三重大学のダウン症研究のニュースに胸がざわついた件を自分なりに解明してみた。(長文御免) | ダウン症児のママはシンガーソングライター MIMOの「ギフト」な日々

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本当に「脳」よりも「胸」が先に反応したって感じ。なんだろう、この気持ち。胸がチクチクするぞ。言語化するのに時間がかかった。

 

 

ダウン症の原因の染色体を除去できることが判明と発表 三重大学の研究

 

 

私には21歳のダウン症があり最重度の知的障害がある「あーちゃん」という娘がいる。たぶんほかのダウン症のお子さんを持つ親御さんやご家族は今、私と同じような症状になっている方も多いんじゃないかな?と思ってブログを書くことにした。

 

 

医療や科学の進歩は猛スピードで進んでいく。その恩恵を享受したいと思う感情は当たり前だよね。うん。それは分かる。すごいことだもん。

 

 

がんだって難病だって、簡単に治ってしまう世界。それは夢のような世界だもんね。私だって自分が病気になったら、そんな恩恵は受けたいと思うよ。ダウン症の合併症も大変だったりするもんね。たとえば心臓とか脳とかさ。うちの子もあったし。

 

 

それにさ、21年前に娘のダウン症の告知をされたあの部屋で見せられた21番目の染色体の3本目。なんとか消しゴムで消せないもんか‥‥と思ったことは事実だもんね。でもそれが今、現実となるかも、ってことだよね。

 

 

う~ん‥‥とうなりながら、近くにいた我が子に目をやった。私の視線に気づき「にっこり」と首を傾げて可愛らしく微笑む彼女。そして考えた。もし21年前にこの技術があって、この子の21番目の染色体の3本目を消しゴムマジックみたいに消していたら‥‥

 

 

 

そう思ったら娘を抱きしめてワンワン泣いてた。

 

 

だってそうなったら「今のあーちゃん」は存在しない。この微笑みも存在しない。私と積み上げてきた日々も思い出も消えてしまう。というかまったく違う過去に塗り変わってしまうんだよね。あーちゃんのおかげで積み重なってきた愛が‥‥愛溢れる私の人生自体が‥‥変わってしまう。そんなの‥‥耐えられん‥‥。と思ったら鼻水垂らして泣いてた。私に抱きつかれた当のあーちゃん、ビックリして目をまんまるにしてた。笑

 

 

 

あ、これが私のこのニュースを見た時の「胸のチクチク」の正体か!

 

 

ひとしきり泣いたら頭の中の「モヤモヤ」の霧がほんの少しだけ、引いていくような気がした。

 

 

そっか、私は「医学の進歩スゲー!ブラボー!」って思う反面、「あれ、なんかますますこれから、あーちゃん、生まれちゃいけなかった子って、間違えて生まれちゃった子だよねって、思われ始めたりしないよね?」っていう恐怖だったんだな。(もう思われてるかもしれんけど)

 

 

自分の中の「モヤモヤ」の正体は、ダウン症治療研究の是非じゃなくて、それを受けての「世の中の心無い言葉たち」に私が傷ついたり怯えたりしてる、ってことだったんだな。そしてこれを見聞きしたダウン症のある本人たちの心がどれだけ傷ついてるだろうかと思ったら、胸が張り裂けそうな気持ちになってたんだな。ということに気づいた。

 

 

 

出生前診断が声高々に謳われ始める前は、なんとなく街を歩いていてもあーちゃんに対する眼差しがあったかかった。もしかしてダウン症があってもこの社会は生きやすいのかもしれないな、って希望を持ててた。

 

 

だけどある日、新聞の一面にダダーンと「出生前診断」という文字が記されていた。私はその時はもう、あーちゃんを出産してたんだけどね。ぶっちゃけ「ふーん。そうなんだぁ。」くらいにしか思ってなかった。認識不足だった。

 

 

ある日ダウン症のあるお子さんのいる大先輩パパさんと話した。未熟な私は「それって個人の自由じゃないですかね?」くらいの軽い気持ちで言ってしまったら大目玉をくらった。

 

 

「あのね、こういうことが出ると近い未来で”こういう子は生まれてはいけなかった子”って世の中が見るんだよ!”間違いで生まれちゃった子”って言われて命の尊厳まで奪われるんだよ!だから今ちゃんと声を上げなければいけないんだよ!」って教わった。

 

 

それから時は流れ、出生前診断はやって当たり前、ダウン症があると分かると97%は堕胎という数字が目に飛び込んできた。その頃からなんだか胸のザワザワが始まった。

 

 

そしてなんだか街の空気が変わってきた。以前よりも街がやさしくない。なんかいぶかしげに見られることが多くなった(ような気がした)それは亡くなった私の母もそう言っていた。

 

 

そしてあの相模原殺傷事件が起きた。あぁ‥‥ここに繋がってしまったのか。加害者のメッセージに震えた。その時に初めて、大先輩パパの私への叱責が再び脳天に雷のように落ちてきた気がした。

 

 

「だから言っただろう!」って。

 

 

 

私のママ友がPTAの地域部で防災問題を扱っていた時、訪れた市役所の職員さんにこう言われたらしい。

 

 

「意見がないのは”問題はありません”と言っているのと一緒。私たちは障害当事者ではないので、当事者やその家族が何に困っているのか分かりません。言ってくれないと分からないんです。だからどんどん声を聞かせてください」と。

 

 

 

そしてそのママは私にこう言った。

 

 

 

「だから私たちは困ってたら、傷ついていたら、ちゃんとそれを声に上げていかなければいけないんだよ。」

 

 

その言葉に何度も何度も頷いた記憶がある。

 

 

 

こんなことをもしX(旧Twitterって言わなくてももういいか)に投下したらそれこそいろんな角度から集中砲火されて、私の身も心もすべてを焼き尽くすくらい攻撃されちゃうんだろうなぁ。パッと目に入ったコメントに固まった。

 

 

「ダウン症を個性や美談として語ることは愚かである」

『優生思想につながる』と批判する親たちに違和感


「また、どの親も子どもには健康に生まれてほしいと願うものであり、それと産まれた子を受け入れ共に生きる覚悟をすることは矛盾しないのではないか」

 

 

とちょっと「おっかない」ヤフコメとXのコメント、著作権に引っかかるので敢えてChatGPTにクールでお上品に変換してもらった。が!このコメントたち、実際に読んだらダウン症のある子の親たちは血圧が上がるような、私のセンシティブに引っかかりまくるような原文でした。コワイヨォー!ヤフコメ!X!近寄るべからずぅ~涙

 

 

 

うわぁ!ごめんなさい!もし書き込んだら私、バカって言われちゃいますよね?(いや、ダウン症は個性とは私は言ったことは実はないんだけど)はい!黙ります。大人しくしてればいいですよね。

 

 

偽善者、美談にすりかえる理想主義者、頭のイカれた親たち‥‥過去にだってこんなようなニュースが出た時に、ちょっとでも自論を展開しようもんならもう、数え上げればキリがないほどの心がヤケドしそうなワードを目にしてきた。とてもじゃないけど自論を書き込む勇気などない。こうやって声を飲み込んで生きていく方が安全だよな。

 

 

 

って一度は思ったんだけどね。それでいいのか?あの日のママ友の言葉が私を責める。

 

 

「だから私たちは困ってたら、傷ついていたら、ちゃんとそれを声に上げていかなければいけないんだよ。」

 

 

そうだよね。今ね、きっと傷ついたりモヤったりしてる人、私の他にもいると思うの。そしてその人たちの心はちゃんと守ってケアしなきゃいけないと思うの。

 

 

 

医療の進歩への賞賛と、ダウン症のある人の心も守ってほしいという切なる願い。両方あるんです。だって当事者家族なんだもん。私はどんなことがあっても我が子の笑顔を、ダウン症のある人たちの笑顔を守りたいんです。ごめんなさい。

 

 

私は今の目の前のあーちゃんを愛してんのよ。誰がなんといようと、それは私の幸せであり価値観。ここだけは誰にも譲れないし否定させない。だって「私の幸せ不幸せ」は私以外に誰にも決める権利はないからね。ここはもう「でも」とか「だって」の反論は閉店ガラガラさせてもらいます。あくまでも「私の中の幸せ」の話だからね。そこのところはよろしくです。

 

 

たしかにさ、妊娠八ヶ月の早産で超未熟児で生まれ、生後三週間でダウン症の告知、生後半年で脳の合併症、3歳で広汎性発達障害と言われたこの子。小さい頃は入退院繰り返して大変だったことは事実。

 

 

でも人生って続いていくのよ。状況や環境は日々流れ、変わっていくのよ。いつのまにか病弱だったあーちゃんも健康優良児になってたり。価値観だって変わっていく。娘のおかげでたくさんの出会いがあったしね。そこからどんだけ私は学びを得たんだろう。

 

 

私はあーちゃんとの日々を重ねたことによって、愛と絆と情が生まれたんだよね。その21年という時間が、私にとってあーちゃんをかけがえのない存在にしてくれたんだよね。綺麗ゴトっていう人もいるだろう。うん、その価値観も私は認める。でも思う。私の人生、悪くない。うん。この子のおかげでいい人生、歩かせてもらってるなぁって思う。私はこの人生で出会った一番好きな人は「あーちゃん」だもん。それを証明するような素敵なエピソードをまとめたブログはこっちに書いてあるので、お時間のある方はぜひこちらにも遊びにきてください。



ダウン症のある我が子は我が家の救世主だった話。

 

 

私は当事者家族だから伝えなきゃいけないよな。もちろんこれは「私の場合」って前置きをしておくけどね。そう。あくまで我が家のストーリー。賛否両論あっていいんだよ。人間は自分が体験したことでないと、実感が湧かないからね。私と違う意見も尊重します。でもこっちサイドからの気持ちとか実体験とか、黙ってると「あ、やっぱり不幸なのね」って言われちゃうから。ちゃいますよ!ぜーんぜん!ちゃいます!

 

 

ごちゃごちゃ言っちゃいましたが、まとめますね。

 

 

 

ただひとつ言えることは、

ダウン症のある人のいる世界は美しい。

 

 

 

「ダウン症の治療研究」「今を生きるダウン症のある人たちの尊厳を守ること」常にセットだよ。バランスがとても大事。人生にはいろんな選択肢があって、どんな選択も尊重される世の中になってほしい。ただ間違っても「街を歩いているダウン症のある人」に心無い言葉を投げつけるような、そんなすさんだ社会になんてなったら、絶対にダメだよ。

 

 

私とどんな形でも関わりを持ってくださった方はけして、そんなことをするような人たちではないですよね。今偶然、このブログを通りすがってくださったあなたも。私はそう信じています。

 

そして最後に。

 

 

今まで出会ってきたダウン症のあるすべての人たちよ、私はあなたたちが大好きだよ!

 

今を生きるダウン症のあるすべての人に祝福を。そして幸せを。私はそう願わずにはいられないし、これからも願い続けるからね。

 

 

来月3月21日は国連が制定した「世界ダウン症の日」です。ダウン症の「21」番目の染色体が「3」本あることに由来しています。皆様もどうかこの日は、ダウン症のある人に向けて、やさしい想いを馳せていただけないでしょうか。どうかお願いします。



〜どうかどうかこの想いが、届くべき人に届きますように〜