長久手合戦で討たれた池田恒興

天正十二年(1584)年の小牧長久手合戦は羽柴秀吉(豊臣秀吉)と徳川家康の最初で最後の直接対決といわれています。

 

両軍とも膠着状態が続きましたが、羽柴軍の池田恒興が家康の岡崎城を攻撃して後方撹乱する作戦を主張。岡崎城に向いましたが、途中の岩崎城(日進市)を攻め落としている間に家康に追いつかれ、そのまま長久手合戦に繋がります。

 

さて、長久手で討たれた池田恒興ですが、もしそのまま岡崎城へ向かっていたら、通っていたであろう街道が今でも残されています。

 

 

 

池田恒興の三河中入りで通る街道についての説明板

諸説あるものの、日進市・岩崎城歴史記念館に三河中入りに関する展示があり、それを見ると祐福寺(ゆうふくじ:東郷町)経由で岡崎城へ向かう街道が示されています。実はこれ、岡崎街道という戦国時代にはあった街道なのです。

 

 

 

 

  未だに残っている岡崎街道

その岡崎街道は今でも残っています。場所は名鉄・豊田線日進駅の北800mほどの県道。ここが岡崎街道です。

 

 

 

埼玉大学教育学部 谷謙二氏が作成した「今昔(こんじゃく)マップ on the web」で確認してみます。これは古地図(明治時代)と現在の住宅地図を並べて比較できるサイトです。明治以前からあった道、または明治以降の道を調べる時に使います。

 

これを見ると岩崎丹羽氏の吹上城(折戸城)近くを街道が通っていることもわかります。ちなみにそのまま南下していくと東郷町で祐福寺の近くも通ります。

 

>>今昔マップ on the web

 

 

 

 

  私の感想

私の感想ですが城は必ず何かの街道の近くにあります。街道を押さえる場所というか、交通の要所に城が築かれていたのです。今回は日進市・吹上城(折戸城)を調査していてこの街道に気づき、さらに街道を調べると小牧長久手合戦の時、池田恒興が通っていたであろう街道という事がわかりました。

 

城と街道は密接につながるので、街道の知識があると城巡り楽しくなります。

 

 

 

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