水曜日は職場の都合で残業ができなかったので、久しぶりにスナックに飲みに行く。

店のスタッフは若い女の子が増えていたが、お客は常連客ばかりだった。


いつも女の子に車で迎えに来てもらうので、常連客には彼女の「何番目かの」彼氏だと思われているらしい。

説明するのも面倒なので、まあ、いいや。どうだって、と思っていた。


焼酎のボトルをキープしてあるはずなのだが、ビールばかり飲んでいた。

2時間くらいのうちに、ビールを4~5本飲んだ。

マスターに山菜採りの話を聞く。

こしあぶらは最近人気が出てきた山菜だけど、うるしに形状が似ているらしい。

「間違えて、採ってきちゃったら大変なことになりますよ。」

そんな話を笑いながら聞いていた。

その夜も、帰りはマスターに家まで送ってもらった。


翌朝、ベッドから足を降ろそうと思ったら、左足に激痛が走った。

久しぶりのこの骨に響く重い痛み。

これは間違いなく通風の発作だ。


ここのところ薬も飲まず、食事もまったく気をつけていなかった。

痛風によくないと言われるビールを飲んで、同じくよくない納豆も食べていた。

自分のなかでは、通風なんてもう過去の病気で、既往歴という欄に書けばいいや、くらいの気持だった。


よっぽど仕事を休もうと思ったのだが、そういうわけにはいかない。


通風の発作といっても尿酸が細い血管に入って炎症を起こしているだけなのだから、捻挫をしたときと処置自体は変わらない。

炎症を取る処置はRICE処置(応急処置の基本)。

Rest(患部を使わない)、Icing(冷却)、Compression(固定)、Elevation(心臓より高くあげる)。


RとEは不可能なので、足に湿布をして、そのうえからテーピング用のテープをきつく巻いて患部を固定する。

薬だけは飲む。尿が酸性になるのを押さえる薬らしい。

今さらという気がしないでもない。


職場では、仕事が山のようにあり、足を引きずりながらも走り回っていた。

昼に、ヤンキースの松井が手首の骨を折る重傷を負ったニュースをテレビで見た。

彼の痛みに比べれば、僕の痛みなど無いようなものだ。



金曜日の夜には、前の職場にいたキアというアメリカから来ていたスタッフの送別会が渋谷であった。

彼女とはロンドンで食事をしたことがある。

家に招かれて、料理をご馳走してもらったことも。

今度はニューヨークで働くのだという。

でも土曜日も仕事があって、僕は送別会に行くことができない。


キアから電話が来る。

「会いたいのに、何で来てくれないの?」

「ごめん。仕事が忙しくて行けないんだよ。」

「私に、プレゼント買ってくれたでしょ。」

「うん。出席できないから代わりにと思って。大谷に頼んだんだけど。」

「大谷さん。忘れたって…。」


大谷に電話を代わってもらって怒る。

「ふざけるな!」

そのあと別の出席者にも代わってもらう。

「くれぐれも大谷にバカヤローとお伝えください。」と伝言してもらう。

出席者とは順番に全員と話をする。

「最近、出席率悪いよ。そんなに仕事好きだったっけ?」

「好きなわけないだろ!」

考えてみたらみんなとも随分と会っていない。

でも、あまり懐かしい気がしないのはなぜだろう。

会ったらすぐに、あの頃に戻れるような気がしてしまう。


夜、1人で寿司屋に行きカウンターに座る。

「とりあえず、ビール。それからあぶりトロ。」

その後も、うに、いくらなどどんどんと注文する。

6千円分くらい食べた。

「痛風に悪いだろうなあ。」とも思ったけれど、寿司がうますぎて、しまいには「どうとでもなれ。」と思っていた。


土曜日の朝、こわごわと左足を床に降ろす。

痛みは木曜日と変わらない。


「薬も飲んでいるし、食生活も気をつけているのに。」

あまりの痛みに、ちょっと嘘を言ってみたりした。

連休は実家に帰ってだらだらと過ごしていた。


夜は横浜から叔父が来て、毎晩飲んでいた。

従姉妹が結婚するのだという。従姉妹はまだ24歳くらいだろうか。


「おじさん、お父さんだからバージンロード、一緒に歩くんだよね。」

興味があるのか高校生の姪がいろいろと質問をする。

「そういうことになるんだろうな。」

叔父は心なしか顔を曇らせて返事をする。

「泣かないようにな。」

僕も声をかける。

「『僕いやだあ。行きたくない。』とか言って泣いている父親を、新婦がバージンロードを引きずっていくっていうのは格好悪いからなあ。」

「気をつけるよ。」

叔父も苦笑いをしている。


姪は結婚式に出席してブーケトスを取るのだと言う。

24歳くらいの女性の集団だと、ブーケトスの争奪戦も相当厳しくなるだろう。

「ラグビーのラインアウトのときみたいに、リフティングしてあげようか?」

「やだ。そんなの恥ずかしい。」

それでも、彼女はバスケをしていたので、ブーケトスを取る自信が少しあるようだった。


実家では、こしあぶらをたくさんもらったということで、こしあぶらの天ぷらをたくさん食べた。

こしあぶらがどんな山菜なのか全く知識はないのだけれど、やたらとおいしくて、随分と食べた。

食べては寝て、本を読んで寝て、の繰り返しだったので、随分と太ったような気がする。

たぶん、気のせいではないだろう。

でもおかげで、風邪はもうすっかりよくなった。


英検の準2級とTOEICの試験を受けることにした。

今まで英検というのを受けたことがない。

レベルから考えて、準2級なら鉄板だと思うのだが一応、勉強する。

そんなわけで、もう小説を読むのをやめようと思ったのだが、つい読んでしまった。


読んだのは秦 建日子の「チェケラッチョ」(講談社)。


チェケラッチョ



「チェケラッチョ」は感じのいい恋愛小説だ。

高校生の同級生たちが憧れや思いこみで突っ走る姿を、ちょっと冷めた視点で、でも無防備でぶつかっていく主人公の姿が潔くていい。


こういう本は本来であれば高校生が読むべきなので、高校生の姪にあげた。

いい恋愛をしてくれるといいなあ、と思った。


本には直接関係ないけれど、チェケラッチョはCheck it out ! Yo !のこと。「チェケラ」の「ラ」って何?と思ったので調べてみた。

確かに、早く読むと「ラ」に聞こえる。


ちなみに内田裕也の「シェゲナベイベー」はShake it now ! baby!。こっちはもっと関係ないけど。


実は他にも何冊か読んだけど、あとは別にどうってことはないので、ここには書きません。

金曜日締め切りの仕事を、木曜日の深夜(正確には金曜日だけど)に完成したので、週末は休めることになった。

4月になって初めての休日である。

金曜日は朝からTGIF (Thanks God! It’s Fridayの略)、と思って笑いながら過ごしていた。


昨日完成した書類を提出し、10時から1時間休みをもらって、再び歯医者に行く。

今日は歯石を取るのだという。

その前に、歯磨きの仕方の講習を受ける。

小さな前掛けをして手に歯ブラシを持ち、優しい歯科衛生士の先生に歯磨きを教わるなんて、幼稚園に戻ったような気分だ。

「いつもやっているように、歯を磨いてみてください。」

えーと、どうだったっけ?などと思い出しながら歯を磨き始める。

「もっと細かく、動かしてください。」

鏡の前で細かく歯ブラシを動かそうとするが、なかなか細かく動かすことができない。

「歯ブラシの持ち方をグーで握るんじゃなくて、ペンを持つようにしてみてください。」

なるほど。細かく動かすことができるようになった。


その後、自分の歯垢を顕微鏡で見せてもらうことになった。

歯の間につまっていた0.5ミリほどの白い歯垢である。

歯垢を載せたプレパラートを顕微鏡に載せ、ピントを合わせていく。

今は顕微鏡をのぞき込まなくても、パソコン画面に表示されるので簡単だ。


画面に繊維のようなものが見えてきた。

ああ、これが歯垢なのかと思った。

食べ物のカスなんだ。


だんだんとピントが合ってくる。

ミミズというか、線虫というか、河原の石をひっくり返したときにいる気持ちの悪いやつらがうじゃうじゃと蠢いているのが見える。

「うわ。こいつら、生きてるのか!」

「そうなんですよ。生きているんです。この生物が、酸などの老廃物を出して歯を痛めるんです。」

プレパラートを移動する。そこかしこに、やつらは蠢いている。

叫びたくなってきた。そして口を純度の高いウォッカで消毒したくなってきた。


それからの歯科衛生士さんの話はそれまで以上に真剣に聞いた。

超音波で歯垢を破壊するときも、少しくらい痛くても平気なフリをしていた。

あんなやつらが口の中で生きているとは思わなかった。

これからはちゃんと歯を磨こうと思った。



宮部みゆきの「模倣犯」1~5巻(新潮文庫)をようやく読み終わった。

全体として、だらだらと話が進み、だらだらと解決したという感じだ。

警察は皆、凡庸で「こいつの声紋分析もしてみろ」と言い出すような頭の回る刑事は出てこず、まだ犯人がわからないのか?と読んでいる方がイライラしてくる。

別荘地のローラー作戦も日数がかかりすぎだ。

実際の警察はもっと動きも早いし、頭もいいだろう。

普通の犯罪小説は、小説に出てくる刑事が天才だったりして、現実がとても追いつかないものなのだが、この小説は逆。

現実に起きたら、もっと早く解決しているだろう。

話自体は面白いけど5巻もいらない。こんなプロットなら1冊で十分だ。時間を無駄にした気分になった。


以前から買っていて観たかったDVD「フォーン・ブース」(ジョエル・シューマカー監督、コリン・ファレル主演、ジャンルはサスペンス)を観る。


久しぶりに真剣に観た映画で、あっという間の81分だった。

もし脚本家だったとして「電話ボックス」を舞台にしたストーリーを作ってみろ、と言われたらどうする?

普通の人は(僕も含めて)、絶対、回想シーンを多用すると思う。

この映画は、それを排除して、しかもそれ以上の話しに仕上げている。

犯人も主人公も警察も、相手の裏をかこうとする。

心理戦の攻防も手を抜かず、しっかりと作ってある。

この点の脚本家の才能と、我慢強さには頭が下がる。


コンビニでたった999円で買える。

興味がある人にはぜひお薦めしたい。

今週はつらかった。


月曜日の深夜から体調が崩れだし、火曜日は別の人の体を操作しているようだった。

意味もなくふらついて、やたらと体が痛む。

頭もそれから奥歯も痛い。

熱を計ったらまだ37度5分だった。

金曜日に締め切りの仕事があって間に合うかどうかギリギリなのでどうしても休むわけにはいかない。


仕事をしていると、歯の痛みに耐えられなくなってきた。

1時間休みをもらって、歯医者に行き、レントゲンを撮ってもらう。


確かに虫歯はあるが、奥歯にはそれほど問題がなさそうだった。

それでも詰め物をはずし、なかを見てもらう。

麻酔を打ってもらったら、奥歯の痛みが消えていったので

「もういいです。仕事に行かせてください。」

といいたかったが、そう言うわけにもいかなかった。

結局、別の歯を治療してもらって仕事に戻った。


熱は午後から38度を突破した。

係長から「38度になると、かえって楽になる。」と事前に言われていたのが効いたのだろうか。

本当に楽になった気がした。


8時30分まで残業して帰った。

「うう。痛い。いたたた。」

職場に置いてある冬用のフリースを着ていたのだが、脱ぐときに関節が痛み、思わずうなり声をあげてしまった。

他の人たちはまだ仕事をしているので、なんだか早退者の気分だった。


水曜日の朝は、前日より回復していた。

木曜日には、再び深夜まで残業し、金曜日締め切りの仕事を0時過ぎに仕上げた。

締め切りに間に合ってほっとしていた。


昔、司法試験の勉強をしていた頃、京都大学出身の人と一緒に勉強したことがある。

彼に言わせると風邪は精神的なものだという。


彼が京都大学の合格発表を見に行ったとき、熱が39度あってふらついていたのに、合格者のなかに自分の番号を見つけたとき、治ってしまったからだという。


木曜日、家に帰るとアロマのインストラクター試験の結果が届いていた。

一次で合格していたが、二次で不合格。


二次というのはアロマの学校にお金を払って通えば免除になる試験だが、そうでない人には高い関門だ。

あとでわかったことだが、この二次試験に受かるには、二次試験の8割を正解しなければならないという。

今回の問題は「アレルギーが起きる原因を細胞単位で説明する」ことと「エイズの発症過程を白血球の仕組みと絡めて説明する」ことができなければならなかったのだが、これを選択式でなく、論文式で8割以上の答えをするのはかなり難しい。


結局、高いお金を出して学校に通えということなのか、と思った。

インストラクター試験に受かるのは、3~4割程度だが、ほとんどが学校を出た人だという。

二次試験の範囲の広さにあきらめて学校に行く人も多いらしい。

試験をするアロマの協会では二次試験を受かる人の率や人数は、0ではない、としか公表できないそうだ。


中学生の頃、エレクトーンにも級があって、級があがるということは上位機種を弾きこなせるという意味だ、と聞いて驚いたことがある。

つまり級があがるたびに、エレクトーンを買い換えなければならないのだ。

そうやって級を取っていくと、最終的に、エレクトーンの先生になれるのだという。


それを聞いたとき、級や資格が金儲けの手段になっているんだ、と思ったのだが、アロマもこんなに高いダブル・スタンダードを用意しているとは思わなかった。

それでも絶対に合格することができないのか、と言われればできそうな気がするけど、でもそれには相当勉強しなければならない。

学校に通えば免除になる試験のために、そんなに勉強する必要があるのだろうか?

これから、試験を続けるかどうかはまだ決めていない。


まあ、そんなわけで、京都大学の奇跡は僕には起きず、僕の風邪はなかなか治ったりはしないのだった。

昨日の土曜日は、朝の10時から夜の11時までずっと仕事をしていた。

途中、20分くらい昼寝をして、あとはずっと計算をしていた。


夜の8時頃、一応の完成をした。

全く別の趣旨、別の方法で作った同僚の数字と見比べる。

もし、間違っていたら、と思うと胃が痛くなる。

午後から出てきた同僚も心配そうに見つめている。

互いに、複雑な元データから数字を引っ張り出しているので、どこが間違っていたのかを洗い出すのは相当な手間がかかる。


結局、同僚のデータに1箇所ミスが見つかった。


載せるべき箇所を誤ったのだ。

たった1箇所だが、額は3億円。

しかも、すでに動き出している数字なので、月曜日から彼はいろいろと走り回らなければならない。

しかし、よくよく見ると、間違えて仕方がない箇所なのだ。

彼の前任も間違えたままの処理をしているし、バックアップ用の資料でもチェックできないような箇所だった。


「それでもさあ、間違えた箇所が1箇所でよかったよ。確かに額でかいけど、まだ4月も1週間あるからこの瞬間に見つかったってのはまだよかったんだよ。」

「そうだよね。もっと間違っていたら、元データを探し回るだけでも数時間かかるもんね。」

互いに健闘をたたえ合う。

あとは2人とも間違っていたということがないことを祈るだけだ。


韓国の女性ボーカリスト「WAX」が日本語で歌った「赤い糸」という曲が大反響らしい。

以前ソウルに行ったときに気に入ってベスト盤の「Day&Night」という2枚組のアルバムを買ったことがある。

彼女はポップスも歌えるけれど、本領を発揮するのはバラードだ。

言葉はわからなくても、気持ちが伝わってくるような歌い方をする。


「赤い糸」はまだi-Tunesで売っていないが、5枚目のアルバムがi-Tunesで売っていたのでi-podにダウンロードする。

そのアルバム以外にも1枚、昨年リリースしたアルバムがあることになっている。

ジャンルのところにソウルと地名が入っている。間違いなのかな?と思いながらよく調べてみたら、WAXという名のR&Bの全然違うバンドだった。

地名ではなく、ソウル・ミュージックだったのだ。


1年ほど前に、酔っ払って韓国人のホステスばかりのいる店に行ったことがある。

「WAXはいいよね。日本語で歌えれば第二のテレサ・テンも夢じゃないよ。」と話していたら、「ダメダメ。彼女はブスだから。」とあるホステスが言い、それから全員が頷いた。

それでも、彼女の歌はいい。


以前、台湾に行ったとき、タクシーの運転手が日本語の曲をかけてくれた。

あまりにうまいので、一緒に行ったおっさんに「これ誰?ものすごくうまいね。」と聞いたら「バカ。テレサ・テンだ。」と怒られた。

それで初めて、テレサ・テンを知った。彼女の歌は泣ける。

それまで、日本語の上手な歌唱力のある歌手はジュディ・オングくらいしか知らなかったのだ。


WAXの最近の写真は、随分ときれいになっている。

そのことについては、あまり深く考えないようにする。

彼女の歌を日本語で聴けるのもそんなに遠い話ではない。

本当に第二のテレサ・テンになってくれたらいいなあ、と思った。

毎週水曜日になると、スナックの女の子からメールが来る。

でも毎週いろいろと忙しくて、なかなか彼女のスナックに行くことができない。

今週は寝不足の上に風邪を引いてしまい、ますます行けるような状態ではなかった。


「いつも誘ってくれてありがとう。でも、風邪をひいているので行けません。」

そうメールで返事を打つ。

「行けないのはわかったけど、ホワイトデーのアロマだけ取りに行っていい?あと、母の日の花を一緒に頼んでくれないかな?」


ホワイトデー?存在すら忘れていた。

そういえば、以前、酔ったときに、今度のホワイトデーに精油をプレゼントすると約束をしていたのだった。

クッキーも買っていた。しかし、なかなか会えそうにないので押入に入れっぱなしだった。


家に帰って、押入を開ける。クッキーやお菓子がいくつかある。

アロマは封を切っていないラベンダーの精油があったので、それをあげることにした。


駐車場まで来たというので、マスクをしたまま彼女の車に乗り込む。

「久しぶり。なんだか風邪、重そうだね。」

「まじでつらいんだよ。はい。これ、クッキーとフランスのラベンダーの精油。」

「もうホワイトデーから1月も経ってるじゃん。賞味期限とか大丈夫?」

彼女がクッキーの箱を裏返す。


賞味期限は4月5日。


気まずい空気が流れる。

「ま、気にすんなよ。」

「そうだね。」

お詫びの意味も込めて、母の日の花を注文する。

きっと、彼氏の営業の成績になるのだろう。

「いつも彼氏の悪口ばかり言ってるけどさあ、君もいいとこあるじゃん。」

「違う。違うからね。彼氏の友達の分だから。」

照れたように弁解する。可愛いなあ、と思う。


翌日の昼休み。以前の職場の女の子に会いに行く。

彼女からも以前、チョコレートをもらったので、お返しにお菓子をプレゼントする。


「はい。ホワイトデーのお菓子。でも賞味期限とか心配なんだよね。」

「ええ?今頃?」

彼女が包装紙を開ける。


賞味期限は3月26日。


「おしい。」

「全然、おしくないじゃん。いったい誰のためのお菓子だったの?」

「君に喜んでもらおうと思って買ったのに。つい、忘れちゃったんだよね。」

「信じられない。」

彼女は非難をするが、周りにいる他の女性は「もらえただけいいと思わなくちゃ。」などと弁護してくれる。


その日は午後から研修があった。

仕事が立て込んでいて大急ぎで研修会場に行ったら、ノートは持ってきたのに書く道具がない。

辺りを見回して担当課の女の子を見つけたので、ボールペンを借りた。


そのまますっかり忘れていて、夕方になった。

思い出して、ボールペンと一緒に何かお礼をあげようと思った。

400cc献血をするともらえる、献血記念と大きくかかれた紙箱入りの歯磨き粉があったのでそれをあげた。


しばらくしたら、彼女が僕の席までやってきた。

「なかを見たらとてもいい歯磨き粉で、こんなにいい物をもらっちゃってもよかったんでしょうか。」

という。ただの献血記念の歯磨き粉なのに。

「もちろん。本当に助かりました。どうもありがとう。」

なんだか間違っているような気がしたけど、お礼をいう。


以前、別の担当課の女の子に仕事を手伝ってもらったことがあった。

お礼に、義兄から「中身は電波時計だ」と言って渡された包装紙に包まれたままの箱をあげた。


「君のために買ったんだ。」


彼女が包装紙をあけると、なかから「贈呈 ○○製薬」とのし紙のついた電波時計が出てきた。

「あれ?店員、なんか間違っちゃったんじゃないのかなあ。」

あわててごまかしたけれど、彼女は「納得がいかない」と少しふくれていた。


賞味期限を守ったり、のし紙とかチェックしたり、でも、献血記念の歯磨き粉はOKだったり、ほんと女の子を喜ばすプレゼントって難しいよな。

とわざと思ってみたりした。

昔、何かの小説で、アリはみんなで食物を運ぶとき、自分の後ろ足方向に引っ張っているだけで「協力」しているわけではなく、巣穴の方向に運ばれるのも、単に力の「合成」のなせるワザなのだ、という話を読んだことがある。

つまり、巣穴の反対方向にいるアリは、単に邪魔しているだけなのだ、と。


アリについては、実はアリは同じく社会的昆虫であるハチから進化したものだと、これも何かの本で読んだ。

空を飛べる方が地面に穴を掘るよりも進化形だと思うのだが、敵の数や風雨といった災害を考えると、アリの方がいい選択をしているのかもしれない。


そんなことを思い出したのは、金曜日の3次会で「アリよさらば」を歌った後、なぜかその場が静かになってしまったからだ。


サラリーマンなんて、ちっぽけな角砂糖を並んで運んでいるアリみたいなもんだ。

なぜ生きているんだ?行き先もわからないままに死ぬんだろう。

俺はごめんだぜ。


そんな趣旨の歌なので、「もっとサラリーマン賛歌みたいな歌にしておけばよかった。」と翌日シャワーを浴びながら少し後悔をした。


絲山秋子の「沖で待つ」(文藝春秋)を読む。

いつものことだが、彼女の描く女性は、僕にとって職場の同僚としての理想像であることが多い。

仕事ができ、正義感と責任感が強く、ふしだらで、けんかっ早い。暴言を吐く。

こういう女性とはきっと友情を感じることができるのだろうと思う。


問題が生じたときに、人の後ろへ回る女性は、恋人としてはいいかもしれないけれど、職場では物足りない。

前へ行って啖呵を切ってくれるような女性の方が、「おまえ、なかなかやるじゃん」と応援したくなる。


「沖で待つ」もいいが、一緒に収録されている短編「勤労感謝の日」もスカッとしていて気持ちがいい。

これだけ絵に描いたようなダメ男やダメ上司が未だにいるのか少し疑問だけど。


読み終わったら、「アリよさらば」を歌ったことを後悔していた自分が馬鹿馬鹿しくなってきた。

今度はストーンズの「黒くぬれ」でも歌ってやろうと思った。


仕事に行ったら、隣の席の同僚も来ていた。

金曜日の夜キャバクラに行ったときにもらった名刺を奥さんに見つかって、とてもやばい状態だという。

もう、ご飯を作ってくれないかもしれない、という。

「でも、キャバクラだよ。ピンサロに行ったわけじゃないんだから。」

「どうも、その辺がごっちゃになっているらしくて。」

田舎のキャバクラなので、年配の女性も多く実体はスナックとほとんど変わらない。

「俺の名前使っていいから。俺が無理矢理誘ったことにしといてよ。」

「名刺の後ろに、なんか書いてあって、あれがいけなかったらしいんだよ。あれって何が書いてあったんだっけ?」

「最近太ってきちゃったんで、楽しいおしゃべりしているうちに痩せたらいいなあ。とかなんだか虫のいいことが書いてあったけどねえ。」

「そっかあ。でも捨てておけばよかった。」

「何も悪いことしてないんだから、堂々としてればいいよ。小指の先だって握ったわけじゃないだろう?」

「それはそうなんだけど。」

そう彼はいつまでも悩んでいるのだった。


仕事帰りに温泉に寄って帰る。

露天風呂に入って空を見上げていると、黒い夜空に地上の光を反射した大きな白い積雲がゆっくりと流れていく。

秋に同じように空を見上げたときは、スジ状の層雲が見えていたのだ。

ああ、春が来たんだなあ、と思った。

金曜日に歓迎会があった。

50人近い職場で、15人を歓迎する。


僕は幹事ということだったけれど、仕事が忙しくて幹事らしいことはほとんどできず、与えられた仕事は、歓迎会に間に合うようにみんなを職場から追い出すという役だけだった。

この役なら、出る直前まで仕事をしていることができる。

もっとも、どうせ土日には仕事に出なければならないので、そんな5分や10分、仕事したところで何も変わらないんだけど。


会はなかなか楽しく、飲み放題だったけれど、普段の睡眠不足のせいで飲み過ぎたら泥酔しそうだと思って、少しセーブしていた。


「それではまた。」

会が終わったのは8時30分頃。他の幹事と後始末をした後、駅前で別れて、タクシーに乗り込む。

今日はゆっくり眠れそうだ、と思っていた。


タクシーのなかで携帯が鳴る。出ると職場の先輩。

「今、駅前で飲んでいるから、戻ってこい。」


駅前の居酒屋で、またビールなどを飲む。10名くらいはいただろうか。

こういう居酒屋チェーンの店には入るのも久しぶりだ。

店の従業員が不満げな表情で働いている。


それから店を変えて女の子のいる店で軽くまた飲んだ。このときはまだ6名くらいはいた。

それから職場で隣の席の同僚と2人でキャバクラに行って飲み、その後また2人で飲みに行った。

それで結局3時過ぎまで飲んでいた。


朝起きると、ものすごく疲れている。

当たり前だ。

飲んだときの自分の判断はいつも必ず、間違っている。


シャワーを浴びて無理矢理起きると、職場に行く。

月曜日に締め切りの、統計用の数字をはじき出す。

でも額が想定を遙かに上回っていて、これはこのまま提出できないな、と思う。

たぶん、担当課の間違いもあるのだろう。

せっかく土曜日に出てきても結局、仕事は終わらない。


家に帰って、ちょっとベッドに横になって目をつぶったら、そのまま眠ってしまった。


喉が痛くて起きたら、午前2時を過ぎていた。

先週は水曜日にあった歓迎会以外の日は、ほとんど12時過ぎまで残業していた。

春にはなったが、夜はまだ寒い。


深夜、締め切りを抱えて一人で残業をしていると、たまらなく空しい気持になる。

ストレスが溜まっているせいか、まともな食事をしないせいか、口内炎ができて舌が痛い。

痛みをこらえながら数字のチェックをしていると、急に眠くなったりする。

そんなとき、幽霊でも出てくれないかと思う。

期待を込めて、テレビを見上げる。

貞子でも出てくればいいのに。

そうしたら、ちょっとした気分転換になる。


土曜日も夜の10時過ぎまで仕事をした。

上司が替わり、これからは休日出勤した分の残業代は払われなくなる。

代わりに代休を取れという。

土日も休めないというのに、いったい、いつ休みを取れるというのか…。


疲れた頭で、ドン・キホーテに行き、つい3万円近くする61鍵盤のカシオトーンを衝動買いしてしまう。

家に持ち帰ってさっそく、「さくらさくら」などを弾いてみようとするが、昔も弾けなかったのだ。

やはり弾けない。弾けるわけがない。

こんなでかいもの買っちゃって、俺どうするんだろう?としばらく鍵盤の前でボーゼンとしていた。


今日は車のタイヤを交換する必要があったので午後3時頃までで仕事を終わらせて帰った。

途中、コンビニに寄って、「Mr. & Mrs. Smith」のDVDを買う。

ブラピもララ・クロフトも大好きなので期待していた。


それでさっきまで観ていたのだけど、どういうわけだかわからないのに、いつの間にかブラピはピンチを脱出しているし、最後まで双方の黒幕の正体はわからずじまい。

アクション映画としてもジョン・ウーやタランティーノのような迫力はなく人に薦めるような映画ではない。

ご都合主義の集大成みたいな映画で見終わってつい「ああ、くだらねえ。」と言いたくなった。

もう、こういう映画を観るには年を取りすぎたということなのだろう。


土日に仕事を励んだおかげで、間違いが4箇所も見つかった。

月曜日には早速、会計に謝りに行かなければならない。それでなくても、明日は担当課の事故に関する説明を他の課の上司に説明し、納得してもらわなければならない。

考えただけで、胃が痛くなってくる。


平河地一丁目というフォークデュオの「かわれないので」という曲がある。

サビのあたりはこんな歌詞だ。


「大きくなったら何になる?

よく聞かれたことだけど。

できることなら、かなうなら。小さかったあの日に戻りたい。


もう少しだけ愛してください。僕たちを。

あと少しだけでいいから。」


まったく。君たちのいうとおり。


俺も戻りたいよ。

大学に入る前に一年浪人した。

お茶の水にある駿台予備校に通っていたのだが、宿舎は荻窪にある大学浪人専門の宿舎だった。


隣の部屋には古井という2浪をした男が住んでいて、よくラジカセで薬師丸ひろ子の曲を聴いていた。

机が窓際だったので、勉強していると嫌でも古井の聴いている彼女の声が聞こえてきた。

「古井、もう少しまともな音楽を聴けよ。」

窓に向かって大声で言うと、

「何言ってんだよ。もうおまえは本当にバカ。」

と答えが返ってきた。古井はいつもやたらと語尾にバカをつけるのだった。


僕が当時、一番聴いていたのはドアーズだった。

「古井、たまには俺の音楽貸してやろうか?」

「やだよ。あんな宗教っぽい音楽。バカバカ。」

ドアーズを宗教っぽいというのは、なかなかうまい表現で気に入った。


古井の影響で、バカにしていた日本のアイドルの音楽も聴くようになった。

薬師丸ひろ子も聴いた。彼女の曲のなかで、僕が好きなのは「探偵物語」。


夢で叫んだように、唇は動くけれど、言葉は風になる。好きよ。でもね。たぶん。きっと…。


とおりのいい彼女の声が耳を駆け抜けていく。


残業中に、最近はよくオーディオ・ブックを聴いている。

そのなかの1冊、夏目漱石の短編集「夢十夜」はなかなか面白かった。

黒澤明のつまらない映画で「夢」というのがある。

オープニングは「こんな夢を見た。」から始まるのだが、その始まりのことばは、夏目漱石の「夢十夜」から取ったのだと初めて知った。


日本語のオーディオ・ブックはまだ少ないので、選ぶほど種類がない。

そこで「話ことばが運をひらく『人に好かれる話し方レッスン』」というのを聴いた。

それほど期待していなかったのだが、これがなかなかためになった。


謝るときは「まず謝り、対処法を伝え、それでいいかどうか伺う。」というのは確かに相手に怒らせる隙を与えない、いいやり方だと思い、さっそく聴いたその日から実践した。確かにいい感じだった。

そういう実践の場なら、今の僕には山のようにあるのだ。


今は夏目漱石の「草枕」を聴いている。本格的な小説なので、仕事をしながら聴いていると疲れる。

そこで、途中で薬師丸ひろ子の曲をまた聴き直したりする。

すると古井のことを思い出す。あいつは今、何をしているのかな、と思う。


それから毎晩ビールを飲んでいた荻窪の公園や、浪人の身なのに新宿で飲み歩いて一晩で3万円も使った夜だとか、タバコを吸っていて警察官に注意されたときのことなどを思い出す。


駿台予備校では成績順に席が並ぶのだが、僕の4列前にとても可愛い子がいた。

しょうこちゃん、と呼ばれていた。

あと、1点多く取れていたら、彼女の隣に座れたかもしれないのに…、と思い、必死で勉強した。

そしたら、後期の席替えでは、抜きすぎてクラスまで変わってしまい悲しかった。


勉強もしたが、毎週名画座に映画を観に行っていたし、優雅な浪人生活だった。

僕はあのときの目的意識を持ち、でもちゃんと遊んでいた自分を気に入っている。


今度、バンクーバーに行った姪が今年20歳になるのだという。

いつの間にかあの頃の僕よりも大人になっていることに気づいて、そして自分があまりに成長していないことに気づいて、少し驚いた。