のあーちゃん版になります
待ちわびた初孫にダウン症がある
それを知った時
「そんなの関係ない
だって私の可愛い孫には
かわりないんだから」
そう言ってくれた実母りりぃ
そうは言ってくれたけどさ
内心葛藤はあったらしい
そりゃそうだよ
私だってあったさ
でも私よりずっと早く
孫のあーちゃんを
すーっと
受け入れてくれてたよね
ダウン症のある子は
とっても感受性豊か
自分を本当に愛してくれる人を
本能レベルで感じ取れる
そう
りりぃとあーちゃんは
相思相愛だったのだ
認知症になってからのりりぃは
じいじと私に疑心暗鬼だった
あんたたちは信じられないって
そしていつもこう言った
「ばあばが信じられるのは
ただ一人
あーちゃんだけー!
あーちゃんだけが
ばあばの味方なのぉー!」
そう言って
二人でハグし合ってた
私とじいじは
二人とも引きつっていたが
あーちゃんは
ばあばが元気な時も
認知症になってからも
変わらずに
ばあばに愛を与え続けてた
なんの偏見もなく
ありのままのばあばを
愛しつづけていた
あーちゃんには
かなわないよ‥‥
ばあばが末期がんになり
苦しむ日が多くなってから
あーちゃんに
元気が無くなった
お世話になっている
ヘルパーさんたちの間でも
最近あーちゃん
元気が無いいよねと
噂になっていたらしい
そうこうしているあいだに
お別れの日が近づいてきた
ばあばとの最期の会話
「あぁ、
最期にあーちゃんに会えて
ばあばは幸せだわ」
この言葉を聴いて
めったに泣かないあーちゃんが
ポロポロと涙を流した
これが最期だと感じたのだろう
そしてばあばが旅立った
するとどういうことか
旅立ったその日から
またあーちゃんに
笑顔が戻り始めたのだ
「ばあば
もう苦しく無いね」
そういう想いなのかもしれない
もしくはひょっとして
幽体離脱したばあばのことが
見えはじめているのか?!
(ちょっと背筋寒)
いずれにせよ
「あーちゃん憑き物が落ちたように
また元気になりましたね」
そうヘルパーさんに
言われるようになった
あれから一年
この前の一周忌の時の写真
ほら みてごらん
ばあばだよ
どれどれ
じー
ほんまや
ほんまや!
ばあばやー!!!
あーちゃん喜んで興奮すると
森進一の
「おふくろさん」顔になる
あーちゃんの表情の変化だけで
二人の絆が痛いほど分かる
そうだよね
こんなちっちゃい頃から
こんなまなざしで
見つめ続けられてたんだから
どんな命にも意味がある
私はその大切なことを
りりぃばあばとあーちゃん
二人の生き様から学んだ
ダウン症があっても
認知症になっても
与えられることは
数えきれないほどある
まぁそれは今
認知症介護が終わり
私が落ち着いた場所にいるから
言えることでもある
今この瞬間に
あの日の私のように
親や家族の介護で
もがいている人に向かっては
軽々しく言いたくは無い
だけど伝えなきゃいけない
たったひと家族分の
サンプルだけど
我が家の介護報告を
もちろん私の経験が
当てはまる人も
当てはまらない人も
いるだろう
これはあくまで私の話
これはあくまで我が家の話
ではあると
前置きをした上で
ダウン症のあるあーちゃん
私は産んで良かった
彼女のおかげで
我が家はひとつになった
認知症を発症したりりぃ
本当に壮絶な介護だった
でも終わってみて
今はその経験を
財産にしたいと思ってる
今まで認知症について
全然理解していなかった
もちろんそのご家族の気持ちも
経験してみて初めて分かった
この経験を少しでも
世の中の役に立てたい
父もそう言っていた
いいことも
悪いことも
正直に伝えたい
この経験が
いつか誰かを救えるなら
忙しさにかまけて
ブログもおざなりだったけど
今年は定期的に書くぞ!
と新年の抱負にかえて