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Minahei

ライター戸塚美奈のブログです。

週末、雨だか雪だかが振るらしいので、今日のうちに畑へ。4つ目の白菜収穫! まさか、無農薬不耕起で、1年目から白菜が収穫できて、食べられるとは思わなかった! 最初に直まきした芽はほとんどコオロギに食べられたけれど、あとからホームセンターで買って植えた苗が育ってくれた。もう一度種まきして植えた苗は、さすがに遅すぎ、結球せずにフワフワと。これは董立ちしてつぼみを食べるので、春まで放置。

 

秋、白菜にはアブラムシにナメクジになんだかよくわからない虫の大群がおしよせていた。よっぽど白菜はうまいのだろうと思った。家庭菜園の先輩の父は、白菜を無農薬で作るのは無理!と言い切るし。畑で虫だらけの白菜に顔をつっこんでは、さすがの私もこりゃ食べられそうもないな、と半ばあきらめていた。ところがところが、なんと立派に結球してくれた。そのころにはクモやテントウムシが現れた。これはもしかしたら、少しは食べるところがあるかも!? クモとテントウムシに希望を託し、じっと寒くなるのを待つ。白菜は寒くならないとおいしくない。ねばってねばって年末に1個目を収穫し、おそるおそる虫だらけの外葉をはがしてみたら!!! 中はなんとまあきれいなこと。外葉をはがせば、スーパーの売り物の白菜と同じではないか。

 

これはひとえに、白菜にすみついて、番をしていてくれた、クモくんやテントウムシくんたちのおかげ。畑に行くと必ず目にすることができるテントウムシくん。(それだけアブラムシが多いともいう)

↓これは11月中旬のもの。黒いのがテントウムシ。

 

外側はすごいが、中はまるで虫食いなし。白菜につくというダニに吸われた跡もなし。

 

テントウムシとクモに感謝。今日から毎日、鍋。

文字を書くのがのろいのが、悩みだった。さらさらと書けない。文字がひとつひとつコマギレで、だから文字がへたくそ。ていねいに書けば読めることは読めるから、仕事に使うノートには、できるだけまじめに書きつけていた。でも、そうするとスピードが落ちる。急いで書くと、字が乱れる。あとで見て、書く気がうせる。

10歳のときにクラスメートのきれいでスピーディーな筆記を見て、ざんねんな気持ちになっていた。「だから自分はべんきょうができないんだ」と思っていた。そんな私が、その後40年たって、気づいた。「タテ」で書けばいいんだ、と。

 

あるときふと、「えいやっ!」とある日ノートを90度回転させて、えんぴつを持って書き出したら、さらさら、さらさら、止まらなくなってしまったのだ。おどろいた。ボールペンで横書きしていたときの、3倍くらいのスピードで書けた。それも気持ちよく。くずした漢字もひらがなも、タテ書きなら読めるのに驚いた。

「これだ」と思った。

この日から、いつも使っているキャンパスノートも、取材用のメモ書きも、90度回転してすべて「タテ書き」に変更。それもえんぴつを使う。筆圧が軽くていいから、さらさらとどれだけ書いても疲れない。というより、書けば書くほど気持ちよい。なんだこれは。

 

もともと、大女優であり優れたエッセイストでもあった高峰秀子さんの手書きのものが、すべてタテ書きだということは、養女である作家の斉藤明美さんの本で知っていた。「とんぼの本」などに掲載されている旅の日記帳はすべて横罫のものをタテに向きをかえて書いている。買い物メモもメモ用紙をヨコにして、タテ書き。いいナとは思っても、大正生まれの方のなさること、現代にやるような合理的なことではないように思っていた。自分で実際にやってみるまでは。

 

考えてみれば、書くにしろ、読むにしろ、漢字もひらがなも、横に続けるようにはできていないものなのだ。タテに書き始めて、なんと漢字は便利に省略しやすい文字なのかと驚いた。そしてそして何よりも、なんとひらがなを書くことは気持ち良いことなのか。さらさらとタテ書きでひらがなを連ねていると、息をするのも忘れ、ナントカ式部のように何十帖でもお話を書いてゆけそうな気がする。

 

この頃、若い人のペンの持ち方で多いのが、親指が人差し指と中指をつっきって、親指が空のほうをむいた持ち方。その持ち方でえんぴつをどう押さえるの?と心もとない気がするけれど、意外や筆圧の強い整った文字をお書きになる人が多い。あの持ち方は、横書き用だ。タテに流れるべきものを、ヨコに持って行くために、親指が力みすぎてそうなった……のではないだろうか。

 

今では私は、すべてタテ書き。おかげで、メモをとることが増えた。買い物も、やるべきことも、みんなメモに書き出す。

大昔のご先祖さんがずうっとやってきた上から下へと流れるその動きに、目も、手も、喜んでいるのを感じる。いくら書いても疲れないのはそのせいだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

ずいぶんブログをご無沙汰してしまった。

「元気ですか?」なんてありがたい連絡をいただいたりしてしまった。元気です、すこぶる。

なんでこんなにブログをさぼっていたのかというと、断捨離に忙しく。冬から春にかけて夫の足がさらに悪くなって、いろいろと手助けがいるようになり、生活を大きく変えなければいけない事態になってきた。私自身、51歳、という年回りもあって、ちょうど、後半人生の生き方を考えるのにいい時期だったのだと思う。あれやらこれやら捨てる作業は、「自分にとって何が一番大事か」を考えるいい作業だった。若いヒトには「モテ期」というのがあるらしいが、今の私はさしずめ「ステ期」。更年期もなんのその。捨てたものは、いらない洋服とか、たくさんあったタッパーとか、物わんさか捨てたけど、それより、「すてきに見られたい」とか「もっと評価されたい」とか、そういう「欲」をのほうを盛大に捨てたかも。しかしこれ、ただ単に年とっただけとも言えるねぇ。

このあいだ、ケーブルテレビで、ショーケンの『前略おふくろ様』の最終回を観た。三郎役のショーケンが、おふくろ様が身を寄せていた勤め先である蔵王のロッジに、おふくろ様の遺品を取りに行く。渡されたのはちいさな風呂敷包みたったひとつ。「おふくろ様、あなたの残した荷物は、粗末すぎます」というショーケンのナレーションは悲しみと怒りでふるえていたけれど、私は、ああ、かっこいい、できるものなら自分もそうありたいと思ってしまった。おふくろ様を演じていたのが亡くなる直前の田中絹代だったからよけいかっこよく見えたのかもしれないけど。葬儀にかけつけたショーケンは、おふくろ様がつけた足跡を雪の上に見る。ああ、できることなら、どんな仕事でもいいから死ぬ前日まで働いて、小さな風呂敷包みだけ残して死にたい。30年前は、それは寂しい亡くなり方だったかもしれないけれど、今となっては、それが最高に幸せな生き方死に方なんじゃないのかと思うが、どうなんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4月になった。我が家にもようやく春が来た。これまでの生活から心機一転するために、今、人生何回目かの、大断捨離中。なのだが、これがいつまでたっても終わらない。長男次男が処分するといって自室から引き出した教科書や参考書、受験勉強用のプリントのものすごい山、山、山。とっておいたけれど、一回着ると臭くてたまらないサッカーのポリエステルの運動着類。さらに、ダンナが何十年とため込んだ諸々も、もう「捨てていい」とのこと。押入れの中に積み上げたプラスチックの衣装ケースが何段も。

もうこれが、分け入っても分け入ってもゴミの山、捨てても捨ててもゴミの山なのだ。3月中に片付けようと思ったけれど、とてもじゃないけどムリ、こりゃ連休くらいまでかかりそう。

なにが大変って、プラスチックケースを処分するほど大変なことはない、としみじみ思った。積み重ねてあったいくつもの衣類ケース、粗大ごみに出すと高くつくので、プラスチック用のこぎりで切断して燃えないごみの袋に入れようと思いつき、昨日半日かけて格闘。一人で部屋でもくもくと切断していると、バラバラ殺人みたいでかなりイヤな気分。しかも、プラスチックを切るときに異様な臭いがして、頭が悪くなった。途中で細かく切るのはあきらめ、不経済だけどいくつもの袋を使うことに。

まだまだウチに、かなりのプラスチック衣類ケースがある。

解体作業も面倒でイヤだが、もうプラの臭いに耐えられない。

 

お金かかってもしかたない、残りは粗大ごみとして出すしかない。もう二度と、プラスチックのケース類は買わないぞと、切りながら誓った。

ものを買うときは、捨てるときのことを考えて買い入れなければならない。捨てるに往生するものなど、決して買ってはならないのだ。どんなに便利で安価でも。

 

 

 

 

 

 

石田ゆり子さんの新刊がとっても売れているらしい。写真がたくさん入った素敵な本!ご自宅の写真を見ると小物や本があふれ、断捨離・ミニマルブームにかるーく一撃を加えていて痛快でもあったりもして。だけど、文はたぶんライターさんの手になるものだよね、というのがちょっぴり残念。天に唾するようなこと言うけれど・・。というのは、私は、石田ゆり子さん自身の文体が大好きなものだから。

文句なしに大好きなのは、ウェブサイト「ほぼ日」の連載をまとめた『はなちゃんの夏休み。』。愛犬のはなちゃんが、ほぼ日主宰の糸井重里さんちの愛犬ブイヨンにあてて手紙を書く、という趣向でまとめられたもの。愛犬から見た「ばあや」ことゆり子さん像がとぼけていてなんとも言えない。「ばあや」と「はなちゃんとねこたち」との日常生活には物語があり、まるで絵本のような味わいがあるのだ。

ばあやは愛犬に自らの哲学を語る。「おしゃれとはきょうもげんきに、まえむきにいきてますよっていう、きぶんを伝えるためのものです」などと。すばらしいでしょう?この言葉。 「とにかく、元気で、できるだけ長く、みんなで一緒に暮らそうね。楽しくね。笑ってね。」私の家にも老犬がいるからこの一文を読んだときには涙が出た。毎日を機嫌よく、笑顔で、健康で。それがどんなに大切なことか! 。それだから愛犬はなちゃんも、友だちのブイちゃんへのおたよりに「今日も元気で、健やかに」「笑顔で」「いきいきと」と伝えるのを忘れない。ユーモアあふれる文章のはしばしから石田ゆり子さんの生き方哲学が伝わってくる。写真に写りこんでいるナチュラルで無造作な(でもお金がかかっていそうな)ご自宅のインテリアも素敵。

またこんな本を書いてもらいたいものだなぁ。

ほぼ日」のアーカイブスでも読めますよ。