先日 スーパーで久しぶりに会った友人が 旦那さんが認知症になって 毎晩 同じ話を何度もするので参ってるという話を堰を切ったように話し始めた。
少し離れたイートインコーナーに件の旦那さんがニコニコして座っていた。
いっぱい話しを聞いてあげたかったけど 買い物中だったので少ししか話を聞いてあげられないのが心残りだったけど仕方ない。
それにしても旦那さんが認知症になる年頃なのね 私たち。
ウチの親たちは4人とも認知症にはならなかったなぁと親たちの最期を思い出したりした。
義母は認知症になる間もなくアッという間に逝ってしまった。
実父は最期の最期に私のことがわからなくなって 自分に娘がいることも忘れてしまったのに 担当の看護師さんの名前は憶えてたし 母の名前もちゃんと言えた。
私のことだけ忘れたの!?え~~~~!?とちょっとむかついたので 次回 私のことがわからなかったら 「私は吉永さゆりです!」と言ってみようと思ってたのに それを試す前に逝ってしまった。
実母は とにかく最期まで意識がはっきりしていて 肺の病気だったため呼吸が出来なくて ずっと苦しがっていて見ているこっちも辛かった。
本当に最期までしっかりしていて 亡くなる日の夕方私に「早く帰りなさい。○○(息子)が待ってるんだから。」と言って私を驚かせた。
だって 母がそんなことを言うなんて初めてのことだったから。
いつもは「もう帰っちゃうの? まだいいじゃない? 明日も明後日も来てね。」と言って私を困らせた。
それが「早く帰りなさい。○○がまってるんだから。」と夕方に私に言い、その日の夜9時に一人で逝ってしまった。
私に最期を見せたくなかったのかなぁ。
まだ逝くまで時間がかかるから待たせちゃ悪いと思ったのかなぁ・・・なんて書いてて 今 ちょっと泣きそうになってしまった。
義父はいよいよ歩けなくなって 入院したけどコロナ禍で数回のオンライン面会しか出来ず 看護師さんに寂しい寂しいと訴えていたらしい。
義父の残り時間があまりなくなった頃 看護師さんがどうして今の内にご家族に会わせてあげたいと義父をベッドごと面会室に連れて来てくれて会わせてもらった。
その頃には もうしゃべれなくなってい
て こちらの言うこともどのくらい伝わっているのかわからなかったけれど 夫も私も一方的に話しかけていた。
そして 10分だけの面会時間が終わる頃 私が「エレベーターが壊れて息子が外に出れなくなっちゃってるのよ。」と言った時 義父の唇が動いてかすかに声が出た。
看護師さんと私は顔を見合わせて
「今『可哀そうに』って言ったよね?」と確認し合い その瞬間 私の涙腺が崩壊してしまった。
そう 義父はいつも自分のことは後回しでいいからと 息子のことを優先させてくれていた。
そして 私がどんな日常を送っているか誰よりも側で見ていてわかってくれていて
「俺はミケ子が可哀そうでしょうがない。」とも言ってくれた人だった。
義母が亡くなった後 20年近く どんどん年を取っていく義父との生活は大変だったけれど 義父はいつも私の味方でいてくれた。
私は病院の廊下で我慢しようとしても涙を止められなくてベソベソ泣きながら駐車場まで歩いて車の中で大泣きした。
義父の最期は夫が看取った。
とまぁ、友人の旦那様の認知症からこんなことを思い出したんだけど 親は認知症にはならなかったけど 夫はどうだろうか・・・私はどうだろうか・・・。
こうなったらボケたもん勝ちだな。