終活アドバイザーMのお気楽終活雑記帳

終活アドバイザーMのお気楽終活雑記帳

自分のために断捨離&終活を始めました。
まずは、ぼちぼち実家の片づけから。

父とは別居していた。私は毎日一緒にいるわけではないしもともと気が利かない。週に一度、洗濯と掃除をして昼食を食べて帰ってくる程度なので、父の体調の変化に気づかないことが多かった。

 

他人に言われて知ったこともある。

 

今になって、どうしてもっと気を付けてやらなかったのだろうと悔やむのだが・・・。

 

 

 

●目が見えていない

 

脳内出血のあとリハビリを引き継いだ病院で、血圧の降圧剤と診察を受けることになり、月1回通っていた。

 

診察は、血圧は事前に看護士が計ってくれ、その数値を見て調子はどうですかと聞かれるだけ。父は耳もよく聞こえないし、適当に答えるだけなので、かかる時間は3分程度。

 

当時、フルタイムで勤務する私には休みを取っての対応となる。未だコロナが出る前のことで、自宅勤務の制度などなく、午前中に診療の予約をしても会計をして父を家に帰してからの出社となると確実に一時を過ぎる。気が気ではないのだが、父は、診察が終わると私が昼食を付き合うものだと思っているので、やたら機嫌が良い。

 

「Mちゃん、昼飯を食っていこう。」

 

決まって病院の前の蕎麦屋だ。まずビールか冷酒を飲む。さっさと済ませて出勤したい私はイライラする。それを察すると「さきに出ていいよ、僕は一人で戻るから」というのだが、このよぼよぼ爺さんを置いていけるものか。急ぐ時は蕎麦屋の会計を済ませて、父をタクシーに乗せ、私は駅に向かうということもあった。

 

そんなことを繰り返したある日、医者に「お父さんの目、たぶん片方見えてないよ」と言われて、ショックでヘナっと座り込んだ。

 

これだけ父のところに通っているのに、見えていないことに気づかなかったことにもショック。そういえば耳が聞こえないからと筆談にしたが、小さい字は読めないと言っていたので大きな字で書いていたが、反応が遅いなあと感じていた。

 

年のせいで頭の回転が鈍くなっているのだろうと思っていたが、もしかしたらよく見えていなかったのかもしれない。日を改め眼科に連れて行ったが、片方は失明、残る片方の目も白内障だろうと言われた。

 

白内障の手術をするかどうか迷ったが、高齢なので、無理に進めないということだった。本人が手術後医者の言うことをしっかり理解して安静を守る等してくれるかどうかも不安。万が一白内障の手術で残った目の方も見えなくなってしまったら困るので、そのままにした。

 

眼科が言うには片目が見えなくなったのはだいぶ前のようで原因は不明。どうして早く不調をうったえてくれなかったのか。

 

もしかしたら、目が見えなくなったと言っていたとしても、よくある老人の自虐的な発言(僕は年を取って、耳は聞こえないし目は見えないし、もうだめだよ・・・・的な)だと思って聞き流していたのかもしれない。

 

 

●耳が遠くなって困るのはだれか

 

父は、戸締りは怠らない人だった。母が生前、「ちょっと庭に出ていてたら玄関のカギをかけられた」と言って怒っていた。耳が遠くなった父は、インターホンを押してもドアをたたいても気が付かず開けてくれない。

 

友人が訪ねてきても、気がつかず鍵を開けないこともあった。すると私のところに電話が入る。「今、お父さんの家の前に来ているんだけど、ブザーを鳴らしても出てきてくれない」、「ずうっと茶の間の窓をたたいているけど、そこにいるのにこっちに気付いてくれない」、「電話も取ってくれない」とうったえる。

 

相手もご老人だ。呼び続けて疲れた、窓を叩いて手が痛くなった、暑さ、寒さで、外ではずっと待っていられない・・・・と言われると心配にもなる。

 

だが、私にどうしろというのだ・・・。

 

せっかくの日曜だっていうのに、実家には昨日行ったばっかりなのに・・・・と不機嫌に実家のカギをつかんでタクシーで向かう。私が到着する頃には、何かの拍子に父が気付いて友人を中に迎え入れていたりもするので、いかなくても良かったかも。今後は父宅への訪問は私に事前予約を入れてもらいたいものだ。

 

父の友人も、補聴器をつけるように何度もアドバイスしてくれるのだが、当時の補聴器は小さな電池を入れなければならない上につけっぱなしなので消耗が早い。電池も不器用な手でセットするのはむずかしかろう。だんだん使わなくなり、電池も本体もどこかに消失。安いものではないのに、また買いに行き、またなくす、そんな繰り返しだ。集音機というものも買ってみたが、機能以前に、まず使う意志がないので無駄だった。

 

本人が聞こえないという状態をもどかしく思わなくなると、耳が遠いことで困るのは周りの人の方なのだ。話しかける声が自然に大きくなり、出先などでは自分の声の方が大きくて恥ずかしい。

 

●全部入歯だったのか

 

部分入歯なのかと思っていたら、総入れ歯だった。

 

何年か前までは近くの歯科に行っていたが、その時はまだ総入れ歯でなかったはず。いつの間に入歯を作ったのか、まったく知らなかった。脳内出血で入院した際に、入歯のケースを持ってくるように言われて、はじめて気づいた。笑うと歯がない。歯なしでにっと笑うのが可愛いと看護士に言われたが・・・。

 

その後も、ヘルパーさんに「お父さんの入歯があっていないみたいなので、訪問の歯医者さんに見てもらったら?」と言われたので作り直した。

 

ある日、新しい入歯が見つからないとヘルパーさんに言われ、主人と実家に行って大捜索。あんな大きいものを、どこに無くすわけ?と言ってあきらめかけた時、流しの排水溝のごみ受けに入歯を発見。ふー、あった!

 

捨てたのか、意図せず流しちゃったのかは不明だ。

 

 

いまさら言っても始まらないのだが、親だと変な欲目でまだ大丈夫だろうと思う気持ちから、客観的な状況判断ができていなかったのは私の落ち度だ。

 

 

叔母のマンションの物置部屋はかつて叔母のパートナーの部屋だった。

 

部屋の壁には新聞・雑誌の切りぬきをセロテープで張り付けたり、自分や叔母の写真、好きな野球、競馬の関連のポスターやグッズ、民芸品などを画鋲でピンナップしたりしている。


全部外していいよ、という叔母の友人らの声に従い、部屋の片づけに入ると、その画鋲留めの多さに驚く。これでもかというほど色々なものが留めたり掛けたり吊るしたりしてある。

 

しかも画鋲と壁の間には小さい紙が挟んである。何だろう、何のため?あとで画鋲を抜きやすくするため?

いや、まったく抜きやすくなんてないし、画鋲を抜く度にひらひら紙が舞いおちて、かえって邪魔だぞ。

 

片付けながらようやくマンションの外廊下に面した窓までたどり着いたが、カーテンも開けられないように、あちこち画鋲でとめてある。カーテンの脇も裾も画鋲で固定されていて、光も入らない。

 

こんな目張りが必要なんて、部屋の住人は吸血鬼か追われる身の亡命者か犯罪者??

 

この画鋲の数は異常。貼り方も異様な感じがする。

 

はずしたものは、とりあえず引き出しに入れる。

一部屋にこの量はおおすぎるのではないか。

 

 

本日、画鋲と飾り物をほぼ撤去し、カーテンを買って、付け替えた。窓が開くことを確認。さすがに窓に釘はうっていなかった。ほっ😌

叔母のマンションの物置部屋からゴルフボールが出てきた。

新品ではなく中古、所謂ロストボールだ。

 

物置部屋は元は叔母のパートナーの部屋だった。女子プロのスポーツ新聞の切り抜きが貼ってあったり、ゴルフクラブが部屋の隅に立っていたりするので、彼はゴルフ好きだったようだ。

 

施設の介護士の話だと、叔母もゴルフが好きで、リクリエーションのパター・ゴルフの時には参加したそうだが、叔母に聞いても「ゴルフなんてやってない」と答えるので本当のところはよくわからない。

 

好きにせよ嫌いにせよ、このゴルフボールは、もう処分していいだろう。

 

すると、主人の知人が、捨てるのならもらってくれるという言う。そのまた知人がゴルフを始めたばかりで、なくなってもいい安価のボールが必要なのだという。

 

これは何ゴミ???なんて思っていたので渡りに舟。捨てる神あれば拾う神ありだ。

 

中古のボールの中にはオレンジやピンクの蛍光色のものが混ざっていて、何だろうと思って調べてみると、一般の基準とはやや違う結果が出る(飛距離が出やすい等)ので公式には使えない。練習専用のボールなのだそうだ。

 

ふーん、色々(字のごとく)あるんだな。30個ほどだが、もらっていただけると助かる。

 

今度はゴルフクラブは要らないか聞いてみてもらおう。いや、これは無理か。

いずれ、粗大ごみかなあ。

今月の叔母の外出は、叔母の親友Oさんの都合が悪いので、よく来てくれるグロリアの友達Jさんと私と主人の3人だけでおそめのランチ。デパ地下でちらしずしやお菓子を買い、叔母の家に向かう。

 

Jさんはアメリカのグロリアにラインをつなぐ。これも恒例になりつつある。叔母は、画面のグロリアに話しかけたり、食べ物のアップを見せたりしている。前回に比べビデオ通話に慣れてきたようで、語彙も増え、コミュニケーション力も上がっている感じがした。

 

相変わらずわからないところはいくら聞き返してもわからないが、会話が成り立つ部分も多くなった。

 

今回は、少しだけ片付いた部屋に気づいたのか、衣料品に注意がいったようだ。ベッドに腰かけ、たんすの引き出しの中を確認すると言う。

 

洋服を入れている引き出しと押し入れの中の衣装ケースを一つ一つ開けて見せると、時々「それは何?」と聞いてくる。いや、それって、こっちが聞きたいところなんだけどねーニヤリ

 

捨てていいとは言わないので、また引き出しに戻す。

 

もう季節も変わったので、気に入った薄手の洋服を数着選び、施設に持ちかえる。施設の部屋のタンスは冬物で一杯だろうから、今度面会に行って、冬物を回収してこなくては。

叔母の家の片づけはなかなか進まないが、毎週大袋6個くらい捨てているので、だいぶましになってきている。

 

この努力も、元の状態を知っている人からは賞賛されるが、一見しただけではまだまだ「ごみ屋敷」に近い。

 

先日は押し入れの中を少し片づけたが、電気敷毛布、毛布、ひざ掛けが複数出てきた。押し入れだけでなく物置部屋にも同様に電気毛布が放置されている。

 

それぞれ購入年のメモが添えられていたが、このメモ、何の意図があるのかさっぱりわからない。だれが何のためにつけたのだろう。

 

メモを見ると、ほぼ毎年買っているようだ。こわれたわけでもないし、特に古いようにも見えない。箱に入っていたり、ビニールに入っていたり、中には新品同様の物もある。保管状況は悪くない。

 

壊れてもいないのに何故、こんなにあるのだろう。歴代のものが押し入れに並んでいたりするのだから、あることを忘れて買ってしまったというわけでもなさそうだ。

 

電気毛布は洗えないから、毎年きれいなものを買っているのか?この部屋のありさまを見れば、そんなに潔癖症でもなさそうだが・・・。

 

とにかく最近の物を残して、捨てよう。叔母が寒がりだということはわかったが、何を考えてこれらを買い続けていたのかは謎のままだ。

 

 

 

少なからずショック。

 

主人が郵便物の封筒をあけたら、青い高齢者の介護保険証がでてきた。叔母や父が病院にかかる時もっていっていたあの青い紙の保険証が届いた。

 

これ何?!ときょとんとした後、状況を理解し呆然となるガーン

主人は今年65歳になるのだ。

 

「アラカン」でごまかしていたが、これからは正式に高齢者だ。

 

私も笑っている場合ではない。明日は我が身である笑い泣き

叔母の住んでいたマンションのごみの回収は早い。朝8:45には回収し終わっている。8時までに出すように指示されているが、すぐには来ないだろうと油断しているとアウト!

 

そこにすんでいないので、ゴミ捨てのためバスに乗って出かけるのだが、間に合ったことはすくない。

 

早起きには気合がいる・・・。退職してから、恒常的に起きる時間も遅くなったし、身支度にやたら時間がかかるようになった。化粧一つせず、着るものも適当なのに、なぜなんだろう。乗ろうと思っていたバスに目の前で行かれてしまうことも多い。

 

そんなわけで、たくさんゴミが積み上げられた叔母の家に泊まり込むことにした。翌日は叔母の一時帰宅を計画しているのに、これでは叔母の車椅子が通れない。焦って夜中まで片付けの続きをし、朝、人に会うと恥ずかしいから、夜中にごみを一部出してしまおうとしたが、誰もゴミを出していない。みんなルールを守っているのだ。

 

仕方なく翌朝、すぐ出せるように、玄関付近にごみ袋をまとめておいた。大小あわせ20袋はある。玄関は足の踏み場もなく、ゴミ袋をまたぎながらドアを開けることになろう。

 

絶対起きるために6時過ぎに目覚ましをかけて眠る。


翌朝。6時半にごみを持って降りる。誰にも会いたくないのに、住人がゴミのネットを組み立てているところに遭遇。「それ、洋服でしょ?今日、普通ゴミの日だから持って行ってくれないかもよ」と古布の回収日に出した方が良いとアドバイスしてくれるのだが、洗濯していないものや汚れたものも入っているので・・・と言いわけして、「持って行ってくれたか後で確かめて、残っていたら持って帰りますから」と言って置いてくる。

 

洋服が捨てられないとなると、ゴミの半分は衣類なので全部は出せないかもしれないと覚悟を決め、だったらこれならどうだと、先日整理した皮やビニール製のバッグ類を根こそぎ捨てることにした。

 

次に行ってみるとマンションの管理人さんがゴミ置き場を見張っている。「わっ、古布の日に出せって言われるかな」と不安になり、聞いてみると・・・。さっき聞いた住人の話しとは違って、意外な答えだった。

 

「古布の日に、中身によっては回収してもらえないこともあるので今日、出しちゃってください」とのこと。古布の回収で残されると管理人さんが燃えるゴミの日に出しなおしているようで、それなら初めから燃えるゴミとして一回で回収してもらった方が楽なのだろう。

 

どんどん出しちゃって、と言われたので何往復かするが、さすがにあまりのごみの多さに恥ずかしくなり、小さめの袋は部屋に残した。

 

とりあえず叔母が帰ってきても、洗面所と廊下は通れるようになったので、ひとまずOK。

 

こうしてその日の午後、無事に叔母の一時帰宅を実施。

 

叔母を施設に戻した後、残った人達でもうひと片付けすることになった。手伝っていただき押し入れ上段の片づけをしたとっころ、新たにごみの袋がいっぱい出来てしまった。

 

来月も又、泊りかぁ?!

叔母の自宅滞在を昨日実行。2度目。

 

デパートでちらし寿司とマグロづくしの鮨の折を2箱ずつ購入し、テーブルの上を片付けて、お皿を引っ張り出して洗って用意。箸やスプーン等は引き出しにため込まれたお弁当を買った時についてくる物でまかなえる。

 

叔母が育て親となっていたグロリアの友達のJさんとMさんがきてくれることになっていたので、昼過ぎに叔母の施設の前で待ち合わせ。そのまま車椅子を押して叔母のマンションに行く。

 

滞在時間は今回も3時間。

 

叔母は施設でお昼を食べてきているのだが、その割によく食べてくれてうれしい。Mさんが苺、Jさんが抹茶のシフォンケーキを焼いてきてくれたので、お皿にもって渡すと、手づかみでペロリ。

 

あとで顔を出すねと言っていた叔母の親友がさらにお寿司を買ってきてくれ、マグロ以外のネタも楽しんだ。

 

そのあとも、施設に面会に来ようとしていた知り合いに、施設でなく自宅の方に来てもらった。彼女に叔母の好物のくずもちをもらって、叔母はご機嫌の様子。

 

LINEをアメリカのグロリアにつなぎ、日本の6人のにぎやかな食事会に参加してもらう。

ほら、ホタテ!

マグロ、中トロだよ!!

・・・とカメラの前で鮨をアップにして見せつけるもぐもぐ

 

グロリアはいわゆる膠原病で痛みに耐える日々。こちらのノーテンキな実況中継を見続けるのもしんどいだろうに、とても明るくふるまっている。

 

あっという間に3時間が経過。もう帰る時間だよと叔母を施設に送ってゆく。

 

施設の前で別れ際、Jさんと親友のOさんと私に、叔母が涙を見せた。こちらも切なくなり、かわるがわる車椅子の叔母をハグ。

 

施設の中に入る叔母といれ変わりに出てきた看護士が、叔母の血圧が上がっていて経過観察中だという。むせることがあるので気道を広げる薬を貼っているとか、食事はのど越しがいいように刻み食にしてとろみをつけているとか説明してくれるのも、なんだか不安になってしまう。

 

叔母の涙の件と合わせて気分がどんよりしてしまったが、ひるまず来月の企画を立てねば!

 

月次の外出でなくても、30分だけの面会でもちょくちょく行ってみた方がいいのかなあ。自分の予定もあるのでうまく調整をつけたい。

4月4日。ついに来てしまった消費期限。

 

冷凍庫に半年以上眠っていた冷凍焼きそばを電子レンジにかける。

 

主人の伯母がここしばらく送ってくれていたお中元とお歳暮の品だ。5分でできておいしい。次にもらうときまでの6か月間、計画的に調整して消費してきた。

 

今日のこれが伯母からの最後の贈り物だ。

 

昨夏、亡くなる前にお中元の手配をしてあったらしく、訃報のあとに届いた焼きそば。もうもらえないんだね、とケチケチ小出しにしていたが、ついに最後の一つ。食べるのは期限ぎりぎりまで我慢していた。

 

お中元やお歳暮を贈りあう相手も一人減った。古い風習だとめんどくさがる人もいるけれど、伯母は”Mちゃんセレクション”と言って毎回私の贈り物をたのしみにしているというので、選びがいがあった。もらうのもおくるのも楽しかったんだ。

 

「これからはお取り寄せにしようかね・・・。」

そういいながら、主人と最後の焼きそばを食べた。

 

春の彼岸には間に合わなかったが、実家の墓参りに行ってきた。

 

父が亡くなり、叔母が歩くのが大変だからもういかないと言い始めてから、春秋の彼岸とお盆の年3回だけの墓参りすらしなくなってしまった。うるさいことを言う親戚もいないので、足は遠のくばかり。

 

春に一度だけ、石屋さんに頼んでいるお墓の管理費・掃除代が手渡しなので、支払いついでに墓参りしているようなものだ。

 

毎年、石屋さんで花を買い、持参した線香に火をつけてもらう。実家に線香が売るほどあるのでちょこちょこ持参しているが、数えたところ、毎回二束ずつ使っても、年一の墓参りだと向こう30年分くらいはある計算だ。お線香は特に使用期限はないというので30年使うかあ・・・。

 

いや、ちょっと待って。

 

うちだってさ、いずれ墓じまいするんだよ。こんなにあってどうするんだ。実家の仏壇に行く度、お線香をあげるか?それでも、一回数本・・・。無理!

 

重ねた立派な木箱や黒塗の箱を見て、ため息をつく。

これ、どうしよう。

 

人からのお悔やみの気持ちで、ありがたいのだが、これだけあると持て余す。

 

私も時々気持ちばかりとお線香を送っていたが、あれは迷惑だったのかもしれないなあと思った。

 

念のため検索エンジンで線香の処分方法をみていたら、「寄付」というのが出てきた。お線香を売却後、なにがしかの金額を寄付にするらしい。こんな汎用性のないもの、誰が買うの?宗教関係者?

 

売却代金は全額寄付になるのかな?諸経費など差し引くんだよな。だとしたら、送料がこちらもちってどうなの?

 

寄付はしたいけど送料がかかるのはちょっと迷うポイント。大した金額ではないし、それも含めて寄付なんだろうけど・・・。

 

よくわからないので、結局寄付は見合わせ、石屋さんにひと箱持ち込んで、お線香を忘れてきた人にあげてほしいと頼んだ。石屋さんでもお線香を売っているので、その中に混ぜてもらってもいい。

 

無理に置いてきて悪いが、ひと箱分は、ちょうどほしかった人にわたるといいなあと思う。

 

残りの箱は寄付にする?まだ迷うなら、てっとりばやく燃えるゴミとするか。ゴミ焼却炉の中で「なーむ―」?!

 

考えてしまうと片づけは進まない。