よーやく長い長い連休も終わりましたが
緊急事態宣言、延長になってしまいましたね
やはり、思ったほど感染者数が減少して無いようです
欧米型の強制力のある都市封鎖では無く、
外出自粛を軸としたより緩やかな「日本モデル」が1ヶ月での所期の目的を達成できなかったという現実
ただ、感染者数は減少傾向にあって、
徹底した行動変容を堅持する事によって出口が見えて来るそうな
この延長された1ヶ月で収束に失敗すれば、日本独自のモデルは失敗という事になってしまい
法的に強制力を伴う強権の世の中になるかもね
でも、ニューヨークやイタリアの様な惨状迄にはならなかった
という事で、ここで緩んでしまってはこれまでの苦労も水の泡
よく耳にする様になった「出口戦略」って言葉が緩みに拍車をかけなければいいけど…
5月は収束への正念場の4週間!
自粛疲れが出て来る頃ですが気を引き締めて
早く終息を迎え、元の生活を取り戻そう!
不安や恐怖から医療、物流など最前線で危険を伴って働く人々に対しての差別が生まれる
口先ではいけない事と言ってても、
いざとなるとやっぱり怖いから避けるという方も居られると思います
心理的、社会的な感染症も含めて、1ヶ月後を収束という形で迎えたいものですね
・洞爺丸型貨客船
洞爺丸(3898総t)就航1947年 三菱重工神戸製
羊蹄丸(3896総t)就航1948年 三菱重工神戸製
摩周丸(3782総t)就航1948年 浦賀船渠製
大雪丸(3885総t)就航1948年 三菱重工神戸製
洞爺丸は戦後初の貨客青函連絡船で、敗戦後の占領下で1946年7月、GHQより青函連絡船の新規建造が許可され、資材不足他困難な状況下にも拘らず1年で竣工
沈没
・第十一青函丸(客室空、貨車搭載)死者行方不明90名 沈没20時15分
・北見丸(貨車搭載)死者行方不明70名 生存者6名 沈没22時20分
・洞爺丸(客船・乗客及び貨車搭載[在日米兵含む])
死者行方不明1,155名 生存者159名 沈没22時46分
・日高丸(貨車搭載)死者行方不明56名 生存者20名 沈没23時40分
・十勝丸(貨車搭載)死者行方不明59名 生存者17名 沈没23時43分
破損
・第六青函丸(空)左舷中央中破(大雪丸激突)
・第八青函丸(空)海中にて両舷錨絡束
・第十二青函丸(客室あり空)海中にて両舷錨絡束、機関浸水
・石狩丸(客室あり空) 救命艇破損
・大雪丸(客船空)船首小破(第六青函丸に激突)機関、舵機浸水
函館湾外
・羊蹄丸(客船)乗客及び貨車搭載のまま青森桟橋に待機
・渡島丸 貨車搭載のまま青森桟橋に待機
・摩周丸(客船)神奈川県浦賀にて定期点検中
・第七青函丸 函館どっぐにて定期点検中
津軽丸型車載客船は、1950年代に国鉄連絡船で発生した重大事故を教訓に設計・製造された鉄道車両と旅客の双方を輸送できる車載客船で
第1船:津軽丸(2代)(8278総t)浦賀重工場(株)製
第2船:八甲田丸(8313総t)三菱重工神戸(株)製
第3船:松前丸(2代)(8313総t)函館ドック(株)製
第4船:大雪丸(2代)(8298総t)三菱重工横浜(株)製
第5船:摩周丸(2代)(8327総t)三菱重工神戸(株)製
第6船:羊蹄丸(2代)(8311総t)日立造船(株)桜島製
第7船:十和田丸(2代)(8325総t)浦賀重工業(株)製
以上の7隻が建造されました
今回新居浜へやって来た羊蹄丸(2代)は7隻の津軽丸型車載客船中の第6船で、大阪にあった日立造船桜島造船所で建造されました
1965(昭和40)年に竣工・就航し、1988(昭和63)年青函トンネルの開通で青函航路が終航するまでの23年間定期運航されました
終航直後には、青函博(青函トンネル開通記念博覧会)で十和田丸(2代)とともに9月18日まで暫定復活運航され、青函航路の終焉も見届けました
定期運行中の羊蹄丸(2代)と十和田丸(2代) 函館桟橋 1986年撮影
羊蹄丸(2代)は1988(昭和63)年、暫定復活運航中に日本海事科学振興財団(船の科学館)が購入し
暫定運行終了後にディーゼル機関車DE10-30と客車スハフ44-25を積載して引き渡され、
1994(平成6)年開催予定だった世界都市博覧会(東京都主催)の展示公開準備の為に三井造船千葉事業所へ回航されました
1991(平成3)年、ジェノバ国際博覧会出展の為に改装工事に着手し翌年2月竣工
1992(平成4)年5月15日-8月15日の間、イタリアで開催されたジェノバ国際博覧会の日本政府パビリオンとなります
台船に乗せられてイタリアへ曳航される羊蹄丸(2代)
莫大な金額が投資されてるような・・・
1995(平成7)年5月に世界都市博覧会(平成8年開催予定)が青島新東京都知事の公約により中止となり、羊蹄丸の公開も白紙撤回されます
7月に船の科学館展示の為、三井造船由良事業所で改装工事施行し、10月に船の科学館前面水域に係留
1996(平成8)年3月22日より船の科学館別館として一般公開されます
船の科学館で繋留されていた羊蹄丸(2代)と南極観測船宗谷
船の科学館が2011(平成23)年9月30日限りで閉鎖する事を7月に発表し、無償譲渡の申し込み受け付けを8月31日で終了
11月8日に愛媛県新居浜市「えひめ東予シップリサイクル研究会」への無償譲渡が決定し、2012年に新居浜東港で一般公開後、解体され資源リサイクルの為の研究に供される事になります
羊蹄丸(2代)が2013年に解体されて、津軽丸型車載客船の同型船は青森駅傍に係留されている八甲田丸と函館港に残る摩周丸(2代)の2隻になりました
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さてさて
Part1では2012年3月29日に黒島埠頭に接岸され、
まだ公開準備の作業が行われる前の姿を撮影しましたが
一般公開が始まって折返しを過ぎた5月20日に再訪
入口と出口が別々に設定されてました
順路を追って廻るようになってる
出口に使用されていたスペースは就航当時には無く、後から開けられたようです
イルカのシンボルマークの右が入口
入場料は大人当日券500円、ファミリーマートでも400円で購入出来たそうな
この階は普通席のある船楼甲板で
就航時にはグリーン席のある一つ上の階の遊歩甲板にもブリッジがかけられていました
函館桟橋のブリッジ
グリーン席のあった遊歩甲板プロムナード
船内はパビリオンになった時の改装の為か連絡船の面影を全く留めていませんでしたが
遊歩甲板のデッキは就航時の雰囲気を蘇えらせてくれました
操舵室
車輛甲板には青函ワールドが・・・
精巧に作られた人形が語りかけてきますw
緻密な時代考証を重ねて1955(昭和30)年12月15日の青森駅界隈を再現してます
青森駅前、青森駅待合室、青函連絡船の3つのエリアに分かれていました
音や声も聞こえて来て臨場感がハンパなく溢れてました!
貨車の航走作業をするディーゼル機関車DE10-30
青函ワールドは一般公開終了後に青森駅の青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸に移設されました
船内は徹底的に改装されており、エスカレーターやシアターまであり
青函連絡船としての面影は外観と操舵室、航海甲板くらいにしか残っておらず、少し残念でした
船体下部にある機関室など公開されて無い区域はそのまま面影が残っていたそうで、船底ツアーなるものも行われていたそうな
そーと知って居れば是非とも参加したかったのにな~
起工 | 1964年7月8日 |
進水 | 1965年2月20日 |
総トン数 | 8,311.48t |
全長 | 132.00m |
型幅 | 17.90m |
深さ | 17.90m |
最大速力 | 21.16ノット(約時速39km) |
航海速力 | 18.20ノット(約時速34km) |
乗客数 | 1200名(新造時) 1330名(一時) 1286名(終航時) |
積載貨車数 | ワム型貨車48両 |
建造費(当時) | 18億2500万円 |
建造 | 日立造船大阪桜島工場 |
総運行距離 | 4,035,060km |
延べ旅客数 | 11,783,164人 |
就航 | 1965年8月5日 |
終航 | 1988年3月13日 |
国鉄時代の青函航路は青函船舶鉄道管理局
民営化後は北海道旅客鉄道函館支社が相当部署になります
あっ!
「海峡の女王シリーズ」
十勝丸(2代)のカード(記念切符)見覚えある
十勝丸は国鉄青函航路の渡島丸(おしままる)型車両渡船で航路の近代化と貨車航送能力増強を目的に建造された6隻の第3船
第1船:渡島丸(2代)
第2船:日高丸(2代)
第3船:十勝丸(2代)
第4船:空知丸(2代)
第5船:桧山丸(2代)
第6船:石狩丸(3代)
青函航路の貨物輸送量は1971年の往復855万トンをピークに1973年の第1次オイルショック以降は坂道を転がり落ちるように激減し1977年は502万トンと1960年のレベルまで落ち込みその後も減少傾向が続きます
石狩丸(3代)と檜山丸(2代)の2隻は、1982年に前部煙突より後方の船楼甲板上に2層の甲板室を造設し、客載車両渡船化されました
国鉄時代の1986年に函館駅でNo.8とNo.10を購入しました
↓↓
海峡の女王シリーズ(2枚セット)は青函船舶鉄道管理局からNo.15まで発行されました
2ヶ月に一回の発行頻度で、最初は「青函連絡船開設77周年」の記念切符でしたが、
年を跨いだ為か「青函航路700000航海達成記念」、「新会社発足記念」へと変遷w
1986年10月6日に青函連絡船、70万航海達成
この70万航海目の船となったのも羊蹄丸(2代)でした
羊蹄丸改装前↑
羊蹄丸改装後↑
操舵室
操舵室から右舷後方
当時の造船・海運界最先端の自動化・遠隔操縦化技術を取り入れ、
航海速力の18.2ノットへの向上と港内操船能力の向上で、青森 - 函館間113.0kmの所要時間を従来の4時間30分から3時間50分に短縮し、海の新幹線と呼ばれる
ブリッジから船首
さすが外洋に出る船って雰囲気
遊歩甲板にもイルカのシンボルマークが見える
就航時自動車を積み込んだスペースは人工芝が敷かれてた
後部煙突は宇高連絡船とよく似てますね
JNRのファンネルマーク
津軽海峡は外洋なのでレーダーも重装備
もっとゆっくりと見たかったですが、閉館時間になってしまいました
羊蹄丸はこのあと香川県多度津町の宮地サルベージで解体されますが
6月に車両甲板にあった「青函ワールド」のセットを青森の八甲田丸に移送
7月には船尾の水密扉を開けてDE10-30とスハフ44-25を搬出して譲渡
2012年7月10日 いよいよお別れの日が来ました
7月10日 15:00離岸作業開始
2013年4月に解体が終了しました
羊蹄丸は本来、船の科学館で恒久展示されるはずでしたが・・・
休館にともない羊蹄丸の年間維持費用3000万円が捻出できなくなった
無償譲渡先で保存して貰えるところが見つかれば良かったのですが、大きな維持費がかかるだけに難しかったようです
羊蹄丸(2代)の姉妹船で残るのは
函館港の摩周丸、青森港の八甲田丸の2船のみとなりました
他の船は紆余曲折の末、全て外国で解体されてしまったようです
羊蹄丸の最後の一般公開には
6万1096人が訪れたとの事で、遥々とやって来た甲斐があったかな
今回もお立寄り頂き、最後まで見ていただきましてありがとうございました
函館ステップと青函連絡船 へ続く
では、また
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