岩黒島に上陸後、島の南半分を廻り、エレベーターを降りた場所に戻って来ました
14:09 ①
この場所には岩黒小中学校の「わたしたちの岩黒島」の地図が設置されてます
島の真上にある岩黒島バス停(海抜60m)の上下便を繋ぐ通路に掲示されていたパンフレットの中にも同じ地図が載ってましたが
此処の地図には平成18年3月作成と書かれており、作製した10名の生徒名も記載されてる
もう14年も前に作られた物だったんですね〜
現在の在校生は僅か1名、いつのまにか岩黒島にも廃校の危機が迫って来てました(◞‸◟)
ご訪問頂きましてありがとうございます
前回の架橋前の岩黒島と現在から続きます( ^_^)/
14:09
引き続いて、島の周回道路である車道を歩きます
14:11
架橋によってこの車道が作られ、高台には新築の住宅が幾つか建っており、小さな子供さんも見かけました
高速代が要らなければ住んでみたいと思える島のロケーション
路線バスは一日6便あります
坂出方面へは与島で琴参バスに乗換て坂出駅まで32~57分程、運賃は550円(与島で接続の際、便によって乗り換え時間に差があります)
乗換の際にバス整理券に乗換の印を貰うのをお忘れなく!
児島駅へは下電バスで21~28分、運賃は330円
そんなに遠くはありません
島の現在の人口は何人だろう?
5年前の平成27年国勢調査で75人、平成22年89人、平成17年94人、平成12年98人、平成7年102人
今年は国勢調査の年…
このペースだと1年に1人減で70人位かな?
前に見た岩黒小・中学校のHPでは人口108人ってなってたけど・・・
調べてみると23年前の1997年から未更新だったみたい(;´∀`)
当時の児童・生徒数は10名で、その後も大きな推移は無く安定していたのですが、少子化の影響ですかねぇ〜
瀬戸大橋上で見た岩黒島散策マップ 平成23年3月11日作成
拡大してみました↓
架橋によって島内を周回出来る車道が整備されました
岩黒小中学校も島の中心部から新しく出来た車道沿いに移転していますね
14:13 ②
愛宕神社と櫃石島橋北主塔(148m)
14:16 ③
島の北部の高台から南方面の眺め
14:17
瀬戸大橋架橋時に新築移転整備された岩黒小中学校
現在、在校生は中学2年生が1名で、
その生徒が卒業すると休校か廃校になるらしい
14:18 ④
(ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ-
坂出市立岩黒中学校の体育館に大きな蝉の絵が・・・
「クマゼミの島」を再び
巨大壁画でPR
巨大壁画プロジェクトは、島の先輩たちの偉大な足跡をあらためて注目し、
「クマゼミの島」を再びPRしようと、同校が本年度から「温故知新学習」として企画
島には架橋直前に橋脚の土台に描かれたクマゼミ5体の絵が今も残るが、島に降りて来ないと見られない事から、瀬戸大橋に面した同校体育館の外壁に新たな巨大壁画を描くことにしたそうな
壁画は橋脚の絵を原画とし、幅16.5m、高さ10.5mの外壁に、約15mにわたり羽根を大きく広げたクマゼミと幼虫を配したデザイン
昨年の6月から約1カ月かけて実物大の下絵を作り、8月から体育館の外壁に輪郭を描き、ペンキで色付けする作業を行ってきたそうです
ペンキをしっかりと塗れるようにと、住民たちは船舶用の高圧洗浄機を使って外壁の洗浄作業などで協力
岩黒島が瀬戸内海国立公園内にある為、黒、緑、青の3色以内の条件付きで環境省の許可を得たそうな
製作の様子は「岩黒クマゼミ新聞1~3号」により伝えられました
KSB 瀬戸内海放送
壁画があれば廃校になっても施設が壊されないかも・・・生徒の言葉
ここ(岩黒島)に学校があったという事、生徒たちが素晴らしい活動をしていた事を皆さんに知ってもらいたい・・・校長先生
架橋前の岩黒島はクマゼミが多く棲息し、鳴き声で住民同士の会話が聞こえない程だったという
1968(昭和43)年に岩黒中学校の田中俊彦教諭と生徒が3年がかりで発表に漕ぎ着けた「クマゼミの研究」は1970(昭和45)年日本学生科学賞の中学生部門で第一位を獲得
数年後には島本寿次教諭が研究の過程を著書「クマゼミの島」として出版
今からもう50年以上前の出来事になります
クマゼミの島 (動物の記録 6)
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住民も参加して島全体で完成させた新たなランドマークとして
JR瀬戸大橋線を通る際には、是非とも車窓からご覧いただきたいとのこと
その際には東側の席に座って下さいね(*^∀゚)ъ
上り列車なら右側、四国へ向かう下り列車なら左側ですw
14:18 ④
14:19 ⑤
岩黒小中学校から車道を下って往くと
切通しの上に鳥居が見える
階段を上がっていくと大天狗神社(だいてんさん)がありました
14:22 ⑥
大天狗神社はここへ移住した人たちの故里佐柳島にもあるのでルーツはそちらかも
14:23 ⑥
島の粘土で作られた赤い陶器の狛犬がいて、足に紐を結びお祈りすると、失くし物や家出人が見つかるという言伝えがあるそうな
14:24
岩黒港と与島方面
14:25
こんなところに島を守るウルトラマンが居たw
14:26 ⑦
島の漁港はのんびりといい感じ
パノラマ撮影してみたヾ(°∇°*)
小さいけど南北備讃瀬戸大橋から櫃石島橋まで繋がってる(≧▽≦)
14:28 ⑧
石積み防波堤の石細工の階段
14:29 ⑨
防波堤から与島橋と岩黒島橋方面
14:31 ⑨
櫃石島に比べると陸上部のコンクリートの高架橋が短く、二つの斜張橋に挟まれてる
櫃石島の高架橋の橋脚は30本あったけど岩黒島はたったの3本
魚港が集落の中にあるのも島の風景に溶け込んでる
島内には3軒の民宿があり、美味しいお魚料理が食べられます
集落の何処からも櫃石島橋の南北の2本の主塔が望めます
14:57 ⑩
恵比寿神社は海の神様
右に蛭子様、左に金比羅様と海の神様が並んでいます
14:58 ⑪
主塔とループ橋がアクセントになりますねー
15:00 ⑫
南井戸隣にある地神さんと櫃石島橋南主塔
15:00 ⑫
あんた誰よ、どっから来たにゃ~
バスに乗って来たニャン?
ここ(南井戸)は僕らの住処だにゃあ
15:01
緩い坂道をループ橋を目指して戻ります
15:02 ⑬
初田神社鳥居の中には岩黒島橋の北主塔がすっぽり
15:06 ⑭
ループ橋の下から坂出(岩黒島橋)方面
15:06
現在地は⑭
バスの第5便の時間は15時21分なのでエレベーターでバス停へ向かいます
15:07
エレベーター乗り場に塗装工事のお知らせが貼ってありました
岩黒島橋の主塔2本と櫃石島橋の南主塔の上部の塗装工事を行うようです
海上を渡る巨大橋の保守管理は大変だと思いますが・・・
瀬戸大橋は色一つとっても環境アセスメントで自然と調和するよう考え抜かれてます
維持管理は安全面も含めて欠かせませんね
一般的には、橋の耐用年数は60年と云われているそうですが・・・
瀬戸大橋クラスの設計寿命は約100年で、パーツごと交換していくことで、橋桁さえ丈夫であれば半永久的に持つそうな
因みに1937年竣工のサンフランシスコの金門橋は築83年、絶えず防錆塗装工事が行われているようです
瀬戸大橋も同様に、毎日どこかでメンテナンスが行われているので、保守コストが多額に掛かっていると思いますが・・・
宇高航路廃止に追い込んだ高速道路無料化政策
財源が足りなくなり、メンテナンス不足で耐用年数の減少なんて事にだけはならないようにと願うばかり
15:10
エレベーターを降りて児島方面の眺め
15:10
東方面に巨大壁画が見えるかな?
岩黒中学校の体育館に描かれたクマゼミ
拡大してみると↓↓↓
ちょっと遠いけど・・・(^▽^;)
はっきりと見えてるよぉ~
O(≧▽≦)O ワーイ
15:11
エレベーター前から坂出方面の眺め
経済は1990年代に成長経済から安定経済へと舵をきる
岩黒島に限っては、国勢調査の結果を見れば、高度経済成長期とその後も減少を続けた人口は1988年4月の瀬戸大橋開通後は2005年までの20年間で殆ど人口が減少して居ないので、
独立性を保ち、漁業を中心にコンパクトに纏まった
架橋によって整備された島と感じました
2005年以降は離島統計情報によると
櫃石島2010年 205人、2015年 172人
岩黒島2010年 89人、2015年 75人、
与島 2010年 115人、2015年 81人
小与島2010年 4人、2015年 2人
岩黒島も2010年から2015年への5年間の減少が著しいけど何かあったのだろうか
一時は8人に減った在校生も10人前後を維持してたのにいつの間にか1人になってるとは・・・
また復活すると信じたい
岩黒中学校体育祭2019年10月14日 岩黒クマゼミ新聞より
島から学校が無くなると・・・
運動会は・・・
島全体がひとつのコミュニティーとしての活力を得るには、
学校を舞台にした運動会は絶対必要なアイテムだと思えるだけに
廃校にならないよう祈ります
15:22
岩黒島バス停より第5便の15時21分発に乗車
信号機のある珍しい高速道路、与島高架橋より与島PAを経て島内へ向かいます
今回もお立寄り頂きましてありがとうございました
いよいよ最後の島、与島に上陸です
次回に続く
では、また
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