『よい記憶力はすばらしいが、
 忘れる能力はいっそう偉大である』
 エルバート・ハバード




本当だ。
本当だ。




僕の最高に素晴らしい点と、
最高に哀しい点は、




「忘れてしまえる」



ということが大きいと思う。




学習能力がない、
というマイナス面も多い。



もちろん、人生で
忘れようにも忘れられないこと
もある。




でも、想いのいいことだけを残して
「都合よく」生きることも
人生では大事ではなかろうかと
思うことも少なくないよ。




日本人はまじめだ。




だから、
忘れてしまえばいいこと、
心から逃がしてあげることをすれば
楽になれるのに、
「忘れてはいけない」という風に
心に刻み込もうとする。




それが、日本人の美徳だったんだろう。





「忘れてしまえるのは能力である」



と言い放った人もいるが
まったくの同感だな。



忘れてしまうことで自分を救う。



なにもそれは、
大きな出来事のことではなく、



日々のささいなことから
始めてみればいいじゃないか。


わざわざ自分の心の鳥かごに
くじけたくなるような思いを
自分から何度も何度も閉じ込めてクヨクヨしてしまうことも多いだろう。



そうした方が
真面目なことのように勘違いして。



「忘れること」は
素晴らしい能力らしい。




『人間は忘れるように
つくられているんです。
この「忘れる能力」というのは
「救い」です』

 瀬戸内寂聴
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日本のテレビはどうなってしまうのか、という心配ではなく、不安さえ超えてしまうやるせない気持ちを抱える大人は多いだろう。



ワイドショーでは、とにかく視聴率さえ稼げれば特集みたいに連日同じ報道をこれでもか、と連発する。




テレビ局の内部にいるテレビ制作と作家の森達也氏によると、



実は、日本の認識される殺人事件は戦後最低記録を更新しつづけているらしい。



しかし、マスコミが煽るから国民の認識はそうではない。あるいは、日本はとんでもなく凶悪な国になってしまったとひどく思い込む。



殺人事件なんだから凶悪には違いないが、
それでもEUや他の先進国に比べても
その割合は圧倒的に低いのに、
わざとテレビ報道は事件が
日本という国の特殊性でもあるかのように
恐怖を煽る。




警察は自分たちの存在感が大きくなるから、これも勢い頑張る。



そして、



視聴率が取れるからだ。





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視聴率を稼ぐためと言えば、業界内部から森達也氏が同じく指摘するのに




いつの間にか





日本人が普通に話しているのに、
字幕(テロップ)で流す。


外国人の通訳みたいに吹き替えをする。





これもそれも、
障害者のためのようだけれども、
その大きな目的は「視聴者」に
楽をさせることなんだそうだ。




結局、その外国人とは違う事実の吹き替えになることもあるようで、
問題になったこともある。



今でもテレビ局側の都合のいいコメントに吹き替えがまとめられているのはまず間違いがないだろう。




CM明けに同じ画像を繰り返すのも同じ理由だそうだ。





なにも親切でやってるわけではなさそうだ。





要するに、
視聴者が楽をしたいから、テレビ局側はどんどん視聴者をおバカさんにしてしまうというのが今の図式化だそうだ。




お分かりだろうか、





テレビの質はこうやって




どんどんと下がってしまい
今のような体たらくとなり、
たまらなくなった人はテレビから
離れていく。



で、



見てもらおうと、
ますます楽な制作をしようとして
またまたテレビの質は落ちていく、
という負のスパイラルにはまっているのだ。





高齢化が理由ではない。




昔のおとっつぁん、おっかさんは、
なんの不自由もなくテレビを食い入るように見ていた。
せいぜいがボリュームを大きくする程度ではないだろうか。




子どもも考えたり、集中することをテレビから放棄してしまう。





ただの楽な
なにも考えない
娯楽の垂れ流しとなる。






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テレビには昔はそれなりに「文化」というものがあったように思う。





しかし、
そのような番組は圧倒的に姿を消してしまった。




かくして、
馬鹿馬鹿しいスパイラルは
歯止めをかけることは
もう無いのである。




子どもをテレビから守らなければならない。




これは親のするべきことの優先順位のかなりトップクラスではなかろうかな。

過日、ある社長さんが相談に来られた。


というより、彼はこのところずっと氣を病んでいて体調もすぐれない。



その会社の業績も経常利益をそこそこあげてはいるのだが、いろいろあって自分では業績不振とおもいこんでいる。



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確かに、今までのやり方を見直す機会ではあるようなのだが、氣に病むほどのことはなかろう、と他人は思う。でも、それを相談する人もいない。





ずっとお付き合いをしていて、ハッと思うことに突き当たった。




彼は社員さんを「数字を生む対象でしかないのだ」、ということに。




これはある意味で大きな大きな会社運営の根幹であるのだと、すぐにつたえた。



「たった一度の人生に生まれてきた社員さんを、俺と出逢えた限りには、どうなって欲しいか、どんな人生を送って欲しいか。




それをトップとしていつも自問自答する
必要があるのではないかなぁ」と。




まさに、

「人生、二度なし。

しかして、どうしたいか。

その答えをいつも胸に」




火をつけろ。
社員の心に、



火をつけろ、
周りの心に、



火をつけろ、
彼らの人生に。




ある人がいっていた。




「教育とは火をつけることだ。

教育とは火をつけて燃やすことだ」



教えるな、
やらせるな、
無理強いするな、




火をつけよ。


彼らの二度とない人生に。

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人を他人に紹介する前に、
ぼくは必ずその人の素晴らしいところをほめちぎって会わせるようにしている。




人に本を紹介するときには、
ぼくは必ずその本のいいところを思い入れ深く語ってから紹介するようにしている。




自分が初めての誰かにお会いするときも、その人のことを前もって想像してワクワクして会うようにしている。




これをぼくは



「時間のティーアップ」




と呼んでいるのだ。
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ティーアップとは、ゴルフで最初の一打を打つときにボールを「高く、遠くに」飛ばすために乗っける小さな道具を使ったセッティングである。




なんの準備も、なんの工夫もなく人に会ったり会わせたりしない。



なんの準備も工夫もなく本を読んだり紹介したりしない。



それは、草の上に転がっているボールをそのまま打つのと同じことで、高さも飛距離も違うのだ。




前もってティーアップすることで、どれだけワクワクする人生が送れることか。




どれだけ相手を喜ばせてあげることができるか。




それを考えただけでもワクワクできる
(笑)




自分の行動もティーアップしておく。
もう、ワクワクするから、




それって、
ただの一人盛り上がりじゃん、
なんて言うなよな(笑)




そんなことを言うやつよりは、
はるかにワクワクした出会いが待ってるから。




かならず、



前もってティーアップしとけよ。



自分と



あの人に。
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老子も言うとる。



「世の中の人々は皆言う。

わたしは道としては大であるが、バカのように見えるなら、大きいからこそバカに見えるのだ。


もし賢く見えるなら
もうずっと前から細々小賢しい印象であったろう」



そうだ、そうだ。
大きくありたいと思うなら
馬鹿にならねばいかんね。




わたしは会社でいつもいつも言ってることがあります。



それは、

「偉大なるちょいアホであれ」


ということです。


「ちょいと」でなければマズイですが

(笑)



わたしたちは自分を成長させるためには、まず「素直」でないといけない。

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でも実は、
自分は自分が思う以上に「厚い殻」をかぶっているのです。




だから、
相手の言葉をどこかで見下したり、
相手のふところに入っていけなかったり、相手を受け入れたりするのが苦手だったりするのです。




みんなそうです。




だから、
素直になるためにはまず殻を破る。
でも他人に殻を破られるのはキツイ。




だったら、自分で殻は破ろう。





そのために、阿呆になる。
阿呆になるには、馬鹿になるのだ。





ミムラでは、この言葉をわたしは口を酸っぱくしていっている。




人から馬鹿と思われてもいいじゃないか。




どれだけ周りが喜んでくれることか。




「よくやるねぇ」



最高の褒め言葉ではないか。



小賢しい目で見られても、
どちらが大きいのかは、わたしの心こそが一番にわかっているからなのだ。



馬鹿になることを恐るな。



こんなに気持ちのいい「作務」はないのだから。
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