34歳で余命宣告された私ってこんなん
イイね🤍コメントありがとうございます!
めちゃくちゃ励みになり力をもらえていますっ
(⚠️コメント承認はAmeba運営の方がして下さって〼)
花咲乳がんの進行が止まらない...
この記事でもお話しした
花咲乳がんの始まりの日
この時の私は...
今となっては ありえないんだけど
花咲乳がんが
癌の進行とは分かってなくて
(もちろん当時は”花咲乳がん”という言葉も
知らずにいました)
そしてその後
これは進行してるんだって
気づいた時には
もう...手術は難しい状態と
なっていました
過去記事(2020/2/9)抜粋
そして、腫瘍が飛び出して
病院に行った頃には
手術できるか出来ないか
ギリギリの大きさだと言われました
そして、少しでも小さくしないと
手術も保証できないという事で
何とか免疫療法などで
腫瘍を小さくしようと
食生活や治療法を改めて見直しました
(※当時私が言う免疫療法というのは
免疫を高める為の治療
という意味で 今私がしてるような免疫療法とは
全然違いました)
そしてそのまま
腫瘍の大きさは
大きくも小さくもあまり変化無く
……
2年の時が流れました
(この時は出血するけど、ガーゼに滲む程度。
1日途中何回かガーゼを変えて過ごしてました。
その代わり痛みは、ナイフで刺すような痛み
寝てる時に血だらけ。という事は度々ありました。)
そして……
忘れもしない2018年5月
なぜ忘れもしないかというと
その日は母と2人で韓国旅行に
行く空港で、そこで私は
搭乗前のトイレで、今までになかった
大出血をしました
更に詳しくはコチラ☟
いやいや...ちょっと待って!
そんな状態で韓国旅行?!
そうー...今振り返ると
かなりヤバいな
と 思うのですが...
でもこの時の私は
今 思うと
普通の日常を送りたくて
必死だったようにも思います
そして この母との
韓国旅行のキッカケは
そんな日常を必死で
送ろうとしてるけど
少しづつ日常を送れなくなっていて
......
毎日 癌の痛みに闘いながら
癌の進行を止めようと必死で
でも...今までの日常が崩れていく...
それでも諦めない
そんな私を見て
という母の言葉がキッカケでした
そしてこの韓国旅行は
母と初めての海外旅行でも
ありました
側から聞いていて
もしかしたら
大丈夫?!
って思うかもしれません
ていうか...
今の私だったらそう思います
でも間違いないのは
当時そんな風に声をかけてくれた
母の想いが嬉しくて
なんとか日常を
送りたいと諦めてなかった
私の力になったのも事実です
だから結果はどうであれ…
あの時の
母の想い・言葉に
今も私は感謝しています✨
大出血の始まり…母との韓国旅行
つづきーっ
YouTube:関連動画