さようなら、愛しい人

「チャンドラーの小説のある人生と、チャンドラーの小説のない人生とでは、確実にいろんなものごとが変わってくるはずだ。」 ―(訳者)村上春樹―  

イモンド・チャンドラーの小説は「Long Goodbye 長い別れ」とこの本(さらば 愛しき人よ)ぐらいを学生の時に読んだ。訳は清水俊二。

詳しい文体はあまり覚えていないのだが、細やかな男くさい表現を押し込みながら、ハードボイルドな淡々とした文章が、主人公フィリップ・マーロウのそっけなさの中にも男の美学をぷんぷんと匂わせたものだ。  

ードボイルドという言葉も、この小説が生み出したのではなかったかな。

 文中で主人公のフィリップ・マーロウがのっぴきならない場面で緊張感のある会話の中で、「ゆで卵は固ゆでが好きでね」と言い放つ格好いい場面がある。たぶんそこから「ハードボイルドという言葉が生まれたと記憶している。  

あった、あった。  

事件に関係ある女性について、マーロウを良く思わない刑事が言葉を投げる。 

「あの子はいいこだろ。いい子は気に入らんのか?」とマーロウに問いかけた場面。  

「私はもっと練れた、派手な女が好きだ。卵でいえば固ゆでで、たっぷりと罪のつまったタイプが」  

実は、マーロウはこの子に好意をいただいていたのだ。しかし、純粋無垢なこの女性など自分に似つかわしくないと分かっているし、もともと所帯など持つ氣のない探偵家業だ。この有名な言葉によって初めて「ハードボイルド」という言葉ができたのだ。  

がる男。  

これが1940年(昭和で言うと15年)という国力をいかんなく発揮する前夜のアメリカに於いても、まだ十分に理解されていたとは言えない。だから著者チャンドラーが評価されるのは晩年、あるいは、その死後である。しかし、強い国アメリカとともにその人物キャラクターは大いに評価されてくるのである。

 現在のアメリカは、消費と疲弊を繰り返して、まさに国家の危機を迎えようとしている。それでも世界の警察として強がる男の見栄っ張りなどどこかに哀しい匂いをひきづっているのは、このフィリップ・マーロウの影響があるとも思えないのだが。  

くっきりとしたいくつかのイメージを残していけるというのは、やはり優れた小説の資格のひとつなのではあるまいかと思う。読んだときは感心しても、あるいそれなりに感動すらしても、ある程度時間が経過したら結局なんにもイメージが残っていないという作品も、世の中には決して少なくない。チャンドラーがそういう鮮やかなイメージを、それぞれの作品ごとに読者の脳裏に。あるいは手のひらに確実に残していけるというのは、やなりこの人の作家としての懐の深さと、あっと言う敵名も出の文章のおかげだろう。(村上春樹・訳者あとがきより)  

あの村上春樹が惚れに惚れぬいた、チャンドラーとフィリップ・マーロウ。  

惚れぬいたでは済まなくなり、ライフワークとして翻訳までせざるを得ない衝動に駆られる、その世界とは。むかし若かりし頃に読んだ人も、読んでない人も、また違う春樹ワールドを堪能してみたらいかがだろうか。        

村上春樹が一生をかけて惚れぬいた世界だ。

さようなら、愛しい人










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神の味噌汁

 日、出張先で地方紙を読んでいたらエッセイストの玉村豊男氏のコラムが書いてあった。  

タイトルは、「神の味噌汁」。 

なんのこっちゃと読み進めてみる。まずは自分の通常の朝食メニューの披露から。しかし、特に何とはない洋風のメニューである。  

「旅館にでも泊まらない限り朝食ご飯を食べることはないので、味噌汁は飲まない。夕食も炭水化物は控えているし、たいがいワインかノンアルコールビールを飲みながら食べるので、味噌汁の出番はめったにない。出番があるとすれば残り物でごはんを食べる昼食のときぐらいだが、忙しい昼にいちいち昆布と鰹節でだしを・・・・・」(本文より)とぐたぐだと(失礼)文章は続くのだ。  

「???」この人は何を書きたいのだろうか。  

どんどんコラムのスペースはなくなっていくにもかかわらず、あいかわらず感の鈍いぼくはただただ読みながら文章の推移を見守るしかないのである。

 しかし、しかし。  

私が退屈に読み進めたのは間違いではなかった。玉村氏にとってはそんなことはどうでもいいスペースを埋めるためのウォーミングアップでしかないのだ。そうか、そうか。  

そしてこのコラムは佳境へと入っていくのだ。

 話は急に展開を始めるのだ。  

玉村氏が駆け出しの頃に世話になった先輩と久しぶりに会ったときの、先輩のぼやきが強烈なアッパーカットとなって、ゴングは振り下ろされるのだ。

 先輩「まあ聞いてよ。最近の若いやつらはなんにも知らないのだから」     

「神のみぞ知る、って言葉も知らないんだ。俺がそういったらサ、なんていったと思う?神の味噌汁ってなんですかだって」  

(笑)(笑)(笑)

どうりでそれまでの話はどうでもよかったわけだ。

 このひと言を書きたいがためにひっぱりにひっぱた豊村氏の努力に敬意を表するものだ。また、これが先輩のジョークとしたら座布団を何枚か差し上げねばならぬ。  

それ以来、味噌汁を飲むたびにこの話を思い出す、としめくくっていた。

 たしかに、これは忘れられない話のはずだ。











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天風先生

ょっといろいろと人生の辛さを経験した。  

そんなときにふと目に付いたのが、以前に読んだ宇野千代の「天風先生座談」だ。いつの間にかすがるようにページをパラパラと開いたのだろう。  

以下は有名な話だが、忘れている人もいるだろう。再現してみよう。  

風先生は死に至る可能性の病にかかり、インド人のカリアッパ師にすすめられるままにインドにやってきた。どうやってその病を治すか教えてやると。幾日たっても病を治してくれそうにない。するとカリアッパ師が「今日はどうだね」と訊いてきた。  

「頭痛もなく、熱もないんですが気が重うござんしてね。身体が大丈夫なときは私ほど快活な人間はいないんですが、明日なき命を生きていると笑うに笑えないから気が重い。」と天風先生が答える。

 「いったい、お前は誰に頼まれて、自分の毎日をうす暗く生きているんだい。だいたい病が治ったらと、それじゃぁ、治らなかったら生涯、快活にはならないのか」と師は質す。  

もちろん、天風先生はなれない、と答えると、  

「そうかい、それじゃぁお前はずっと治らない」と言い放つのだ。

 「だいいち、お前はね、よぅく考えてみろ。ほんとうに有り難いということを感じない、というのがその理由だ」  ういわれた天風先生だが、治らない病を抱えた自分がなんで有り難い、幸せな人間なのかがまだ分からない。その後、師との押し問答が続くのだが、ついにその答えをカリアッパ師が言う。  

なにがありがたいのか。  

「生きていることだろ」  

「お前は死なずに生きているだろうが。熱があろうと、血を吐こうと、生きていることになぜ感激をしないのか」  

造物主はお前という人間を、人間の世界に生みつけたのは、人間の仕事をさせようがためだ」  

「人間の仕事って何ですか」  

「考えろ。人間なにしにこの世に生まれて来たか」  

風先生はこの問題に半年取っ組んだ。「われいづこより来り、いづこにいかんとす。何の事情ありて、この現象世界に人間とし生まれ来しや。  

そして、ある時天風先生は悟りを得る。  

「この世に万物の霊長として生まれ来しゆえんのものは、高めるという、造物主の目的に順応するためだ、と。そして、造物主と言うのは、お前の生き方の間違いを分からせるために病なり不運を与える。人生を高めるという気持ちが分かるまで、むしろ慈悲の心でお自分に病をかけてくださった。なんと幸福なことだろうか。」 そしてその時の彼は声を出して泣いたという。  

後年、その時の話をするたびに中村天風先生は、思い起こして泣いたという。  

そして、その後の中村天風たる教えの根本に至る。  

以下はカリアッパ師から言われた言葉だ。  

病は病だ。苦しみは苦しみだ。  

 病にかかったといってからに、心まで病ませる必要はなかろう。肉体に病があろうと、心まで病ませる必要がどこにあるか。  

そういうときこそ、心のほうが健康なり運命なりをよき状態に作り直して行かなければならない。その原動力としての存在なのだから。  

無理でもいいから、言ってみろ。  

お元気ですか、と訊かれたらどんなことがあっても、まったく元氣です、と。  

俺はお前に、お前の気分を訊いているんだ。身体のことをきいたことはいっぺんもない。  

それなのに、いつでもお前はやれ頭が痛いの、けつが痛いの、すべったの転んだのと。  

明日の朝から、そう言え。」  

れから毎日、天風先生は挨拶で元気かと聞かれるたびに「すごく元気です」と答えるようにしたという、情けない声を出して。しかし、半年たつと考える前に「すごく元気です」と反射的に言える精神になってきたという。  

「人間てェものは、悲しいと思うから余計に悲しくなる。  

腹が立つと思うから余計に腹が立つ。」   

高めなさいと、天風先生は言う。  

生きていることが有り難い。  

そう思える毎日を心から過ごして生きたいものだ。  

まったく、ため息の出るようなボクだ。

天風先生










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復刻

   このブログは毎月 25,000ほどのアクセスをいただいているのですが、中には何かの言葉を検索されている最中に(迷って?)この馬鹿なブログにいらっしゃった方がおられるのだ。  

 

その検索された言葉の内容と回数までがこのブログ分析にはすることができるのですが、6月にいたっては、何がなんだかわからないのですが「魯山人 納豆茶漬け」という検索からの来訪が一番多かったのです。  

 

なんとこのブログは2009年4月16日のブログでして、私も「お~、懐かしいなぁ」などと無邪気に喜んでまた読み返した次第です。  

 

ということで、(よくテレビ番組がコストを浮かせるために〇〇年のベスト1とかやってるように)懐かしのブログを復刻してみることにしました。あの頃とはありがたい読者も変わっているだろうし、読んでいても覚えておられる方がいるとも思えないので再掲するね。 いやいや、手を抜いてるわけじゃないのよ(笑)。 かなり軽佻浮薄を地で行くような文章で恥ずかしいのだが、実はこれが本当のぼくなのであるよ。文体は軽いのだが、書いてある内容はすごく大事なことではないか。心して読みなさい。  

 

では、スタート!

 

 

はははは。  

に聞くのは「魯山人の納豆」である。  

納豆の品質の是非にまではどうにも出来ないが、いわゆる魯山人が言うところの「納豆のこしらえ方」には思わず正座さえして聞いてしまうのである。よろしいかよく聞きなさい。  

初は何も加えない。  

「よく練る。よく練る。」(練る子は育つ、あれれ)そして、「少しづつ、醤油を加えて」は、また練る。練っては加え、決してどばっとなど下品に、、あからさまに、ついでに入れてしまわぬことである。ましてや、最初から醤油をいれるなどとは、「下手のすることである。」と仰せである。  

豆が練って固くなったら、また少し醤油をたらして、そして練る。のだそうだ。

復刻

山人は、三百何回とか四百何回きちっと数を決めて練っていたと伝説があるが、あれはどうもNHKが放映したときに、魯山人の弟子が混ぜた回数を数えたら、たまたま424回だったらしく、魯山人は何回とは記録を残していないのだそうだ。    

「糸の姿が見当たらなくなったら、そこで辛子とネギを入れたもれ。」  

「納豆が嫌いな御仁は、生塩で食されよ。」  

にご紹介したいのは、知られざる、しかして、あの北大路魯山人がお勧めする、「納豆茶漬け」である。えいーいぃぃ、頭が高~いぃぃぃ。  

豆の茶漬けはうまい。しかし、ほとんどの人がそれを知らないのである。  

ご飯は温かいものがよろしい。  

納豆はご飯の1/4程度で、納豆は少しだけいつもより多めの醤油がよろしい。それで足らなければ、煎茶に少しだけ醤油を垂らしても、よろしいのである。」  

代日本の食事を文化的な価値に引き上げた貢献者だといわれる魯山人。納豆ねりねりの行いは、まさに神聖なる儀式とも言えそうであるな。  

だいたいのやつは、その途中で「もぅ、がまんできない」のである。  

 ワシも。     

 きょうもワシのブログに来ていただいて本当にありがとう。    

                                                     2009年4月16日掲載 










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社員を大事にする

京セラフィロソフィを読んでいると面白い一文に出会ったので紹介しておこう。  

IBMの社是には「社員を大事にする」という表現があるそうだ。確かに、アメリカの会社でありながら、珍しいことにIBMには日本の会社のように長く勤める人が多いのが特徴だと。  

そして、IBMの社是には次のような具体的なたとえ話が出てくると言うから面白い。  

ある北国の湖畔に、心優しき老人が住んでいました。  

湖には毎年、雁(がん)の群れが飛んできて冬を過ごします。優しい老人はいつとなしに、湖に集まる雁にエサを与えるようになりました。雁は水辺に寄ってきては老人がくれるくれるエサを喜んで食べていました。  

来る年も来る年も老人はエサをやり続け、雁もその老人からもらうエサを越冬する糧とするようになりました。  

ある年もまた、雁の群れがその湖にやってきました。  

いつものようにエサをもらいに水辺に寄ってきますが、老人はいつまでたっても現われません。毎日、水辺に寄って行っては待ち続けるのですが、やはり老人は現われません。  

老人は、すでに亡くなっていたのです。  

その年、寒波が襲来し、湖が凍結してしまいました。  

老人が現われるのをひたすら待ち続け、自分でエサを捕ることを忘れてしまった雁たちは、やがて皆餓死してしまったのです。  

そして、「IBMでは、このような育て方はしません」と書いてあると言う。  

自分でエサを獲ることができる人材に育てる。  

それこそが「社員を大事にすること」とIBMは定義づけている。  

真の愛情とは誠に深遠なるものだ。

社員を大事にする










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