終活アドバイザーMのお気楽終活雑記帳

終活アドバイザーMのお気楽終活雑記帳

自分のために断捨離&終活を始めました。
まずは、ぼちぼち実家の片づけから。

叔母の家の片づけはなかなか進まないが、毎週大袋6個くらい捨てているので、だいぶましになってきている。

 

この努力も、元の状態を知っている人からは賞賛されるが、一見しただけではまだまだ「ごみ屋敷」に近い。

 

先日は押し入れの中を少し片づけたが、電気敷毛布、毛布、ひざ掛けが複数出てきた。押し入れだけでなく物置部屋にも同様に電気毛布が放置されている。

 

それぞれ購入年のメモが添えられていたが、このメモ、何の意図があるのかさっぱりわからない。だれが何のためにつけたのだろう。

 

メモを見ると、ほぼ毎年買っているようだ。こわれたわけでもないし、特に古いようにも見えない。箱に入っていたり、ビニールに入っていたり、中には新品同様の物もある。保管状況は悪くない。

 

壊れてもいないのに何故、こんなにあるのだろう。歴代のものが押し入れに並んでいたりするのだから、あることを忘れて買ってしまったというわけでもなさそうだ。

 

電気毛布は洗えないから、毎年きれいなものを買っているのか?この部屋のありさまを見れば、そんなに潔癖症でもなさそうだが・・・。

 

とにかく最近の物を残して、捨てよう。叔母が寒がりだということはわかったが、何を考えてこれらを買い続けていたのかは謎のままだ。

 

 

 

少なからずショック。

 

主人が郵便物の封筒をあけたら、青い高齢者の介護保険証がでてきた。叔母や父が病院にかかる時もっていっていたあの青い紙の保険証が届いた。

 

これ何?!ときょとんとした後、状況を理解し呆然となるガーン

主人は今年65歳になるのだ。

 

「アラカン」でごまかしていたが、これからは正式に高齢者だ。

 

私も笑っている場合ではない。明日は我が身である笑い泣き

叔母の住んでいたマンションのごみの回収は早い。朝8:45には回収し終わっている。8時までに出すように指示されているが、すぐには来ないだろうと油断しているとアウト!

 

そこにすんでいないので、ゴミ捨てのためバスに乗って出かけるのだが、間に合ったことはすくない。

 

早起きには気合がいる・・・。退職してから、恒常的に起きる時間も遅くなったし、身支度にやたら時間がかかるようになった。化粧一つせず、着るものも適当なのに、なぜなんだろう。乗ろうと思っていたバスに目の前で行かれてしまうことも多い。

 

そんなわけで、たくさんゴミが積み上げられた叔母の家に泊まり込むことにした。翌日は叔母の一時帰宅を計画しているのに、これでは叔母の車椅子が通れない。焦って夜中まで片付けの続きをし、朝、人に会うと恥ずかしいから、夜中にごみを一部出してしまおうとしたが、誰もゴミを出していない。みんなルールを守っているのだ。

 

仕方なく翌朝、すぐ出せるように、玄関付近にごみ袋をまとめておいた。大小あわせ20袋はある。玄関は足の踏み場もなく、ゴミ袋をまたぎながらドアを開けることになろう。

 

絶対起きるために6時過ぎに目覚ましをかけて眠る。


翌朝。6時半にごみを持って降りる。誰にも会いたくないのに、住人がゴミのネットを組み立てているところに遭遇。「それ、洋服でしょ?今日、普通ゴミの日だから持って行ってくれないかもよ」と古布の回収日に出した方が良いとアドバイスしてくれるのだが、洗濯していないものや汚れたものも入っているので・・・と言いわけして、「持って行ってくれたか後で確かめて、残っていたら持って帰りますから」と言って置いてくる。

 

洋服が捨てられないとなると、ゴミの半分は衣類なので全部は出せないかもしれないと覚悟を決め、だったらこれならどうだと、先日整理した皮やビニール製のバッグ類を根こそぎ捨てることにした。

 

次に行ってみるとマンションの管理人さんがゴミ置き場を見張っている。「わっ、古布の日に出せって言われるかな」と不安になり、聞いてみると・・・。さっき聞いた住人の話しとは違って、意外な答えだった。

 

「古布の日に、中身によっては回収してもらえないこともあるので今日、出しちゃってください」とのこと。古布の回収で残されると管理人さんが燃えるゴミの日に出しなおしているようで、それなら初めから燃えるゴミとして一回で回収してもらった方が楽なのだろう。

 

どんどん出しちゃって、と言われたので何往復かするが、さすがにあまりのごみの多さに恥ずかしくなり、小さめの袋は部屋に残した。

 

とりあえず叔母が帰ってきても、洗面所と廊下は通れるようになったので、ひとまずOK。

 

こうしてその日の午後、無事に叔母の一時帰宅を実施。

 

叔母を施設に戻した後、残った人達でもうひと片付けすることになった。手伝っていただき押し入れ上段の片づけをしたとっころ、新たにごみの袋がいっぱい出来てしまった。

 

来月も又、泊りかぁ?!

叔母の自宅滞在を昨日実行。2度目。

 

デパートでちらし寿司とマグロづくしの鮨の折を2箱ずつ購入し、テーブルの上を片付けて、お皿を引っ張り出して洗って用意。箸やスプーン等は引き出しにため込まれたお弁当を買った時についてくる物でまかなえる。

 

叔母が育て親となっていたグロリアの友達のJさんとMさんがきてくれることになっていたので、昼過ぎに叔母の施設の前で待ち合わせ。そのまま車椅子を押して叔母のマンションに行く。

 

滞在時間は今回も3時間。

 

叔母は施設でお昼を食べてきているのだが、その割によく食べてくれてうれしい。Mさんが苺、Jさんが抹茶のシフォンケーキを焼いてきてくれたので、お皿にもって渡すと、手づかみでペロリ。

 

あとで顔を出すねと言っていた叔母の親友がさらにお寿司を買ってきてくれ、マグロ以外のネタも楽しんだ。

 

そのあとも、施設に面会に来ようとしていた知り合いに、施設でなく自宅の方に来てもらった。彼女に叔母の好物のくずもちをもらって、叔母はご機嫌の様子。

 

LINEをアメリカのグロリアにつなぎ、日本の6人のにぎやかな食事会に参加してもらう。

ほら、ホタテ!

マグロ、中トロだよ!!

・・・とカメラの前で鮨をアップにして見せつけるもぐもぐ

 

グロリアはいわゆる膠原病で痛みに耐える日々。こちらのノーテンキな実況中継を見続けるのもしんどいだろうに、とても明るくふるまっている。

 

あっという間に3時間が経過。もう帰る時間だよと叔母を施設に送ってゆく。

 

施設の前で別れ際、Jさんと親友のOさんと私に、叔母が涙を見せた。こちらも切なくなり、かわるがわる車椅子の叔母をハグ。

 

施設の中に入る叔母といれ変わりに出てきた看護士が、叔母の血圧が上がっていて経過観察中だという。むせることがあるので気道を広げる薬を貼っているとか、食事はのど越しがいいように刻み食にしてとろみをつけているとか説明してくれるのも、なんだか不安になってしまう。

 

叔母の涙の件と合わせて気分がどんよりしてしまったが、ひるまず来月の企画を立てねば!

 

月次の外出でなくても、30分だけの面会でもちょくちょく行ってみた方がいいのかなあ。自分の予定もあるのでうまく調整をつけたい。

4月4日。ついに来てしまった消費期限。

 

冷凍庫に半年以上眠っていた冷凍焼きそばを電子レンジにかける。

 

主人の伯母がここしばらく送ってくれていたお中元とお歳暮の品だ。5分でできておいしい。次にもらうときまでの6か月間、計画的に調整して消費してきた。

 

今日のこれが伯母からの最後の贈り物だ。

 

昨夏、亡くなる前にお中元の手配をしてあったらしく、訃報のあとに届いた焼きそば。もうもらえないんだね、とケチケチ小出しにしていたが、ついに最後の一つ。食べるのは期限ぎりぎりまで我慢していた。

 

お中元やお歳暮を贈りあう相手も一人減った。古い風習だとめんどくさがる人もいるけれど、伯母は”Mちゃんセレクション”と言って毎回私の贈り物をたのしみにしているというので、選びがいがあった。もらうのもおくるのも楽しかったんだ。

 

「これからはお取り寄せにしようかね・・・。」

そういいながら、主人と最後の焼きそばを食べた。

 

春の彼岸には間に合わなかったが、実家の墓参りに行ってきた。

 

父が亡くなり、叔母が歩くのが大変だからもういかないと言い始めてから、春秋の彼岸とお盆の年3回だけの墓参りすらしなくなってしまった。うるさいことを言う親戚もいないので、足は遠のくばかり。

 

春に一度だけ、石屋さんに頼んでいるお墓の管理費・掃除代が手渡しなので、支払いついでに墓参りしているようなものだ。

 

毎年、石屋さんで花を買い、持参した線香に火をつけてもらう。実家に線香が売るほどあるのでちょこちょこ持参しているが、数えたところ、毎回二束ずつ使っても、年一の墓参りだと向こう30年分くらいはある計算だ。お線香は特に使用期限はないというので30年使うかあ・・・。

 

いや、ちょっと待って。

 

うちだってさ、いずれ墓じまいするんだよ。こんなにあってどうするんだ。実家の仏壇に行く度、お線香をあげるか?それでも、一回数本・・・。無理!

 

重ねた立派な木箱や黒塗の箱を見て、ため息をつく。

これ、どうしよう。

 

人からのお悔やみの気持ちで、ありがたいのだが、これだけあると持て余す。

 

私も時々気持ちばかりとお線香を送っていたが、あれは迷惑だったのかもしれないなあと思った。

 

念のため検索エンジンで線香の処分方法をみていたら、「寄付」というのが出てきた。お線香を売却後、なにがしかの金額を寄付にするらしい。こんな汎用性のないもの、誰が買うの?宗教関係者?

 

売却代金は全額寄付になるのかな?諸経費など差し引くんだよな。だとしたら、送料がこちらもちってどうなの?

 

寄付はしたいけど送料がかかるのはちょっと迷うポイント。大した金額ではないし、それも含めて寄付なんだろうけど・・・。

 

よくわからないので、結局寄付は見合わせ、石屋さんにひと箱持ち込んで、お線香を忘れてきた人にあげてほしいと頼んだ。石屋さんでもお線香を売っているので、その中に混ぜてもらってもいい。

 

無理に置いてきて悪いが、ひと箱分は、ちょうどほしかった人にわたるといいなあと思う。

 

残りの箱は寄付にする?まだ迷うなら、てっとりばやく燃えるゴミとするか。ゴミ焼却炉の中で「なーむ―」?!

 

考えてしまうと片づけは進まない。

 

・・・で、そのプラダのバッグを見つけてどうするの?

 

グロリアはせっかく買ったのだから、友達のJさんにあげて使ってほしいのだろうが、Jさんはグロリアに返したらどうかという。

 

今秋、グロリアが叔母ちゃんに会いに日本に来るかもしれないので、その時に渡したらいいんじゃないかと。「そうだね。ただ、それまでに見つかるか・・・」と弱気な私。たかだか60平米もないマンションで見つからないなんて、いったいどこにあるのか不思議だ。

 

お茶を飲み終え、あきらめモードでまとめに入る。使えそうなエコバッグなどもあるので、欲しいものをキープ。Jさんも一つ二つ使ってくれるという。

 

最後に部屋を掃除しようと、ハンガーラックの下に転がっている充電式の掃除機を見つけて引っ張り出した。まだ蓄電されているのですぐ使える。

 

掃除機のさらにその下に積まれた謎の箱、袋類を何の気なく「この辺もいづれ片付けないとね」とめくってみたら、ビニール袋に入ったプラダが出てきた。

 

汗と涙の結晶の発掘品、プラダは通常よく見る黒でなく黄色っぽい色。でも本物だ。

 

グロリアが来る時まで、プラダは別途保管しておこう。確認したらやはりコーチも彼女が送ったものだというし、これも一緒にわかるように紙袋に入れてタンスの上に置いた。

 

めでたく見つかったので、ミッションはコンプリート。不要なバッグの処分はまた今度にしよう。

 

先日、叔母の家のどこかに潜むブランドバッグを探すため、Jさんに手伝いに来ていただいた。

 

午後一時のスタート。

 

私が事前に積み上げたおいたバッグの山から一つ一つブランド物かどうかチェックし、捨てる、売るかも?、取っておく・・・の三つに分類することになった。

 

バッグの山は、標高は50センチだが、山脈としては2メートルつづく。この中で、ブランド品と言えそうなものはヴィトンとコーチだけ。「コーチ」と書いてあるバッグが3つあったが、一つのショルダーバッグは明らかに偽物(偽物というほど、似てさえもいない代物)なので捨てる方に。

 

分類しているうちに、わからなくなって、売るんだっけ?捨てるんだっけ???えーい、もう捨てちゃえ!・・・・となる

 

「きれいなものはリサイクル屋に持ち込むと100円くらいになるかなあ?、どうする?」

「リサイクル業者に持ち込むのも大量にあるし車でもないと運べないよ」

「来てもらうっていう手もあるよ」

「でも、買取できないって言われたら結局ゴミに出すんだよね」

 

手間を考えると、心は痛むが、なんだって捨てるのが早い。

 

捨てると決めたものも、今日はごみは出せないので、10個以上の袋と段ボールにつめ、物置部屋に運び込む。元・居室、現・物置部屋は実質「ゴミ置き場」である。

 

「叔母ちゃんに捨てていいか聞く?」と言ったところ、「おばちゃん、絶対捨てるっていわないよー」とのこと。Jさんの話だと、捨てると言って物置に入れたものも次に来た時にはもとにもどしてあるのだそうだ。

 

ただ、何があるかは覚えてないから、こっそり捨てるのがいいということになった。もうハンドバッグなんて使わないし、ショッピングバッグもショッピングに行かないのだからいらない。施設で屋外に出る時に持ってゆくようにリュックや軽い素材のショルダーがあればいいのだろう。そしてそれらはすでに施設に持ち込んでいるし、やはり捨てる!捨てる!!捨てる!!!

 

捨てるものが積みあがったところで、おやつタイム。

 

お茶を飲みながら「結局、プラダ、あった?」

「ないよねー」

それにしてもプラダはどこに行ったのだろう。せっかく来てもらったのに、当初の目的が果たされていないのは気持ちが悪い。不完全燃焼だ。

 

先日、叔母のバッグ類を片付けた・・・と完了形にしてよいものか。

 

バッグ類の片づけはもう何度目かになる。

 

最初はその辺に出ているエコバッグやリュックサック、椅子の背にかかったままのショルダーバッグなどを集め、次は押し入れの中に詰め込まれたバッグ類に手を付けた。

 

アメリカに住む、叔母が娘のように育てたグロリアは、ブランドのバッグを何度か送ってくれたのだが、使わないでどこかに眠っているはずだと言う。


「おばちゃんがプラダを欲しいっていうから。でも、高くて大きいのは買えなくて、小さなセカンドバッグを送ったの。」というグロリアの話しと、だいぶ前に「グロリアが誕生日にバッグを送ってよこしたけど、こんなの小さくって使えないよって言ってやった」と言う叔母の話しがぴったり符号した。人にもらっておいて、そんなこと言わなきゃいいのにと思ったが、叔母は昔からストレートな人。

 

このところ叔母の家の整理をしていると連絡したら、グロリアから自分があげたブランドバッグは捨てないで、日本に住んでいる彼女の友達にわたしてほしいと返事が来た。以前からを叔母をよく訪ねてくれるグロリアの友達Jさんとも、最近叔母つながりの知り合いになっていて、近いうちに一緒に叔母の家の片付けとグロリアがくれたバッグの捜索をしようということになっていた。

 

とはいえ、過度にJさんに頼っても悪かろうと、物置部屋の吊り下げ戸棚を開け先に片付けておこうと思った。ここにあると叔母が言っていたのだが、プラダっぽいっ物はない。高級バッグと書いた袋に入ったものもあるが、ブランド品ではなかった。物置部屋は足の踏み場もないのだがゴミの山を踏み越え踏みしめ踏み固め、棚の中の物を一旦出した。バッグはリビングに集め、叔母のパートナーの遺品は今回の片づけ対象外として元に戻した。

 

バッグの中にバッグや袋物が入っていたりするのでもう一度すべて点検しようと思ったが、リビングに並べてみて挫折。先だって押し入れから出したものもあるので、山のようになっている。もう、見たくもない。

 

最終バスで家に戻り、その夜はJさんに、助けてくれとメール。私だけじゃ探せない!

 

少し暖かくなったら叔母を一時帰宅させようと計画し、ついに今日実行した。

 

来てくれたのは叔母の親友Oさんとその近くに住んでいる介護職のN子さん。

 

午後一時、施設に叔母を迎えに行く。N子さんが手伝ってくれ・・・というかほとんどすべてやってくれて、問題なく連れ帰ってきた。傾斜した道での車いすの扱い方など学ぶべきところ。「さすがプロ」というと、「これができなければ私、クビになっちゃいます」と笑っていた。

 

お茶を入れようと茶筒を開けたが、出てきたのはアーモンド。

「Mちゃん、これもう湿気てる、すてよう。」

叔母ちゃんは苦笑いしている。

ニコニコこれで天下晴れて捨てられる・・・ゴミ袋へgo!)

話題はテーブルの上の未開封のあれこれへ。

「ガラムマサラ?これ、何つくるつもりだったの?」

「あれ、だよ、あれ・・・。ほら、カレー」

ニコニコうん、受け答えもスパイスの用途もあってる。)

「これは賞味期限まだ先だけど、使わないでしょ?」

「じゃ、頂戴!」

「小麦粉も封切ってあるのは捨てるよ。使ってないのは持って帰る。」

しぶしぶうなずく叔母。

 

Oさんが持ち帰り用のうな重を予約してあり、それをN子さんが自転車で取りに行ってくれたというので、みんなで分けて食べた。叔母は施設で昼食を済ませてきているが、鰻は別腹?

 

ここの物でないとおいしくないという叔母のために、わざわざ買ってきてくれたのだからありがたい。おいしさに嬉しさが加わって格別の味だったのではないかと思う。

 

洋菓子と和菓子を食べ、コーヒーを飲んで、持ち込みたいズボンを2本選んでいるうちに、3時間がたち、施設に戻る時間となる。

 

N子さんは途中で仕事が入って帰ってしまったので、私が帰りの車いすを押す。マンションの玄関の段差でまずガクン、ガタッ。玄関から廊下に出る時も少し段差がある。段差を降りる時は車いすは後ろ向きでね、と教えてもらったのだが、やっぱりスムーズにいかず、座り心地は悪かろう。道に降りたら割とスムーズ。いけるかも・・・。Oさんに先導してもらってゆっくり前進。

 

施設につくと、入り口までお迎えが来ていて、叔母も嫌がることもなく帰って行った。

 

家に帰りたいとか他の施設に変わりたいとか言い出すのではないかと心配していたが、そのようなこともなくほっとする。

 

「また来月ね」というと、ニコニコして手を振っていた。面会より、外出の方が長い時間会えるし、自由に飲食もできるので、来てくれたお友達にも好評だった。来月も自宅滞在を計画しなくちゃ、と思う。