2日目(2016/2/12(金)) その4
愛媛: 長浜→伊方(瀬戸)→佐田岬
↓前回のお話はこちら
前回は長浜のショッパーズ(ンョ゛ハー ゛)の話までしました。この後四国最西端の佐田岬まで向かいます。
佐田岬についてまず解説したいと思います。
愛媛県の形はよくプーマ(PUMA)のマークに例えられますが、佐田岬半島は尻尾の部分になります
佐田岬半島を拡大するとこんな感じで、細長い形をしています。「日本一長い半島」と呼ばれています。佐田岬はこの半島の西の端にあります。半島の左側に見えるのは、九州の大分なので、どれだけ九州に近い場所がわかるでしょう。
また佐田岬(さだみさき)と間違えやすいところに、佐多岬(さたみさき)があります。こちらは鹿児島県で場所が違いますので注意です。
佐多岬については↓こちらをご覧ください。
佐田岬も佐多岬も、駐車場から岬の先端までやや長い距離を歩くことは変わりありませんが 佐多岬の方は一度整備されてとても歩きやすくなったんですが災害でまた通れなくなったようです
途中にある瀬戸の道の駅。細長い半島という話をしましたが、北側の海も南側の海も見える場所はそう多くはありません。このあたりが数少ない見える場所となっています。
瀬戸とは旧瀬戸町を指しており、伊方町、三崎町と合併し現在は伊方町の一部となっています。合併時佐田岬町や佐田町にしなかったのは、伊方町が原発を持っていて潤っていたからというのは容易に想像できます。ちなみに佐田町は島根県に実在し、現在は出雲市の一部になっています。
反対側。
佐田岬灯台の駐車場まで近そうに見えますが、あと32kmあります
佐田岬半島の入口のところに、伊方原発があります。福島第一原発のようなことがあったら、佐田岬半島は逃げ場がなくなってしまいます。少なからず人が住んでいますからね。このあたりで最近地震が多いですし不安になります。
瀬戸の道の駅あたりでカローラの走行距離12万km突破しました。
これを書いている直前に、今乗っているレヴォーグの走行距離が10万km突破しましたが。
さらに先に行くと三崎という港があり、ここから大分の佐賀関までフェリーを結んでいます。三崎港というと、神奈川の三浦半島の先端が先に出てきますね。ここは先ほど書いたとおり、旧三崎町だったためです。
ここまでは国道197号、通称佐田岬メロディラインと呼ばれ、半島の背骨を通る整備された道となっていますが、ここから佐田岬までは愛媛県道となり、対向車と離合するのも困難なところが多い狭い道を走らねばなりません。
ちょうど通った時も至る所に工事で時間によって通行止になると書いてありましたが、そのまま佐田岬の駐車場までいくことができました。
佐田岬の駐車場からはこういう道を歩いて行きます。先端までは20分とのこと。入口でおばあさん二人組に「戻ってきたら寄ってくれ。まけるから」と言われました。寄ったのがある意味不幸を招くことになるとは
案内も年季が入っています。というか傘マークの落書きはお約束ですね
遊歩道からの眺め。ダイナミックですね。
なんだこりゃ?キャンプ場か?
あとで調べたらやはりキャンプ場でした。現在は使用されていませんが、当時は現役で使われていました。夜は寂しいところなんですが。
ところで3枚目にあるストアーの部分はかつて戦時中に司令部があった場所だったそうです。言われてみれば入口がなんか立派ですよね。
ここ以外にも佐田岬は砲台の跡など戦時中に使われた場所が数多く残っており、現在は展示物として整備されているところもあるようです。
燈台が見えてきました。
最後の階段を上がると、
燈台の裏に出てきました。
四国最西端の碑。
ここが佐田岬の先端です。島の向こうが九州です。
なう。
燈台には必ずあるもの。
椿山展望台の方は工事中で行けず。
※以下の画像はお借り物
調べたら現在の椿山展望台にはこのようなインスタ映えしそうなハート型のモニュメント「ラブリング」があるらしいです 当時あったら下灘駅のあれみたいに落ち込みそうですが
また訪問時はなかったものとして、燈台に合わせて見えるモニュメントがあるようです。当時はほとんど整備されていませんでしたからね。佐多岬のビフォーアフターの変貌ぶりほどでないにしろ、今訪問すれば変化を感じられるでしょうね。
が、次に話すことで佐田岬への再訪に抵抗があります。切ろうと思いましたがキリが良くないので続けます。
先ほど入口でおばあさん二人組に寄ってくれという話をしたと思いましたが、そのとおりに寄ったのです。そうしたらみかんやら海藻やら質の悪そうなものを押し付けてきたのです。まけてやるからとそれ以外のいろいろなものも渡してきて、断りきれずに二人分で5000円払う羽目になりました (2000円だったかもしれません)
モヤモヤと気分が悪いまま佐田岬を後にすることになりました。騙された俺が悪いと思って押し付けられたものを画像とっていませんでした
これについて後で調べたら…
当時はなかったこんな看板が立っているようです。
あのB◯Aたちめ!!!押し売り常習犯かよ!!!
当時でかなり歳行っていたので今もいるかわかりませんが、くれぐれもお気をつけください。話しかけられても無視ですよ
このあと元きた道を戻り、高知の方に向かいます。
今回はここまで。
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