自分史【第6話】「母親業奮闘の日々」 | レイキヒーラー&ストレスケアセラピスト MIKIの『きらきら笑顔な毎日を♪』

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今までのお話はこちらからご覧いただけます。

第1話

第2話

第3話

第4話

第5話

 

 

「観光気分の青森もよかったけど、

やっぱり地元がいいよね~・・・。」

だけではなかった、

 

第6話です。

 

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【第6話】

娘も2歳を過ぎたころ、

旦那さんの青森でのお仕事もひと段落し、

そろそろ転勤の声が聞こえてきました。

 

 

お仕事の都合上、

ちゃんと年度ごとに替わるわけではなく、

 

途中でも平気で次の場所へ異動になるため、

今後の子育てのことを考えたとき、

 

地元仙台に

拠点を持ちたいと考えるようになりました。

 

 

当然、そうなると

単身赴任は避けられないのですが、

腰を落ち着けたかったのには、

もう一つ理由がありました。

 

 

実はその頃、わたしの「本当の両親w」が、

別々の道を歩むことを決めたのです。

 

まさに、当時ささやかれ出した

「熟年離婚」というやつです。

 

 

両親は仲よし夫婦と思われていたので、

周りの人は、

みんなびっくりしていましたが、

 

よそのおうちのことは、

わからないものなのです。

 

 

田舎で恋愛結婚した両親は、

「〇〇(←地名)の

石原裕次郎と浅丘ルリ子と

呼ばれていた」

 

 

などと豪語していたほどでした。

 

たしかに、

仲はいい方だったとは思うけれど。。。

 

 

いろいろなことが長年あり、

わたしも、父親と絶縁してしまうのでした。

 

 

なので、

わたしが仙台に戻ったことも

父には知らせず、

 

それからは、母一人子一人のつもり

生きてまいりました。

 

 

わたしの「お父さん」は、

小さい頃から大好きだった俳優の

渡哲也さんだと

勝手に思って生きると決めたのです。

 

 

 

(余談ですが中2の頃、

「西部警察」の

宮城ロケが平日にあったのですが、

 

わたしは学校の先生にも

渡さんファンなのがバレていたため、

サボれずw

 

はがきを出して

せっかく当たったエキストラには

 

「わたしは石原裕次郎ひとすじだけどね~」

 

 

とか言いながら

母がいそいそと出かけて行ったのでした 爆)

 

 

母は、

ちょうど今のわたしぐらいの年齢になって、

一人で人生を

やり直すことになったわけですが、

 

疲れとストレスから、

リウマチを発症してしまいます。

 

それでも、当時の職場の方たちのおかげで、

ゆっくりと働き続けてはいましたが、

 

やはり近くにわたしがいるというだけで

安心感が違うということで

 

何かあればすぐに顔を出せるところに

落ちつくと決めたのでした。

 

 

そうして仙台に落ち着いたわたしは、

さっそく家でできる、

データ入力のお仕事を見つけ、

 

ウインドウズも発売になっていたこともあり、

ついにパソコンも購入して、

テープ起こしなどの、入力のお仕事を始めました。

 

(英文タイプの学びが、

ワープロ、パソコンと、

時代を越えて長く役に立つとは

思ってもみませんでした。

人生無駄なことはないのですね。)

 

 

さて、平日は娘と二人だけの、

のんびりな生活を送っておりましたが、

肝心の子育ては大変なものでした。

 

 

わたしの子供のころに輪をかけて、

マイペースで自我が強い娘は

 

物心ついたころからずっと反抗期で、

名前を呼んだだけで

「嫌!」

と返ってくる始末w

 

幼稚園や学校でも、

よく友達とぶつかることも多かったので

それはそれは悩みが尽きない日々でした。

 

それでも、ディズニーランドへ

お出かけすることを楽しみに、

毎日ビデオを見たり、

CDを聴いたりしながら、

ディズニーだけが心の支えでしたw

 

 

子育てには苦労しましたが、

ずっと楽しみだったのは、

娘が音楽の道へ進んだことです。

 

 

それこそ、

わたしが通っていたYAM〇HAの

幼児教室から始まり、

 

小学校からは、ピアノの個人レッスンと、

エレクトーンのグループレッスンを

同時に受けられるコースに進み、

 

作曲やコード進行も学んだりして、

ピアノだけでは

習得することのできないことを

 

たくさん吸収していったことは、

大きな財産になったと思います。

 

(これ、バンド活動にも役立ちますw)

 

 

ピアノも、現役ピアニストの先生による

個人レッスンを

受けられるようになったことから、

 

本気で

 

演奏家になるんじゃないかしら?

 

と、ワクワクしていました。

 

 

娘も、けして練習は好きではないけれど、

まわりにステキなライバルさんたちが

いてくれたおかげもあり、

 

負けず嫌いも幸いして、

コンクールなど発表の場も多かったため、

嫌がらずにピアノを続けていたのでした。

 

 

中学では吹奏楽部に入り、

トランペットを担当。

 

ピアノ以外の楽器にチャレンジするあたりも

かたくなに「わたしはピアノ」だった

昔の「みきちゃんw」とは全然違って、

 

わたしもこんな風にいろんなことを

やってみたらよかったなぁと、

いまさらながら

反省してみたりもして。

 

 

吹奏楽部では他の役員のお母さんたちと

「ストーカーズ」を結成 爆

 

わたしは、その頃は

パートのお仕事を始めていましたが、

 

差し入れの飲み物やお菓子を引っ提げて

どこにでも応援に行きました。

 

そうして、年に何回か行ける

ディズニーを楽しみに

過ごしていましたが、

 

娘の反抗期自体は、相変わらずで、

全然話の通じない、

宇宙人と暮らしているような感覚w

 

単身赴任を終えて、

家に旦那さんが戻ってきていたので、

いろいろと相談できていたのは、

唯一の救いでした。

 

 

高校に進学したあとも、

反抗期はひどくなるばかり。

 

あまりにもひどい態度に、

ついにわたしは

母業を2週間ほどボイコットしたことも!

 

 

それでも、

反抗的な態度はおさまることはなく、

 

「そんなに家が

気に入らないなら、

高校までは出してやるから、

 

卒業したら家、

出てってくんない?

 

と言ったこともありました。

 

わたしのように、

自分から家出をしたことはなかった娘に対して、

家出勧告をするという事態にw

 

 

でも、そんな生活も、

ついに終わりが来ることになります。

思いもよらぬ形で・・・。

 

 

次回

第7話・明日夜21時更新・・・続く>

 

 

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物心ついたときからずっと

反抗期って、なかなか根性ありますよね!爆

 

今日も

お付き合いくださり、

ありがとうございましたw

 

ご感想もお聞かせいただけると

頑張れますw

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

今日も最後までお読みいただき

ありがとうございました音譜

 

 

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