瞑想とかヒーリング中に

眼をとじてるのに みえる光を 丹光(たんこう)といいます。


ポピュラーなのは

紫の光が おおきくなったり ちいさくなったり

しますが


初期(?)には

眼をとじてるのに

小さい光がチカッとひかるのをみたりもします。



プラーナみたいな 星のような

ちいさい光がみえたりするのも

丹光の一種かな。



とおもいます(^^)
以前にも書いたことがあるのですが
 
歯医者さんで 歯の治療中に

丹光をみてしまう人もおおいです。
 

 
あの

ギュインギュインとゆう機械音と

イスから動いてはイケナイ

 
 
とゆ~拷問チックな環境のなか
 
なぜか 丹光がみえてしまう...。
 
 
 
なぜ~~~???
 
 
 
不思議ですね。
 
フツー丹光は

リラックスして
 
瞑想的なカンジになると みえやすいのに..。
 
 
あと 無念夢想な状態のときとか..。
 
 
無念夢想....☆
 
 
そういえば 歯の治療中は
 
無念夢想にはなりやすいですね。
 
 
 
また「今に集中☆」も しやすいです。
 
治療中は今現在の
 
自分の口腔内のコトに意識が集中しますしね^^"
 
 
カラダに集中する瞑想
 
とゆうのもあるので
 
 
●いま 現在 カラダにおきていることを
 
十分に味わってる
 
 
●意識が外にむかわずに 内面にむいている。
 
 
とゆ~ことで 歯医者さんで
 
丹光がみえやすいのかもしれません。
 
 
ごぶさたしております。

おかげさまで元気にすごしておりますo(^▽^)o

秋はいそがしかったです。



親戚がきたり 親戚がきたり 親戚がきたり....。



いえ、一緒に行楽にあちこちでかけて 楽しかったのですが

パソコン作業はできませんでした(泣)


ようやくおちついて 最近は


瞑想三昧の日々をすごしています。



瞑想すると丹光(たんこう 眼をとじてもみえる光)

がみえます。


最近は瞑想して眼をとじると

白い光がみえます。

ひろがる丹光2


あ~白い丹光だ~。

とおもって ボーッとず~っとみてると


いきなり視界全体にひろがって 大きくなります。


ひろがる丹光
視界全部 白い光☆


...視界 ...といっても 

眼をとじてるのですが...(^^")


丹光って ひろがるんですね。


光につつまれるのも

おだやか~で 至福なカンジでいいものです。


瞑想って不思議です(*^o^*)

ウツっぽいときのオーラは

第七チャクラ(頭頂のチャクラ)がかげります。


第七チャクラは天上的なものをつかさどります。


聖なるもの とか 神聖さ 

などに つながるチャクラです。



だから

ウツのときは 神さまがいない。







そうなると 自分ひとりの力で

生きぬいていかないとイケナイ。



すべてを 背負いこんで

いろいろな問題を

ひとりで処理しないとイケナイ。



とおもいがちになり 人生がド~~ンと

オモくなってしまいますo(;△;)o






自分ひとりの力ではなく

有形 無形 みえない存在からも

いろいろな


サポートも受けて 生きているのだ。


まもられているのだ。


心おきなく 

憂うことなく 

生きてよいのだ。



とゆう実感がもてると

第七チャクラは かげりづらくなります。





どんなときにも アミアミで

いろいろなサポートと つながってるし~。


ドンマイです(^^)
























長野方面に旅行にいってました。

緑の綺麗な季節ですね^^


近所でも 散歩すると

新緑が気持ちいいです。


家のちかくに歩道橋があるのですが

そこをとおるといつも

いきかう人のアタマの上のオーラがみえます。


通常セッションでは第七チャクラ(頭の10cm上)

まで見ます。


ときどき そこまでしかオーラはない。

とおもわれることもあるのですが


アタマの上のチャクラはもっとたくさんあるし

人間のオーラはとても大きいです。


3m以上あります。


チャクラをみると

第七チャクラ以上のチャクラは



だんだん虚空にとてけいってるようにみえるので


「お空のうえのほうでは


みんなエネルギー的には


つながっているのかな~?」


とも おもいます^^



















先日

人魂(ひとだま)おばあちゃん

おはなしをかきましたが

そういえば 

母方のほうには 前世おじいちゃんもいました。



母方のおじいさんで

明治時代

九州の山奥の村でうまれました。



明治時代の九州の山奥って


電気ナイ。


車もナイ。


れ~ぞ~こもナイ(;^_^A



そのころは 近隣の親戚で


みんなで畑をつくって

自給自足だったそうです。


お米もお味噌もお醤油も

食べものはぜんぶ 自家製

オーガニック。



水は山のわき水。


ある意味 

とても健康的な暮らしだったのかもしれません。



ある日 そんな村に


旅の六部(ろくべ)がきました。


六部とは 法華経を奉じて 

全国六十六カ所をまわる

お坊さん (行者さん?)のような人でした。



そして そのころ生まれたての

赤ちゃんだった 

おじいさんをみて いいました。



「おお!!この子は


前世で 神社から


お酒と木を盗んでいる!」


∑ヾ( ̄0 ̄;ノ



「男の子がうまれて よかったのぅ~!」


とか よろこんでいた


親戚一同はあわてて


「それは いかん!

今生で また盗人になったらイカン!」



といって


ちかくの神社に お酒を寄進して


神社に木をうえました。

 




母方のおばあちゃんから 

この話しをきいたのですが

明治時代って

前世はある。


とゆうのが 

フツーに浸透していたんだな~。

とおもいました。



生活と自然がちかかったので

みえない世界が

もっと身近にあったのかもしれません。










トチノキのオーラ













































"

 

 

 

 

先日書いた

ちいさい頃いっしょにすごした 

おばあちゃんは

信心の人でした。


信じていたのは

新興宗教でもなく

江戸時代の檀家制度で

「はいっ。あなたのいえは

この宗派ね~。」


とわけられたフツーの伝統仏教でした。



でも おばあちゃんの資質(?)に

あってたのか 年とともに

真摯に信じていました。


深くピュアにしんじるようになった

決定的な体験は

おばあちゃんの神秘体験だったようです。


それは人魂(ひとだま)


ある夜 近所の道をあるいていたら


直径30cmくらいの青いおおきい光が

1mくらいの高さにうかんでいるのを

みたそうです。



こわかったので はしって逃げかえったそうです。



おばあちゃんはなにげなく話したのですが

そのころ小学生だった わたしにも

衝撃的でした。


だって その道って通学路( ̄□ ̄;)!!

通学路に人魂☆

やめて~~((>д<))

明日から とおれないじゃん~~(泣)




わたしもこわかったので

科学的にナニか説明できる現象だ。

とリクツっぽく 自分にいいきかせていました^^"




でも その体験はおばあちゃんにとっては 

決定的に霊的なことで

人魂=まよってる人がいる~

まよってるとゆ~ことは成仏していない。


極楽にいってない

極楽にいけない魂もあるのだ。

大変~~(((゜д゜;)))


とおもって 

ますます信じる人になったのでした。



といっても人になにか すすめたり

お説教したりとかはまったくなく

朝 晩 仏壇にごはんをあげて

手をあわせるくらい..。


あと法事のときなどで

近所のお寺のお坊さまのお話し(法話)を

きくのが楽しみなようでした。


そのせいか

長年 いっしょにいましたが

おばあちゃんから 

人の悪口や差別するような言葉や愚痴を

きいたことがなかったです。


いつも優しい言葉をつかってました。



いっしょにいたときは

お年寄りだから それが あたり前~。

人間 年をとると きっとそ~なるんだ~。


とおもってましたが

いまおもえば希有なことでした。



結局94歳まで生きて

長寿でした。



最期は体調をくずして入院したのですが

そのとき 親戚に

「もうちょっと生きたかったけど もう いくから。

もう いく。」


といったそうです。


親戚が

「おばあちゃん どこにいくの?」

ときくと

「極楽」

そういって 亡くなったそうです。




長寿を達成して

親しい人にかこまれて 

ベットの上で 安心して

旅立ちたい。

と願っても


なかなか死地はえらべない。


ねがったとおりに

往生した おばあちゃんは

信じてた仏さまのご加護があったのかな~。

とおもいました(。-人-。)




 

 

 

 

 

先日停電になりました。

夜スパゲッティをたべていたら

突然あかりがきえました∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

近所もまっくら。

窓からみえる範囲まっくら。
ブラックアウト。


懐中電灯をもって 外にでると
階段の非常灯はついていました。

近所の人があつまって

「なんだろ~ね~。」

「どうしたんだろ~ね~。」

「電気ぜんぶ とまってるよ~。」

とザワザワ。

「信号もとまってるよ~。」

「あら~、あぶないね~。」


近所の人が別の町の親戚に電話したところ

そこはあかりがついている。

とのこと。

「ホッ。この地域だけか~。
 
じゃあ 大丈夫じゃないかなあ。」

とみんな解散。(結構 近所の人たちは楽観的^^")



結局 2時間くらいで停電は解消しました。


昔は電気ナイ生活でしたから

夜暗いのはあたり前ですし

わたしもキャンプとかで 

電気ナイ生活も経験していますが

地震や災害でもないのに

突然 夜に電気とまったら

アセりますね^^"




地球環境の変化もおおきい時期なので

地震などでインフラがとまる事態も

一応かんがえて 生活しようとおもいました。


とはいえ 1人で防衛したり

対処できること

とゆうのも微々たるもの。



自分ひとりでは お米一粒も

うみだせません。




水も太陽のひかりも

土も風も自分の力では 

つくりだせない。


そう思うと 


いま生きてる。

とゆうのも奇跡。


いろんな縁によって

日々いかされてるのだ~

感謝☆



とあらためておもった

停電の夜でしたo(^-^)o






カーネーションのオーラ♪














 

 

 

 

 

 

 

瞑想すると白い丹光がみえます。


この丹光のひかりって

「チベッット死者の書」の

死後みえてくる光に にてるのでは??

とおもいます。


「死者の書」では

死んだあと まばゆい光がみえる。


そして その光と一体になると

輪廻から脱する。

とあります。


でも白い丹光って

結構 ひかってます。





瞑想で何回もみていると 怖くないし 

光にひたれば

平和なかんじにつつまれる


..のですが


何の予備知識もなく

はじめて とおくからこの光が せまってきたら

ちょっと 怖いかも..^^"



それに死後は夢の世界のように

限度がナイ かんじがします。


瞑想中よりも 強烈な光が

せまってくるのでは...。


とも おもいます。



しかし 「死者の書」いわく

死後 輝く光がみえたとき

そこで びっくりして逃げてしまうと

苦しみがおおい世界に

生まれかわってしまい

来世が大変...だそうです。


瞑想して

白い光になれておくと いいのかな?


フと世界各地にある

太陽神信仰をおもいだしました。


太陽の神さま

を信仰することで


死後 まばゆい光があらわれても

おそれをかんじず

よろこびに満ちて 光のほうにいけるのかも。



エジプトのラー神とか 天照大神とか

大日如来さまとか..。



ま~。たいていの神さま 仏さまは

光につつまれているので

なにか信仰をもっている人は

死後 輝く光をみても

こわくないのかもしれません^^"



 




 
























 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地域のあつまりでひさしぶりに おあいした方がいました。

明るくて いつもすすんで人のためにうごいていて 

まわりの人を元気づける人でした。


でもその日は周囲の反対をおしきって

自分の意見をおしつけたり
 気分も ふさいで 

ずっとイライラしてるようでした。


それほど ちかしい間柄ではなかったので 

きょうはなにかヘンかも~(@_@)


と とおまきにみていたのですが フとした瞬間オーラがみえました。

頭の上がかげっていました。





あとでご家族の人から 

その方が狭心症の発作を2日前におこした。

とゆうことをききました。



ようやく念願の年金生活にはいって 

これから好きなことをたくさんしよう。



とおもった矢先に発作がおき 

とてもショックをうけ それ以降


「もう オレには先がないから 

今楽しめることはたくさん楽しんでおかないと!!」


とひらきなおってしまったとか..。


ご家族も病気のことをおもうと 少々理不尽なことでも 

なるべく本人の希望をかなえて

あげようと我慢しているとのこと。



でも体調の制限もあるし 

本人のおもうほど

アレコレできるわけではない。


いままで 自分が死ぬ。

というのも あまりかんがえたこともなく 

また みえない世界のこともしんじていなくて 

来世もなく 

死んだら終わり


とおもって あせっているようでした。

 

 

 

来世はあると思いますよ。

 

とも言えず


とおくから

最善のほうこうにいきますようお祈りしました。




後日おあいしたときには 

かげりもすくなく言動もおちついていまし た。



時間薬で なにか状況とおりあいがついたのかもしれません。