終活アドバイザーMのお気楽終活雑記帳

終活アドバイザーMのお気楽終活雑記帳

自分のために断捨離&終活を始めました。
まずは、ぼちぼち実家の片づけから。

介護付き老人ホームに入居している叔母のリハビリの計画書策定や進捗状況は定期的に家族に連絡がある。その際希望を聞かれるが、叔母の好きなようにやらせてくれと言っている。

 

初めは部屋のトイレにいく時も勝手に歩かず介護士を呼ぶようにと言われていたが、杖をつきながら一人で行ってしまっていた。戻ってきた時にベッドに座りきれず尻もちをついているところを何度か発見され注意を受けるのだが、ちっとも言うことを聞かないらしい。私がダメだよ、と言っても「歩けるよぉ」と首を振る。

 

尻もちの度、施設から転倒したと電話をもらっていたが、最近は杖をついてならだいぶ歩けるようになっていたので部屋の中は歩いてよし…ということになっていた。

 

ところが、久しぶりに施設からの電話があり、どうやら部屋で転倒したらしく、顔中青あざになっているとのこと。頭を打った可能性もあるので病院に連れて行ったという。骨も脳も異常はなかったのでほっとしたが、顔面にあざって何したんだろう?

 

2週間後様子を見に行ったら、顔全体のあざはなくなっていたが両目の下、頬骨の上のあたりに🌙状に真っ黒に変色したあざが残っていた。

 

「痛かったでしょう?」

叔母はてれ笑い。

「転んだの?」

答えは曖昧。

「まだ痛い?」

「ううん」と首を振る。

 

顔から倒れ込んでどこかにぶつけたのだろうが、それ以上のことは結局わからなかった。

 

私が帰る前に、トイレに行くというので杖を渡したが、叔母は車椅子を指さす。車いすを近くに寄せるとおとなしく乗ったので、歩くのは懲りたのかなと思った。相当痛かったのだろうと想像する。

 

しばらくは歩き回らないと思うので転倒の危険は減ったが、歩く意欲がなくなるとどんどん足腰が衰えるのではないかと心配になる。会話中に言葉が前より出てこないのも気になる。

 

もう93歳。だいじょうぶかなあ・・・・。

昔勤めていた会社の上司が亡くなった。

昨年末の忘年会でお会いしたのが最後となった。

 

数年前から難病を患っているのは知っていたが、春に会おうという話も出ていたので少し良くなったのかと思っていた。こんなに早く逝ってしまうとは残念でしかたがない。


自分の死後、60歳を過ぎてから再婚した後妻と亡き前妻との子供の間で複雑な相続が発生することを見越して、特に発病後は終活の準備をしていたのだと思われる。葬儀や相当の高額となる相続、後妻が現在の家に居住し続ける権利、その他細かいことに至るまで、税理士なども選定して書面で指示してあったとのこと。

弔問に来るであろう部下たちから一切香典の類は受け付けないことも言い置いてあったそうだ。

 

先日、連日の弔問客の合間をぬって、少人数のグループで香典の代わりにお供えの品を持って行ったが、お酒や食事のおもてなしを受け、形見分けの品までいただいて帰った。奥様曰く「主人がきっとこうしろと言うと思う」とのこと。

 

終活アドバイザーとしては、遺言やそれに基づく相続の詳細は知りたくもあったが、興味本位でお尋ねするのも悪いので聞き流すだけにした。土地、家屋以外の調度品についても、信用できる金融機関の相続担当者に処分を相談することになっていると聞き安心した次第である。

 

上司は世事に疎そうな鷹揚な方だったが、静かに完璧な終活を行われていたのだ。鮮やかなまでの手際の良さがなんだか悲しい。残される大切な人への思いやりを痛いほど感じ、涙が出そうになるのをこらえ、素敵な笑顔の遺影に今ひとたび挨拶して帰途についた。

 

 

 

7月の土用の丑の日近辺のこと。

 

叔母に好物の鰻重を食べさせるため、2年近く帰っていなかったマンションに一時帰宅を計画し、叔母の知り合いにも声をかける。

 

マンションに向かう途中で予約した鰻重をピックアップ。

続いて施設に叔母を迎えに行く。

 

2時からなので、叔母を含め、お昼は各自食べているだろう。鰻重は一口ずつ食べる感じかな・・と思って2人前だけ注文しておいた。あとは叔母の好きな肉厚の鯖鮨1折を追加。叔母の友達が一人来られなくなって、叔母を入れても総勢4人。お菓子や果物もあるので足りるだろうと思ったのだが・・・・。

 

叔母が鰻を喜んで食べているのを見て、皆、自分の分も叔母にたべさせてやってくれと言う。その結果、鰻重の鰻部分は8割強叔母のもとへ。残った2割弱を3人でわける。鰻重を食べよう思っていたのに、鰻が少しのったタレ味のご飯を食べるはめになった。そのあともあれこれ食べて5時前に施設に叔母を送り届け、「おばちゃんさ、食欲は衰えていないね、よかったね」と解散した。

 

私は残ってしまったご飯を持ち帰って夕食に。次回は今回の失策を反省し、鰻重のほかに鰻だけというのも追加で買っていこうと思った。

 

実家の処分に困り、亡き親の遺品の片付けと自分の終活を兼ねて始めた実家のカフェも、なんと3年目に突入した。

 

実家の改装等は建築資材の値上げでかなりの出費だったので、将来も回収は無理。日々の経営では、顧客数が少なく価格設定も低めなので、たいした売り上げは見込めない。また小規模の自営業者にとってはレジだの音楽配信だの経費がばかにならず、単月でも黒字になったことはなかった。

 

ところが先月、5月に開店以来初めて数百円の黒字になった。冷暖房が必要でない日が多く電気代の節約ができたからだと思う。それに、作りそこなったランチを自分で食べて自分で支払ったことがあったので、それも利益に貢献。意外と悲しい😢理由だ。細かい出費もつけ漏れているかもしれないが、洗い出すと赤字になりそうなので、ほじくるのはやめた。

 

過去にも黒字になるかと思った月もあったのだが、税金の支払いがあったり、空調が故障したり、会計ソフトの更新月だったり予想以上に冷暖房代がかさんだり・・・。毎月よくまあ色々出費があるもんだ。ああ、今後も赤字のオンパレードなのか。個人事業は甘くない。

 

でもね・・・。今回の黒字は偶然且つ一過性のものなので喜んでいる場合ではないけれど、とりあえずカフェ営業の日は楽しいから良しとしておこう。

叔母は若い頃から好き放題で、無遠慮に言いたいことをポンポンいうし、売り言葉に買い言葉でけんかっ早い。昭和30年代から煙草スパスパ吸いながら白い車を運転していた。横浜という土地柄もあって米国海軍兵と結婚、早くに未亡人となってからは男関係は派手。横浜弁の「○○じゃん」の語尾も別れ際に「あば」とい言うのも、いかにもハスッパで、普通の家から嫁いできた母は何かにつけてビックリ仰天、うまく折り合いをつけるのに気を使ったようだ。

 

そんな叔母も80代後半からはすっかり気弱になり、老後のことは姪の私を頼りにするようになった。唯一活動可能な近親者なので、病院の入院や施設の入居の契約関係はまだ存命だが疎遠となっている叔父に承諾を取り、すべて私が行った。施設に面会に行くと喜ぶので、月一のペースで会いにいくようにも心がけている。

 

先日は、実家の隣のお兄さん(子供の時の私にとって隣のお兄さんだったが今はもう70歳)と一緒に面会に行った。以前も行ったことがあるのだが、面白いことがあるわけでもなく、言葉もよく出ない叔母に会いに行きたいと言ってくれるのがうれしい。

 

親戚ではないが親切にしてくれる一家もあり、遠くから時々訪ねてくれる。他人との面会は施設から私に問い合わせが入るので、いつ来てくれたか分かる。母の日にお花を送ってくれたりもする。

 

施設の介護士さんやリハビリの責任者、入院していた時は看護師さんたちからも「明るくて人気者です」「大好きです」などと言われた。もちろんお世辞だろうが、何故好かれるのかと考えると思い当たるのは祖母譲りのソトヅラの良さである。(そういえば父もそうだったなあと思う。)

 

病院では看護師を呼びつけて怒鳴り散らしたりしているおじいさんを複数見かけたし、周りでは温厚だった人が認知症ですぐ怒るようになったという話も聞く。叔母はこのままずっと、他人には愛想よくニコニコ、感謝の言葉を忘れないでいてほしい。それが人にも好かれ、ぞんざいに扱われない秘訣だと思っている。

 

相変わらず、わからんちんで勝手気ままで「そんなこと言わなくてもいいのに!」という余計なこともいうけれど、やっぱり叔母は好き。

 

私もボケてもこうありたいものだ。

 

叔母のマンションの郵便物。

月一回くらいしか行かないと郵便受けはパンパンになっている。

 

ポストにはチラシがたくさん詰め込まれ、大切な郵送物が入らなくなったらどうするんだと、文句も言いたくなる。通販の冊子などは一部発送をとめてもらっているが、調べて電話するのも面倒だ。雑多な営業のチラシは紙ごみの箱に直行する運命で、お互い無駄だからポストインしないでほしい。「チラシは入れないでください」と貼り紙をしたら効果あるのかな?

 

山の様な紙の中から郵送物、あて名付きの配達物を探して内容を確認すると、時々、諸設備の点検で☓月☓日に○○があるから在宅していてほしいという紙が入っている。

 

仕方ないなあ。いける時は立ち会う。

 

防災設備の点検時は注意を受けるのではないかと不安キョロキョロ。

 

室内はある程度片付けたが、ベランダまで注意していなかったので、窓を開けてみると、そこは無法地帯!

 

叔母が元気な頃、誰かが小型の本棚が壊れていたのを新しく買って組み立ててくれたのだが、古い本棚の方は捨てずに、解体してベランダに放置されていた。

 

棚の状態で運び出すなら大ゴミの日に一度で出せるが、解体された一枚一枚の木板が重くて、板の状態で運ぶのはかえって不便だ。

 

私も年を取ってから重たいものを運ぶ自信がない。まずベランダから板を引きずり上げる段階でGIVE UP。重いし、とっかかりがない。

 

よく見るとそれ以外にも植木鉢やベランダ用のスリッパ、物干し用の備品等散乱し、絶対に避難経路の邪魔になっている。

 

「うちには避難ハッチがないからいいのよぉ」と叔母は言っていたが、ハッチの有無にかかわらずベランダを通り抜けられるようにしておかないとまずい・・・。叔母は関心もないだろうから、黙って片づけるしかない。

 

この春の仕事はこれか。

誰かが一旦ベランダに出した木の板たちを、再び部屋の中に戻して保管することになりそう。しばらく雨風に打たれていたので、汚れていると思うと気が重い。

 

誰か手伝ってくれないかなあ…と思って主人の方をみるが、この人もあちこち痛いところばかりで頼りにならない泣

 

梅雨が来ないうちにやらないと。目下思考停止に陥っている。

 

外出している時のラジオの番組を家人に録音してほしいと頼んだ。ラジオが聞けるアプリが前回なぜかうまく聞けなかったので、懐かしい「ラジカセ」に頼ることにした。そうなると録音にはカセットテープが必要だ。

 

今時カセットテープなんてない。録音済のヤツを消すか。どうせいずれ聞けなくなるのだろうし・・・。

 

いや待て、実家で見たぞ。安い4巻パック!

 

早速取りに行く。

レトロブームということで、新品のカセットテープには買い手がつくらしいが、それは音楽録音用の高級品の話。普通の会話やラジオ番組の録音用の廉価版は値段はつかないという。

 

どうせ売れないからと放置していたが、役に立つ日がやってきた。しかもほしかった4時間分ピッタリ!はっはっは!!

 

私も昭和の人間、なんでも取っておくもんだ・・・と思う。

 

終活アドバイザーなんて言ってはいるが、自分自身は「断捨離はほどほどに派」である。

何かが入っていたプラとかガラスビン、缶などの容器は中身を使い終えてから適切に分別して捨てるようにと指示されている。当たり前の事だが、ちょっと待って。使いきれないからこそ中身ごと捨てたいんだよ・・・・。

 

数あまたあるそんなものの一つが使い捨てライター。父が大昔煙草を吸っていたので、実家には100円ライターがいくつか残っている。

 

100円ライターは実家の2階の洗面所の近くにおいてある。実家は今は通いで民家カフェにしているが、カフェが休みの日は閉め切っているので、熱がこもって相当暑くなっている。自然発火はないというマッチと違い、これは危ないんじゃないかという気がして調べてみると50度くらいになるなら危険というような記載がある。

 

昨今の日本の暑さを思えば、閉め切った室内で50度はあり得ない話ではない。保管方法を考えた方が良いという結論に達し、第一段階としては、目が届く自宅に持ち帰ることにした。

 

少しづつ使って捨てていこうと思ったものの、タバコを吸わないし、ライターを使うシーンはない。

 

カチッと火をつけてずっとレバーを押したまま持っている???

レバーをガムテープで固定すれば手が離せる?いや、そんな器用な事をできる気がしないし絶対危ないぞ。

 

根気強く火を保ち続けても、目に見えて液体ガスが減る様子もない。どうやって使い切るんだ?それに液体ガスだって資源のうちだ。無駄にするのもどうかとも思う。

 

夫婦で相談した結果、使う人にもらってもらおうということになった。

 

タバコを吸う人は全くいないのだが、時々お参りに行くお寺にお焚き上げ用のライターが置いてあるのを思い出したのだ。シーズンが来たら、顔見知りの係の人に使ってくれないか聞いてみよう。

 

実家で見つけた小箱の中身は電車の古い切符。

 

私の子供の頃は、駅員さんが改札鋏でパチンパチンと切符に切り込みを入れてくれていた。駅によって形が違うので、どこの駅で入ったかわかるのだという。

 

私は別に鉄道好きというわけでもなく、何故切符など集めたのか覚えていない。たぶん父がまた、何の根拠もないのに、将来価値が出るから取っておけと言ったに違いない。

 

それにしても何故乗車済みの切符が回収されずに手元にあるのだろう。キセルしたのか、駅員さんにくれと言ったのか?当時は改札機もなかったので自動回収もされなかったのだろう。

 

未だ会社勤めをしていたの頃、同僚のおじさんが鉄道オタクだと聞いたので、実家の掃除で出てきた古い切符を処分しようと思っていると話したら、「硬券でしょ?!捨てるならもらいます」という。古いし、価値なんかないから転売もできないよ、と言ったのだが好きな人は好きらしい。要らなかったら捨ててくれと言ってあげてきた。

 

退職後は時間もできて片付けを再開したら、少しだが、まだ硬券も残っていた。

 

 

「愛国から幸福へ」というパウチ加工になっている切符が出てきた。このロマンチックな切符は当時話題にもなっていて、欲しいなと思っていたら、北海道に旅行した親戚がお土産にくれた。なんかとっても嬉しかった記憶があるぞ。これはすてない。

 

もう一つ「学」という四国の駅の入場券。ここのは切符ではなく入場券を買うのがお決まり。「入学」となり受験生に縁起がいいということらしい。5のつく日だと「ご入学」となると駅員さんに聞いたが私が行ったのは4日だった。受験はまだ数年先だったが、せっかく寄ったので数枚買った覚えがある。

 

 

その他、本四架橋がかかって廃止となった国鉄時代の宇高連絡船の乗船券、都営地下鉄の開通時の切符、自動改札になって裏が磁気加工となった切符等、見ていると思い出すことも多い。

 

結局、全部は捨てられず、数枚保管することにした。

小さなものなので、捨てたところでそんなにスペースが空くわけでもないし・・・と言い訳しながら。

 

マイナンバーカードの電子証明書の更新案内がきたので、役所で手続きした。

 

本人確認のためパスワードを入れるのだが、これがメモしていたのと違って不一致ではねられる。どこで間違えたのだろう。

 

ともあれ再度登録のため、パスワード変更を行った。改めてメモの通り登録したので今度は大丈夫だろうと思う。次はまた5年後。今度は写真からとりなおすんだっけな。そのころは何歳になってるんだ?写真・・・いやだなあ。

 

手続きがすむと、係の人が新しいカバーをくれた。マイナンバーカードを入れてみるとマイナンバーの書かれた個所が隠れない。

 

★上が新、下が旧

 

変更する必要があったのだろうか?

 

主人はカバーごとマイナンバーカードを提出して手続きし、カバーを回収されてしまったらしい。私はマイナンバーカードをカバーから出して手続きしたので古いカバーは手元に残っている。

 

マイナンバーを人に知られてはいけないとか、何かでコピーを提出する際もマイナンバーの部分は黒塗りするとか、タブーのように扱ってきたのにどうしてこんなにオープンになっちゃったのだろう。保険証とも紐づけして持ち歩く機会も増えたのに。

 

なんか抵抗があるので、私は古いカバーに入れて使っている。