母シリーズ② ~認知症の母の望みとは前編~ | ★教えて!Mimiさん★

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Mimiからみた不思議なセカイ。
感じた事を 難しい言葉じゃなく分かりやすい言葉で綴っています。魂本体を視ているので、生きてる人も亡くなった人も視れます。ペット、亡くなったペットも視れます。親が認知症なので、霊的観点から見た認知症の事も書いています。

母シリーズ①はこちら↓



介護が進むにつれ

介護者の視野が狭くなっていく事は

とてもある事だと思います。


もし、体力や精神が

無限にあったとしたら

きっと耐えれるのでしょう。

しかし、私たちは普通の人間なんです。



イライラしてしまう自分、

冷静になれない自分

そういうのが辛くなったり

申し訳なくなってしまったり。



そんなとき、羅針盤みたいなのが

あったら どうなのでしょうか。







母は、最初は

何も言わなかったのですが、



途中から

言い始めた事があって。

(もちろん思考を読み取った)




未来の事は言って欲しくない。

謝罪の言葉も言って欲しくない。

過去の楽しい思い出を言って欲しい。


という事でした。



「○○へ行ったね」

「こういう出来事があったよね 」

「 楽しかったね 」

「 冬になるとコタツを出したね 」

「そこで一緒に座ってミカンを食べたよね🍊」

みたいな感じです。




何を言ったらいいか分からない人は

「~したね。」「~したよね。」

という言い方をするのが 

分かりやすいんじゃないかな。





とにかくね、

私から視ると、

本人ボーッとしてるように見えるけど

ちゃんと見えてるし、聞こえてはいるんです。



こちらが言ってる事も

全く分からない訳じゃない。

知ってるからこそ、

そう言ってきたのだと思います。



介護者がどうしていいか

分からず途方に暮れている。



だから、自分のして欲しい事を

言うようになったんだと思います。

そうすれば、介護者も、


そうか!

それを望んでいるのか!

と気持ちがそちらに動くし


母の願いも叶うおすましペガサス






そこから、母は

誰がみても穏やかな顔になりました。


本当に 言って欲しかったんだと思います。



そして、それが叶って

しばらくしたら

次の望みを言いました。




「写真が見たい」


写真って、ああいうの? ☝️🙄

   (デイサービスの写真が飾ってある)」


「違う。そこは今でも行ける。

  もう行けない場所の写真が見たいの


 


③ に続きます。





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