「これでもか!」に「負けるもんか!!」 -8ページ目

「これでもか!」に「負けるもんか!!」

これでもか!これでもか!と私の身の回りに起こる出来事。大変なことや辛いことばっかりだけど、おかげで色々な経験をしました。せっかくなので記録に残しておきます。

先日 スーパーで久しぶりに会った友人が 旦那さんが認知症になって 毎晩 同じ話を何度もするので参ってるという話を堰を切ったように話し始めた。

 

 

 

少し離れたイートインコーナーに件の旦那さんがニコニコして座っていた。

 

 

 

いっぱい話しを聞いてあげたかったけど 買い物中だったので少ししか話を聞いてあげられないのが心残りだったけど仕方ない。

 

 

 

それにしても旦那さんが認知症になる年頃なのね 私たち。

 

 

 

ウチの親たちは4人とも認知症にはならなかったなぁと親たちの最期を思い出したりした。

 

 

 

義母は認知症になる間もなくアッという間に逝ってしまった。

 

 

 

実父は最期の最期に私のことがわからなくなって 自分に娘がいることも忘れてしまったのに 担当の看護師さんの名前は憶えてたし 母の名前もちゃんと言えた。

 

 

 

私のことだけ忘れたの!?え~~~~!?とちょっとむかついたので 次回 私のことがわからなかったら 「私は吉永さゆりです!」と言ってみようと思ってたのに それを試す前に逝ってしまった。

 

 

 

実母は とにかく最期まで意識がはっきりしていて 肺の病気だったため呼吸が出来なくて ずっと苦しがっていて見ているこっちも辛かった。

 

 

 

本当に最期までしっかりしていて 亡くなる日の夕方私に「早く帰りなさい。○○(息子)が待ってるんだから。」と言って私を驚かせた。

 

 

 

だって 母がそんなことを言うなんて初めてのことだったから。

 

 

 

いつもは「もう帰っちゃうの? まだいいじゃない? 明日も明後日も来てね。」と言って私を困らせた。

 

 

 

それが「早く帰りなさい。○○がまってるんだから。」と夕方に私に言い、その日の夜9時に一人で逝ってしまった。

 

 

 

私に最期を見せたくなかったのかなぁ。

 

 

 

まだ逝くまで時間がかかるから待たせちゃ悪いと思ったのかなぁ・・・なんて書いてて 今 ちょっと泣きそうになってしまった。

 

 

 

 

 

義父はいよいよ歩けなくなって 入院したけどコロナ禍で数回のオンライン面会しか出来ず 看護師さんに寂しい寂しいと訴えていたらしい。

 

 

 

 

義父の残り時間があまりなくなった頃 看護師さんがどうして今の内にご家族に会わせてあげたいと義父をベッドごと面会室に連れて来てくれて会わせてもらった。

 

 

 

その頃には もうしゃべれなくなってい

て こちらの言うこともどのくらい伝わっているのかわからなかったけれど 夫も私も一方的に話しかけていた。

 

 

 

そして 10分だけの面会時間が終わる頃 私が「エレベーターが壊れて息子が外に出れなくなっちゃってるのよ。」と言った時 義父の唇が動いてかすかに声が出た。

 

 

 

看護師さんと私は顔を見合わせて

「今『可哀そうに』って言ったよね?」と確認し合い その瞬間 私の涙腺が崩壊してしまった。

 

 

 

そう 義父はいつも自分のことは後回しでいいからと 息子のことを優先させてくれていた。

 

 

 

そして 私がどんな日常を送っているか誰よりも側で見ていてわかってくれていて 

「俺はミケ子が可哀そうでしょうがない。」とも言ってくれた人だった。

 

 

 

義母が亡くなった後 20年近く どんどん年を取っていく義父との生活は大変だったけれど 義父はいつも私の味方でいてくれた。

 

 

 

私は病院の廊下で我慢しようとしても涙を止められなくてベソベソ泣きながら駐車場まで歩いて車の中で大泣きした。

 

 

 

義父の最期は夫が看取った。

 

 

 

とまぁ、友人の旦那様の認知症からこんなことを思い出したんだけど 親は認知症にはならなかったけど 夫はどうだろうか・・・私はどうだろうか・・・。

 

 

 

こうなったらボケたもん勝ちだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いろいろな話 まずはじめは 私の体力の衰えが酷い。

 

 

 

齢65 もうすぐ66 いや~疲れが取れないわ~。

 

 

 

今までなら午前中にハードな業務をこなしても 昼休憩に15分くらいク~っと寝ちゃうと復活できたんだけど この頃は起きない!

 

 

 

起きれないと言った方がいいでしょうかね。

 

 

 

なので ブログの更新もままならない。

 

 

 

そして この疲れが夜も取れなくて息子の寝る支度(夜の業務パート1)をしている時に前後不覚になってしまうことが多くなってきた。

 

 

 

困る! 非常に困るので栄養ドリンクを飲んだりするのだけれど それも早めに飲んでしまうと息子を寝かす時間(夜の業務パート2)に響いてしまうので ドリンクを飲む時間を考えなきゃいけなくなってきた。

 

 

 

ただ今 午前10時半 今日はこのところの疲れを取るため午前の仕事をセーブして10時過ぎにコタツに入ってブログを開いたのに早速 睡魔に襲われ居眠りしてしまった。

 

 

 

とまぁこんな調子で困っておりますわ。

 

 

 

母たちは60代が一番元気そうだったけどなぁ・・・と思ったけど 母をはじめ母の周りにはこんな生活をしている同年代の人はいなかったもんんね。

 

 

 

あ、唯一 私の祖父母を2人同時に介護していた叔母は50代で乳がんになり 60代で脳梗塞になり 70代で亡くなったなぁ。

 

 

 

そういうことなんだろうね。

 

 

 

さて 昼の部の仕事を始めますか。

 

 

 

 

 

 

コロナに罹ってしまった夫は、コロナ以前から手洗いや消毒にはうるさかったのですが

コロナ禍になってそれが加速。

 

 

もう ありとあらゆる除菌グッズを買い込み 手洗いはもちろん 外に来ていった服は除菌の後 日光消毒する念の入れよう。

 

 

買い物してきた物はペットボトルや洗える物はすべて洗い 洗えない物はアルコールや次亜塩素酸などでビショビショになるまでスプレーしてからじゃないと仕舞わせてもらえず 最初はうんざりしていた私ですが 今ではそれをしないと落ち着かなくなってしまいました。

 

 

 

なのに そこまでしていた夫がコロナ!?

 

 

 

じゃ、今までの努力は何だったの?!

除菌のために今までどのくらいお金を使ってきたのさ!

しかもコロナの検査や診療や薬も有料になった今、罹る?!

 

 

 

とまあ 夫のコロナが発覚した当初は何だかモヤモヤした気持ちでしたが(腹立たしいかな?) 今はコロナの情報もたくさんあって 周りにもコロナの先輩がいて アドバイスももらえたりしてるので 今で良かった これまでの努力は無駄じゃなかったんだな と思い直しております。

 

 

 

今のコロナは死に至る病ではないとわかってたので 本人もそこまで慌ててはいなかったですが でも コロナの症状は風邪やインフルなどとは比べ物にならないくらい辛かったようです。

 

 

 

何しろ 夫がご飯を食べられなかったのですから!

 

 

 

結婚して38年 あの人が具合が悪くてご飯を食べれないなんてこと無かったのですよ。

 

 

 

風邪ひくと腹が減る!と言っていつも以上に食べて 風邪が治ると体重が増えてる!という特異体質の人だったのですからね。

 

 

 

夫がご飯を食べないと聞いた息子が

「お父さん、死ぬんちゃうか!?(似非関西弁)」と叫んだほどです。

 

 

 

まぁ 夫の食欲が無かったのは3日ほどでしたけどね。

 

 

 

味覚障害が無かったのは不幸中の幸いでした。

 

 

 

 

 

夫は今日から仕事に行きました。

 

 

 

コロナだけでなく心臓の方もまだまだ本調子ではなさそうなので 職場で雪かきなどしないように!と言ったら

 

 

 

「雪かきなんかしたら 死ぬ!」と本人も言ってたから大丈夫だと思います。

 

 

 

ただ つーことは家の雪かきもさせられない ということで 今回 私一人でこの間口だけ無駄に広い家の前を雪かきしなきゃならないわけです。

 

 

 

何でこんな時に大雪なのぉぉぉ!

 

 

 

しょーがないので雪かき一人で頑張ります。

 

 

 

とにかく夫がコロナ(咳が残ってます)も心臓も順調に回復して早く元の生活に戻れるといいな と思ってます。