昨日のブログの続きです。
昨日、お邪魔した秘密基地は、尊敬する大先輩・山本由紀子さんが営む『山兵 京都』です。
由紀子さんは着物の素晴らしさを一人でも多くの方に知ってもらいたいと京都でサロンを営んでおられます。
そこで私が経験したこと。
それは「心が動いて行動が起こる」こと。そして、「そのことで自分の中に何が起きるか」ということです。
一緒にお邪魔した友人が着物の世界に魅了され、着物を仕立て、その着物の着付けを学び、着物姿で京都の街を歩くというひとつの夢を実現させる場でもありました。
私は母の影響で昔から着物はとっても好きです。
私の生まれ育った町ではお盆に成人式が行われていたため、振袖を着る機会が無く、初めて作った着物も訪問着。
今は訪問着から小紋や紬など、いろんな着物が実家にあります。
そんなこともあって、前職の会社の新年式では必ず着物を着て参加していました。
新年式でどの着物を着ようかと母と選ぶ時間は年末の恒例行事でもあり、母との大切な時間でした。
そんな私ですが、着物を着る時はいつも着付けてもらうので自分で着物を着ることはありませんでした。
「自分で着られたら・・・」
と思いながらも、着付けてもらっている回数が多いからこそ思うのですが、そんなに簡単に着られるものではないと思っていました。
そんな中、突然訪れたのです。自分で着物を着る機会が。
一緒に京都の町を歩くなら緑ちゃんにも着物を着てもらいたい・・・と、昨日、山兵さんへ行くと由紀子さんがサプライズで着物を用意してくれていました。
「緑ちゃん、自分で着てみる?」
由紀子さんからのこのひと言に、あまりにも自然な流れで気負うことなく「着てみます!」と答えた私。
そして、レッスンが始まり1時間。
20数年着物を着ていたのに、一度も自分で着たことが無かった私。そんな私が自分で着られたんです!
いつも着慣れていた着物なのに、まったく違う感覚でした。
一番違うことは
「着せていただいた」のではなく、「自分で着た」ということ。
今回は、自分の着物ではなく、一式お借りした着物なのにも関わらず心が違う。
それは何故なのか?と考えてたどり着いた答えは・・・
誰かに着せていただいたということは、自分の気持ちが「半分」なんです。
この言葉が的確かどうかわかりませんが、
自分事半分、他人事半分
そんな感じです。
それが、自分で着たことによって、全部自分事なんです。
自分で行動したからこそ得られたこと。
自分で着てみたからこそ得られたこと。
着物という自分をまとうものが、「着物」という物ではなく、「自分の一部」に感じられた瞬間でした。
どんなことでも「自分で行動してみる」ことで得られることは「自分事」なのです。
そして、それは「自分を形成する一部になっていく」のだと学びました。
こんな気持ちを感じることが出来たこと。由紀子さんに本当に感謝です。
由紀子さん、本当にありがとうございました(^^)
↓京都の街中、延命地蔵の前で由紀子さんと一枚
と、ここでこのお話は終わり・・・ではなく、もうひとつのある気づきがあるのですが・・・
それは明日へ続きます(^^)
それでは、皆さんの明日に笑顔がありますように!
【Vol.169】