自分史【第5話】「箱入り娘みき・はじめての冒険」 | レイキヒーラー&ストレスケアセラピスト MIKIの『きらきら笑顔な毎日を♪』

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自分史もお読みいただき、ありがとうございます。

 

今までのお話はこちらからご覧いただけます。

第1話

第2話

第3話

第4話

 

 

それまで信じてきたものが

あっけなく崩れたとき、

みなさんはどう乗り越えますか(^^;

 

第5話です。

 

 *•:.•**•:. *•:.•**•:. *•:.•**•:. *•:.•*  

【第5話】

 

 音楽教師から、「ピアノでの進路は無理」

と、はっきり言われ、

 

生まれて初めての挫折を味わったのですが、

しばらくはそのことを、

なかなか受け入れられずにいました。

 

 

だって、それまでわたしを

ずっと支えてきてくれた、

唯一誇れるものだったから。

 

 

ピアノの先生だって、

あんなに応援してくれているのに、

なんて言ったらいいんだろう。。

 

 

でも、時間が経つにつれて、

少しずつ

冷静に考えられるようになってきました。

 

 

わたし、そもそも練習嫌いだよね。。w

 

だって、オクターブキツくてつらいし。

 

そんなことで、

4年間やっていけるのかしら。。

 

 

このまま無理して続けていたら、

手も痛めてしまうし、

 

なにより、

ピアノのことが

嫌いになっちゃうんじゃない?

 

それなら。。。

 

ピアノは、趣味でやるぐらいがちょうどいい。

 

ずっとピアノを好きでいられるように、

 

「わたしはピアノ」

「ピアノはみきちゃん」

から、卒業しよう。。

 

 

 

そう思えるようになったら、なんだか

気持ちがスッと楽になったのでした。

 

 

ずっとこだわってきたものが、

逆に自分を縛り付けていたのですね。

 

 

親も、音楽科は授業料も高いし、

やめるなら止めない、と言ってくれたし 爆

 

 

ピアノの先生はがっかりされていましたが、

結局、ピアノのレッスンは

高3の秋まで続けてやめたのでした。

 

 

タイムリミットがあったのもあるのでしょう。

受験しないとなったら、

なんだかレッスンも、楽しい気持ちで

受けに行けたのを覚えています。

 

 

音楽のK先生、あのときは

「このやろぉ~!」

と思ったけどw

 

誰も言ってくれなかったことを

サラっと言ってくれてありがとう。

 

おかげでピアノを嫌いにならずに済みました。

 

 

 

バンドは、メンバーがその時々で

入れ替わりながらも、

相変わらず続けていました。

 

 

もちろんオクターブもあったのだけど、

届かない部分は、

 

ペダルや弾き方を工夫してカバーするやり方に、

うまいことアレンジして。

 

キーボード弾きながらコーラス入れたり、

待ってる間は踊ったりw

 

 

がっつりクラシックの道はあきらめたけれど、

長年の「わたしはピアノ」を卒業し、

「楽しむ音楽」へ

シフトしていったのでした。

 

 

こうして、このあと、

音楽とはまったく関係ないところへ

進学しましたが、

 

時はバブル 爆

 

 

車を買うためにバイトをし、

時々行くディスコ(!)

マハラジャを楽しんでおりましたw

 

(ディスコ。クラブではない 爆)

 

はい、幼い頃から、

ピンク・レディーで鍛えておりましたおかげでw

 

新しい振り付けもすぐに覚え、

車ではユーロビートをかけてドライブ。

 

 

浮かれた時代でした。

 

 

はい、もちろん遊んでばかりいたわけではなくw

 

課外授業で「英文タイプ」を取っていたのですが、

(パソコンでも、ワープロでもない、

英文タイプ!時代を物語りますw)

 

 

ピアノのおかげで指が動くので、

タイピングの速さはクラスでダントツでした。

 

そしてなにより、

ローマ字入力の

ブラインドタッチを覚えたことは、

現在までも生かされています。

 

 

会社に入ってからも、同僚と即席バンドを組み、

ウエディングソングメドレーを作って

先輩の披露宴の余興で

演奏したりしていました。

 

 

高校時代はお金がなくて、

バンドの楽譜が買えないこともあったのですが、

 

その時は、いわゆる「耳コピー」で、

自分で楽譜に起こしたりすることもあったので、

その経験がけっこう役に立ちました。

 

 

そうして、ずっと浮かれぽんちな生活を

ぬくぬくと実家暮らしで送ってきたわたしも、

ついに「冒険の旅」へ出ることになります。

 

 

その当時は、

25歳を過ぎたらクリスマスケーキ」

(26日を過ぎたら売れない、という意味)

と言われた時代。

 

(今では考えられない。

女性に対して、なんて失礼なんでしょうね!)

 

 

わりと、周りの友達もみんなバタバタと、

23,4で結婚していきました。

 

わたしも、バイトで知り合った

いまの旦那さんと結婚し、

ついに、「本当の両親」と暮らした

家を出るのでしたw

 

 

なんだかんだで箱入り娘、

いよいよ外の世界への旅立ちです。

 

 

実家でグータラに過ごしていたわたしは、

家事が苦手で、

ほんとにすべてが1からの経験で大変でした(^^;

 

 

そしてホントの冒険はここから。

 

1年後に一人娘が生まれ、その後、

旦那さんの転勤で

極寒の青森県へ行くことになります。

 

 

誰も知り合いのいない土地。

 

キッチンの窓をあけると、

陸奥湾を望めるオーシャンビューが自慢でしたが、

 

冬にはあっけなくその窓は凍って、

春まで海は見えませんでした 爆

 

 

青森県の中でも、

雪深いことで知られる地域に住んでいたので、

 

朝雪かきされていても(←自分ではしない。

グータラ箱入り娘の名残w)、

 

夕方には、車がどこにあるのか

わからないほどの

雪が積もるという状況で、

ますます家から一歩も出ない生活でした。

 

 

週末に市内へ車で出かけるときだけが

唯一のおでかけ。

 

その頃流行っていたglobeの

「♪どこまでも~~~

かぎりなく~降り積もる・・」

を聴くと

 

いまでも、家の前で

遭難するんじゃないかと思うほどの、

あの一面真っ白な光景を思い出しますw

 

 

昼間は娘とふたりだけ。

時々、町の幼児クラブに

参加したりはしましたが、

 

当時はネットもない時代だったので、

離乳食を作ったり、子育ての情報などは、

「たまひよ」や、「こっこクラブ」という

雑誌頼みでした。

 

 

(その当時、こっこクラブのモニターで、

洗顔フォームの感想が

のったときの写真。若いw)

 

 

(美容の話題はずっと好きでしたw)

 

この頃、このままじゃいけない、

という衝動にかられ、

 

というか、今思えば、

 

見知らぬ土地で引きこもってる場合じゃない

という、

なにか焦りのようなものもあったと思います。

 

子育て中のあるあるで、

自分だけ世間から取り残されてしまうような

不安があったのですね。

 

 

家にいる時間が長かったので、

英文タイプで培った経験を生かして、

 

「ワープロ」検定の資格をとり、

幸いにもデータ入力の仕事や、

テープ起こしの仕事などが時々もらえたりして、

 

子育ての合間に、

内職をほそぼそとやって暮らしていたのでした。

 

 

夏は涼しく、

ホタテなど、新鮮な海産物が

安くおいしく食べられましたし、

 

ねぶたを見に行ったり、観光気分で

それなりに青森での生活を

楽しんでおりましたが、

およそ2年で、また地元へ帰ることになります。

 

 

次回

冒険を終えてついに地元へ。

しかしその理由とは・・・?

 

第6話・明日夜21時に更新・・・続く>

 

  *•:.•**•:. *•:.•**•:. *•:.•**•:. *•:.•* 

 

今日も

お付き合いくださり、

ありがとうございましたw

 

ご感想もお聞かせいただけると

頑張れますw

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

今日も最後までお読みいただき

ありがとうございました音譜

 

 

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