新型コロナウィルス感染症拡大に伴う緊急事態宣言が1ヶ月程延長になりそうです
感染症の収束は容易ではなく、自粛疲れや休業、売り上げ不振などダメージの深刻化が心配されるなか
5月のカレンダーは気持ち良く赤字が4つ連続で並んでる
毎年連休を満喫しておられる方には今年は悔しいかもね
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連休前に平成元年式三菱パジェロを車検に出し、先日無事戻って来ましたw
車検も遂に15回目(祝)となりました
車内を整理していると懐かしいチケットが
にいはまに羊蹄丸がやってきた!入場券
入場券には平成24年5月20日のスタンプが押されてた
2012年という事はもう8年も前…
青函連絡船として長く活躍し、その後に16年間お台場にある船の科学館で展示されていた「羊蹄丸」
2011年9月30日を以て保存・展示が終了し、
一般社団法人えひめ東予シップリサイクル研究会に無償譲渡されました
(譲渡先)
えひめ東予シップリサイクル研究会
(事業計画)
平成24年度に新居浜市が市制75周年を迎え、同じく新居浜工業高等専門学校が創立50周年となることを記念し、譲渡された“羊蹄丸”を新居浜東港で一般公開する。
一定期間公開の後、開発途上国で行われてきた劣悪な環境下での船舶解撤を規制するため2009年採択された「シップリサイクル条約」に基づく、循環型社会の構築、鉄資源の確保、CO2 排出削減、地域経済の活性化を目指した「先進国型シップリサイクルシステム」確立のため、えひめ東予シップリサイクル研究会を中心とした地域の産学官連携で、実際に“羊蹄丸”を解撤しながら最適システムを確立するための研究・開発を行う。
(選定・採用理由)
新居浜東港で一般公開し、その後解撤するという計画ではあるが、「シップリサイクル条約」が発効すると原則として大型船舶は自国での解撤が義務付けられる。これを見据えた「先進国型シップリサイクルシステム」確立のため、地域社会での産学官連携で、最適な解撤システムを研究・開発しようという事業内容を高く評価した。
また、地元新居浜市より全面的な協力体制を得ていることも実現可能性の観点から選定の大きな理由とした。
3月25日にタグボートとよら丸(193t)に曳航され出発、4日間かけて3月29日に新居浜東港へやって来ました
(お知らせ)
先に、財団法人日本海事科学振興財団「船の科学館」において、青函連絡船「羊蹄丸」の譲渡決定を受け、各種調整を行ってきたところ、3月25日(日)に船の科学館を離岸(引き出し作業は午前8時開始、午前8時30分離岸予定)し、3月29日(木)に新居浜東港に接岸することとなりましたのでお知らせします。 なお、日程は天候などの理由によって変更する場合があります。
今後、新居浜東港において係留し新居浜市制75周年及び新居浜高専創立50周年を記念した一般公開、並びに、船舶解体についての検証を行うこととなりますが、一般公開の期間及びイベント等の具体的な内容につきましては、同港着岸後に係留作業が整い次第、改めて発表の場を設ける予定です。
出発の様子がブログで紹介されてました
ちょうけんさんのブログ↓
2012年3月25日の離岸(引き出し作業)の様子を撮った動画がyoutubeにありました
2012/03/24公開
平成8年以来、「船の科学館別館」として東京・有明に係留されていた羊蹄丸が、科学館リニューアルに伴って譲渡される事となり、16年の歳月を経て東京港を去る日が来ました。映像中、1:40頃には近隣他船からの別れの汽笛がお聞き頂けます。また、3:13頃には船の科学館の職員の方による銅鑼の音もお聞き頂く事が出来ます。
↑説明文より
羊蹄丸の接岸場所 新居浜東港黒島埠頭
接岸地点 新居浜東港黒島埠頭
函館桟橋⇒青森桟橋 1986年12月下旬
羊蹄丸は、数ある青函連絡船の中で、唯一乗船した事がある船でしたが
最期に遠く離れたみかん県までやって来るとは・・・
何某かの縁が深かったのでしょうか
2012年3月29日 新居浜東港黒島埠頭
一般公開は2012年4月27日から6月10日まで
3月29日に新居浜東港黒島埠頭に接岸したとのニュースを見て、公開に先駆けて4月8日に逢いに行って来ました
昭和40年に就航して以来、22年7ヶ月に亘って活躍し、昭和63年3月任務を終了
羊蹄丸が接岸している黒島埠頭にはフェンスが設置されており、近づくことは出来ませんでしたが、フェンス越しに色んな角度から
船体左舷側
ファンネルマークは国鉄民営化時にJRマークへと付け替えられましたが
国際海と船の博覧会のパビリオン船として改装された際にJNRに戻されたようです
乗船口の形が現役時と変わっているようです
1992年にイタリア・ジェノバで行われた「国際船と海の博覧会」において
日本政府のパビリオン船として使われた経緯から窓の形状や配置などがオリジナルと変わっているようです
また船室などは元の姿を全く留めないほど改装されていました
左舷後方から
フェンスの網目にレンズを突っ込んで撮影しているのでこれ以上近寄れない
勿論望遠レンズなんて・・・無い(◞‸◟)
羊蹄丸の前面に移動して正面から
左は新居浜東港と神戸を結ぶ四国オレンジフェリーのおれんじホープ(貨物が主体のカジュアルフェリー)
おれんじホープ
右舷前方より
それにしても就航当時は錆だらけで痛々しかったのに見違えるほど綺麗に塗装されてる
1986年12月下旬頃 函館桟橋に接岸する羊蹄丸
この翌年の3月で国鉄は分割民営化されて4月1日からはJRとなりました
青函連絡船はJR北海道に引き継がれ、船籍も東京から母港の函館に変更されました
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えっ!なぜ全部JR北海道なの?
って、思われるかもしれませんが・・・
新幹線も青函トンネルのちょうど中間に位置する津軽海峡直下の青森県と北海道との道県境で会社の区間が分かれるわけではありません
JR旅客会社の境界は新青森駅を出た所にあります
東北新幹線は新青森までが東日本で、新青森からは青森県内であっても北海道の路線となり、青函トンネルは全区間JR北海道が維持管理しております
同じような例として瀬戸大橋があります
本四備讃線の児島駅を出てすぐの所に会社間の境界線があり、瀬戸大橋はJR四国の路線になります
調子に乗ってもうひとつ例を挙げると
関門トンネルの境界線はトンネルの真ん中、山口県と福岡県の県境と同じ場所にあります
しかし、関門トンネルの所有はJR九州となっています
このように青函トンネル、瀬戸大橋、関門トンネルと、どれもが本州側の会社では無く、三島会社と呼ばれる海を渡った側の会社が維持管理するようになっております
話が逸れかかっておりますが続けますw
大赤字との噂のある北海道新幹線
一説によると年間赤字は100億円近くに達するそうな
東京駅を出る新函館北斗行きの「はやぶさ」は満席に近い乗車率ですが
仙台で半分が下車するらしい
仙台から2~3割の乗車があるものの、盛岡、八戸で多くの乗客が下車
新青森を出ると1~2割の乗客らしい(☍﹏⁰)。
つまり、ガラガラの状態で北海道新幹線の区間へ入る
また、
青函トンネルは別の意味でも北海道新幹線のネックになっています
時速300キロを出せる新幹線が、青函トンネル内では140キロに制限されています
この理由は同トンネル内を走る貨物列車の影響を避けるための措置で、新幹線と貨物列車が同時にトンネル内を走っている事にあります
元JR東日本社長、会長を歴任した松田昌士氏の提案では
折角の新幹線が宝の持ち腐れとなっており、1つのトンネルを新幹線と貨物が取り合っているのは愚の骨頂
まずは最優先で新幹線のスピードアップを図り、貨物は船でというもの
切り札は青函連絡船の復活である
「よみがえれJR北海道-松田昌士が語る・後編」新幹線速度アップの切り札は「青函連絡船の復活」
産経ニュース2017.1.1
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羊蹄山とイルカのマークは往昔のまま
船尾には船の科学館 別館
Floating Pavilion YOTEI MARU
車両甲板船尾開口部には水密扉が設置されてる
場所を移動して港の対岸から右舷側も眺めてみよう
パジェロで対岸まで移動しました
東赤石山と羊蹄丸とパジェロw
4月27日から6月10日まで一般公開された後、解体される運命の羊蹄丸
このあと、一般公開開催中の5月20日にもう一度訪れて来ました
その時にコンデジで撮った写真も残ってるので次回はPart2という事に・・・
youtubeに一般公開中の羊蹄丸船内の様子を撮影した動画がありましたので予告篇という事で貼っておきます
お立寄り頂きましてありがとうございました
次回に続く
では、また
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3.函館ステップと青函連絡船 へ