですねショボーン NEXCO東日本のハイウェイウォーカーも最近は全くもらってきません。


ずいぶん高いいちご🍓だな‪(´盆`)‬


で中国道では順調に進み兵庫の神戸近くまでやってきましたが、その先がおなじみの名神大津を先頭に25km以上の渋滞。昼近くなっても解消の気配はありません。ということで究極の選択肢である、


舞鶴若狭道経由


に手を出すことにしました。


ということで今回はここまで。次回がフィナーレです。


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